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サムライ養鶏が生んだ名古屋コーチン  尾張藩士のベンチャー精神とは

サムライ養鶏が生んだ名古屋コーチン  尾張藩士のベンチャー精神とは

日本三大地鶏の一つ「名古屋コーチン」。一味違う焼き鳥、から揚げ、卵料理に特産スイーツ。評判の名古屋めしの材料に肉も卵も大いに活用されています。
この鶏の正式品種名は「名古屋種」。明治維新で禄を失った尾張藩士、海部壮平・正秀兄弟によって生み出され、日本の近代養鶏史の幕開けを飾る国産実用品種第1号に認定されました。現代から1世紀以上を遡り、その作出のストーリーを辿っていきましょう。

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名古屋コーチンで地域おこし

名古屋コーチン

3月10日は「名古屋コーチンの日」

名古屋コーチンが日本家禽協会から国産実用品種第1号の鶏種として認定されたのは1905(明治38 ) 年3月10日のこと。
この日は一般社団法人日本記念日協会認定の「名古屋コーチンの日」となり、2017年(この年の干支は酉)から毎年、名古屋市内で2万人規模の来場者を集める記念イベントが開催されるようになりました。

発祥は愛知県小牧市から

一方、名古屋市の北西に位置する小牧市では同じ2017年、名鉄小牧駅前につがいのコーチン碑が建てられ、市を挙げてコーチンでの街おこしが行われています。
もちろん、3月10日は名古屋と同時に一大イベントも開催。名古屋コーチンの発祥地は、実はこの小牧市であることを広報しています。

広大な海部養鶏場

駅前のコーチン碑から車で20分。池之内という地域の一画にある果樹畑。かつてこの果樹畑を中心とした一帯の土地は広大な養鶏場でした。
約 1,150坪におよぶ敷地内には最盛期で34室の大小さまざまな鶏舎が立ち並び、雛鳥を含め約5,000羽を飼育。徒歩20分ほど離れた寺・大泉寺まで鶏の鳴き声が響きわたっていたと言います。
その養鶏場が「海部養鶏場」。名古屋コーチンが作出された場所です。

元士族・海部兄弟のチャレンジ

名古屋コーチン

江戸時代の鶏事情

江戸時代後期、日本では闘鶏用のシャモや愛玩用のチャボを飼う人はいましたが、現在のように卵や肉を売ることを目的とした養鶏はほとんどありませんでした。
農家がめいめいでその地域の地鶏を飼い、卵を産ませ、産まなくなったらしめて肉を食べるというかたちが一般的だったのです。

尾張のサムライ養鶏

しかし尾張藩では例外的に、当時から中級・下級の武士が内職として卵や肉を売るために鶏を飼う習慣がありました。そのため、明治以降は職を失った元藩士の多くが「2厘か3厘の餌代で1個1銭になる卵を産む」といわれ奨励された養鶏業に転業。「尾張のサムライ養鶏」は当時かなり有名になったようです。

海部壮平・正秀兄弟の奮闘

海部壮平・正秀(かいふそうへい・まさひで)の兄弟もこうした旧尾張藩士のサムライ養鶏家でした。兄弟は明治5年頃から本格的に養鶏業に専念し始めましたが、その頃はまだ日本において養鶏に関する知識は乏しく、ノウハウも確立されていませんでした。
そのため、餌が悪くて卵を産まなくなったり、シラミが湧いたせいで大量死したり、怖ろしい伝染病・鶏コレラの猛威によってほぼ全滅したり、といった災禍に繰り返し見舞われることに。兄弟の試行錯誤は10年余りにわたって続きました。

名古屋コーチン作出

清国のお化け鶏バフコーチンとの出会い

そんな中、1882(明治15)年頃に出会ったのが、清国(現在の中国)から輸入された「バフコーチン」という鶏でした。
バフとは黄褐色の毛の色をさし(現在も名古屋コーチンの毛の色をバフ色という)、コーチンとは「九斤(約5キログラム)」という意味。これは当時の日本の鶏ではあり得ない重さ・大きさで、バフコーチンは「清国のお化け鶏」と呼ばれました。

薄毛(海部鶏)誕生

兄弟はこの大きな鶏と尾張産の地鶏を交配させて新たな鶏を作出。その後、この鶏は粗食に耐えてよく育ち、肉質、産卵能力が極めて良い上に病気に強く、性格も温厚であるという長所を兼ね備えていました。
その後も年を追うごとに改良が重ねられ、やがて「薄毛」または「海部鶏」という通称で、この地域で広く飼われるようになったのです。

大泉寺

大泉寺前のパネル

しかし明治28(1885)年、養鶏場主だった兄の壮平が48歳で急逝。ほどなくして海部養鶏場は閉じられることになりました。
壮平の墓がある池之内の大泉寺には、2013年から寺の前に海部兄弟の功績を紹介するパネル展示が行われ、地域の観光スポットに加えられています。

日本の近代養鶏の原点に

名古屋コーチン

その名は名古屋コーチン

その頃、生産と消費が即座に結びつく都市養鶏の利点に目をつけた尾張藩出身者らは、積極的に京都、大阪などの関西圏に進出していました。そこで養鶏場を開き、この「薄毛」「海部鶏」を広めることに成功したのです。
海部鶏は京阪地域において高い評価を得て、名古屋地方から来た鶏「名古屋コーチン」と呼ばれるようになり、その名が定着したのです。

国産実用品種第1号の鶏として全国へ普及

名古屋コーチンの育種改良は、1903(明治36)年から愛知県が引き継いで担うことになりました。そして前述の通り、改良された名古屋コーチンが1905(明治38)年に日本家禽協会から国産実用品種第1号の鶏として正式に認定。やがて日本各地に普及したのです。

日本の養鶏産業振興に貢献

卵も肉も利用できる卵肉兼用の実用的な鶏として、全国的に飼育されるようになった名古屋コーチンは、鶏と言えば多くの人がその姿・色合いを思い浮かべるほど親しまれる存在になりました。
そしてまた、名古屋地方・愛知県地方を養鶏の本場として印象付けました。
明治時代から昭和30年代まで、日本の養鶏産業振興に対する貢献度は、他の地域のどの鶏よりも大きかったに違いありません。

一般社団法人名古屋コーチン協会

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