羽野幸さん略歴
・静岡県富士市出身
・大学進学を機に山梨県都留市へ移住
・大学卒業後、就職のため都留市を離れるが、3年半後再び都留市へ
・2年間の農業研修を経て、2012年4月に独立
一人で年間50種類から60種類の野菜を栽培
山々に囲まれた自然豊かな地、山梨県都留市で専業農家を営んでいます。田畑は8.7反ほど。少量多品目で毎年50種~60種の野菜と、お米を無農薬で育てています。販売のほとんどは直接取り引きで、個人の方への宅配や通信販売、自然食レストランや地元のスーパーに野菜を納めています。
収穫から袋詰め、配達、出荷まで、すべて自分で行います。収穫期以外には、植え付けや草刈り、土作りに加えて、味噌作りや田植え体験などのワークショップを行っています。2012年に独立してから5年間、一人で全てを行っているので忙しいですが、やりたいことをやっている、という充実感があります。
大学進学を機に出会った第2の故郷都留市
大学進学をきっかけに都留市に移住してきて驚いたのは自然の豊かさでした。出身は静岡県ですが、住宅が多い地域で育ったため、山々に囲まれて自然を身近に感じることができる都留の風景はとても新鮮でした。
大学時代には、ゼミでビオトープ(※)の手入れに携わる機会もあり、ますます自然に囲まれる暮らしへの思いが強くなっていきました。その頃から専業農家になろうと思っていたわけではありませんが、「農のある暮らし」に対しての憧れは持っていたと思います。
卒業後は、就職を機に一度都留を離れましたが、3年半会社員として小売業を経験した後、再び都留に戻る決心をしました。都留で暮らすことが最初にあって、農業は生活していくための生業として選んだんです。
(※)ビオトープ:動物や植物が持続的に生活できるように作られた小規模な生息空間。
都留市へ戻り農家に弟子入り
会社員時代も家庭菜園をしていましたが、生業としての農業となるとまったくの素人でした。そこで、当時山梨県が行っていた「農業協力隊推進事業」という制度を利用することにしました。(※現在は停止中)
この制度は県の就農支援制度のひとつで、研修生は一定期間、助成金を受けながら県が認可した農家で技術を学び、将来的に農家として独立することを目指します。私の場合は2年半で、農業の基礎的な技術を一から教えてもらいました。
研修先の農家さんは、一人で農業を営んでいらして何でも自分でこなしてしまいます。朝からついて回り、植え付けから土作り、草刈り、袋詰め、出荷まで一通り経験させてもらいました。
20代の女性が農業なんて本当にできるの?という視線
少しずつ独立に向けての準備も始めていましたが、当時20代半ばの女性が農業をやると言っても、「本当にできるの?」と懐疑的な目を向けられることもありました。そもそも都留市には専業農家の方自体が少ないので、余計そう思われたのだと思います。
それでも日々コツコツと農作業を続けているうちに、周りの目も変わっていきました。都留では、農家でなくても田畑を持っている方が多いんです。耕し手がいない田畑を持つ人から「うちの畑も見てくれないか」と声をかけられることが増え、少しずつ自分の畑が広がっていきました。
憧れていた農のある暮らしが、少しずつ形になっていく手ごたえが感じられた2年半でした。
都留市での日々の暮らしを大事にしていきたい
2012年4月に独立してから5年が経ちましたが、まだまだ日々勉強だと感じます。在来種や固定種と呼ばれる品種から自分で種を採ったり、肥料を使わずに作物を育てる方法を模索したり、挑戦中のこともたくさんあります。農業は自然と向き合う仕事なので、その場その場で適切な判断ができる技術が必要だと感じています。
独立した年から、田植えと稲刈りの農業体験ワークショップを続けています。また、都会で暮らす子どもたちの農作業体験の受け入れも行っています。自分がそうだったように、多くの人に土や野菜と触れ合う喜びや楽しさを知ってほしい。そういった場を提供する活動ができたらいいなと思っています。
仕事だけでなく、日々の生活も独立当初から大事にしたいと思って暮らしています。いずれは都留で家族を持って、この豊かな自然の中で楽しく暮らしていけたらいいなと思います。
「農のある暮らし」を実践するライフスタイル
取材中も、虫や蛙の鳴き声が聞こえ、羽野さんが愛する都留市の自然の豊かさを感じることができました。第2の故郷で、自然と向き合いながら暮らす羽野さんのライフスタイルは、「農のある暮らし」に憧れる多くの方の参考になるのではないでしょうか。
はのさち農園
https://sachihano.jimdo.com/
写真提供 はのさち農園