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ブームではなく次世代に「故郷のいちご」を残す地域ブランド「はつかいちご」の挑戦

ブームではなく次世代に「故郷のいちご」を残す地域ブランド「はつかいちご」の挑戦

2017年10月25日

広島県廿日市(はつかいち)には「はつかいちご」という名前のいちごがあります。もともとは「平良いちご」の産地で有名でしたが、市町村合併を経てその名前が消滅。地域のいちごを復活させるプロジェクトが発足して「はつかいちご」として生まれ変わりました。はつかいちごが生まれるまでのストーリーや今後の展望を、平良いちご復活プロジェクト会長の山本貴志(やまもとたかし)さんにうかがいました。

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「はつかいちご」とは、どのようないちごでしょうか。

「はつかいちご」は、広島県廿日市で採れるいちごのブランドです。廿日市はいちごの産地として大きくはありませんが、10軒ほどのいちご農家がいます。毎月勉強会を実施して味の研究も続けていますし、農家毎の技術基準を統一しているので、安定した味のいちごを作ることができます。

この地域は、日照時間が長く比較的温暖なので、いちごを育てるのに適しています。また、川の水にミネラル分が多く含まれているといわれているため、甘いいちごが育ちます。

いちごの品種は、その時々で変わります。消費者の求める品種に合わせつつ、自分たちが食べた感覚で一番おいしいものに決めるのです。年ごとに品種が違うので、人によってはつかいちごの印象も思い出も異なります。まるでワインのようです。

年ごとに味が違っても、「自分たちの故郷にはいちごがあったよね」と覚えてもらえる。そんないちごを目指しています。

品種によるブランドではなく、地域のブランドなんですね。山本さんは以前からこの地域でいちごを作っていたのでしょうか。

私の実家は農家ではありません。私自身も10年ほど前に、自分でいちご農家を始めた新規就農者です。農家を始める以前は、広島市で通信関係の仕事をしていました。その頃から、いつかは故郷である廿日市に戻りたいと思い、色々な可能性を探していました。戻ることが前提だったので、広島市で暮らしながら廿日市の商工会議所の青年部に所属していたほどです。

後継者問題に関心があったので、当初は林業で独立することを検討していました。ただ、調べていくうちに、廿日市の林業で生計を立てるのは難しいとわかりました。それで、どうしようかと考えながら地元を歩いているときに、ふと「この場所にはいちごのビニールハウスがたくさんあったよな」と思い出したのです。

昔は辺り一面にいちごのビニールハウスが立ち並んでいて、夜になると明かりがつき、その光景がとても印象的でした。ところが、いちご農家は激減して、ビニールハウスはほとんどなくなりました。調べてみると、廿日市に残ったいちご農家は数件で、一番若い人で62歳。このままいけば廿日市のいちごはなくなってしまう。「自分がやるしかない」と直感的に思い、いちご農家を始めることにしたのです。

 
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いちご栽培どころか、農業をやろうとすら考えていなかったのですね。いちご農家になろうと決めて、何から始めたのでしょうか。

まずは、山口県のいちご農家のもとで2年間修行しました。そこで作り方と売り方を学びました。その農家は、いちご狩りがメーンの販売方法でした。いちご狩りに来てもらえると、ジュースやアイスなどもセットで買ってもらえます。加えて、一粒単位でいちごを販売できるので、ビジネスとして成り立ちやすいことがわかりました。

2年間修行している間に廿日市で土地を探し続け、いちご農家をしていた方から土地を引き継がせてもらえることになりました。それで、2007年にいちご農家としての人生をスタートしました。

メーンの販売方法は、いちご狩りです。地元の商工会議所のバックアップや、テレビで紹介されたことで、初年度からたくさんの方に足を運んでいただけました。入園料を無料にして、一粒から買える量り売りにしたことも効果があったようです。

