夢を求め続けた大菩薩峠 中里介山
「中里介山」の名を聞いて、ピンとくる人は少ないかもしれません。しかし、大正時代に生まれた著作『「大菩薩峠」』は売れに売れ、当時は大ベストセラー作家だった人物です。
中里介山は明治18(1885)年、現在の東京都羽村市の水車小屋で生まれました。しかし、生家は介山の少年時代に土地を失ってしまいます。そうしたことから十代のうちは社会主義運動へ傾倒しました。その後、東京新聞の前進である都新聞社へ入社し、紙上に小説を発表しました。剣豪小説の長編『大菩薩峠』は大正2年(1913)に連載開始、大人気となったため、新聞社を退社し、高尾山麓に移住しました。
介山には、高尾での生活で実現したい理想郷がありました。しかし、開発の波にのまれてうまくいきません。その中で、故郷の羽村の土地を「植民地」と名付け、農業を主体とする自給自足の塾教育の実践を行うための西隣村塾を1930(昭和5)年に開校しました。この数年前に介山は長編小説『百姓弥之助ノ話』を著しています。この物語の内容にみられるように、介山は農業こそが原点だという「農本思想」の思いを強め、試行錯誤を重ねて行ったのでした。
終戦前年の昭和19年(1943)年に彼は亡くなりますが、最期まで土に生きる人々の夢を見続けていたといえるでしょう。
以上、農業にゆかりの深い3人の作家を紹介しました。このほかにもたくさんの人が農業をモチーフにした作品を発表しています。どんな時にどんなことを考えながら土に向きあっていたのか。農業へのかかわり方などに迷った時、どれか一冊を選んでページをめくってみてはいかがでしょうか。
<参考>
宮沢賢治の年譜
上記の情報は2018年1月20日現在のものです。