ただ、生産技術の向上には苦労しました。修行中は指示をもらいながら作業していたので、誰からも何も言われない環境になると、途端に分からないことが出てくるのです。しかも、流行に乗って無農薬にしてからは、さらに大変でした。農薬を与えなかったらいちごが全滅してしまい、無農薬でいちごが作れるなんて迷信だと思っていました。それでも、インターネットで知り合った農家の方や、各地の勉強会に参加して理論的に教えてもらいながら、少しずつ技術を磨きました。(無農薬は、あくまで個人でやっています)

ご自身のいちごづくりでも苦労される中、はつかいちごというブランドを作る流れはどこから生まれたのでしょうか。

いちご農家を始めたきっかけが「地元のいちごを残すこと」だったので、そのために何ができるか最初から考えていました。地元の人に愛着を持ってもらうこと、生産者を増やすことが重要です。

もともと、廿日市のいちごは近くの製菓工場でいちごジャムを作るために始まったと言われています。広島県のいちご産地としては、かなり古いそうです。兼業でやる人が多かったため、生産農家は減ってしまいましたが、地域ごとのいちごの名前は残っていました。有名だったのは平良地区の「平良いちご」です。

ただ、そのいちごの名前は地元の農協の名前がついていただけなので、市町村合併で廿日市市に統合されてからは、農協の名前に合わせて「佐伯中央いちご」と統一されてしまったのです。その名前では、あまり馴染めないですよね。

そんな状況のなか、タイミングよく平良いちごを復活させようという話が上がってきたのです。農商工官学と、様々な人を巻き込んで話を進めましたが、地域のものとしてやる以上、簡単にはいきませんでした。そもそも、私が農協のいちご部会にすら入っていなかったので、そこからのスタートです。「はつかいちご」という名前が決まって世に出るまでに、2年ほどかかりました。

その後、色々な人の協力があって少しずつ認知度が上がりました。あるコンビニでは、フランチャイズのオーナーの方が独自に、はつかいちごを扱ってくれました。今でこそ増えましたが、当時はコンビニで野菜や地域のものを扱うのは珍しい時代。本部と交渉して公式に取り扱えるようにしてくれたのです。

今では、市場での価格もどんどん上がり、2017年に関していえば、1パック800円で取引されたほどです。おいしいと評判をいただいて、多くの方に届けられるのが嬉しいですね。

値段の上がり方からも、はつかいちごの認知がどんどん広まっているとうかがえます。今後はどのようなことをしたいと考えているのでしょうか。

後継者を増やすために、しっかりと稼げる仕組みを作らなければと考えています。つらそうにしていたら、誰もやりたいとは思いません。やりがいもあって、しっかりとお金にもなる姿を見せなければと考えています。

ただ、いちごは収穫が2月から5月とシーズンが決まっていますし、そこまで規模を広げられるわけではありません。いちご栽培だけで生活をするのは難しいのが現実です。私も、夏から冬にかけては別の野菜を作っています。そのため、今後は他の野菜づくりと掛け合わせて、年間の仕事にできないかと考えています。候補に上がっているのは、加工用のトマトです。加工用のトマトは全国的にも盛り上がりを見せていますし、いちごとは時期のずれ方もちょうどいい。具体的にするために、色々考えているところです。

また、品質をしっかりと数値化したいという目標もあります。廿日市のいちごはおいしいと言われますが、それを定量的には表せていません。今後も品質を保っていくために、基準値を作れたらいいと考えています。

多くの人に、はつかいちごを知ってもらえたらと思いますが、ブームにしたいわけではありません。ブームは一過性で終わってしまいますから。そうではなくて、故郷の味として長く残るものにしたい。そのために、面白いことにチャレンジして話題を提供し続けたいです。少し話題になるくらいがいいかな、と思っています。それで、ちょっと目立つくらいがちょうどいいんだと思います。おかげで、あと35年ほどで平良地区でいちご栽培が始まってから100周年、一世紀イベントを行うのが夢です!

はつかいちご

http://www.hatsukaichigo.jp/

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