絶滅の危機から出荷10倍超へ 名古屋コーチン 歴史と文化が果たした復活劇 – マイナビ農業

マイナビ農業TOP > マーケティング > 絶滅の危機から出荷10倍超へ 名古屋コーチン 歴史と文化が果たした復活劇

マーケティング

愛知

絶滅の危機から出荷10倍超へ 名古屋コーチン 歴史と文化が果たした復活劇

絶滅の危機から出荷10倍超へ 名古屋コーチン 歴史と文化が果たした復活劇

最終更新日:2018年09月13日

明治時代から昭和30年代まで、日本の養鶏産業の振興に大きく貢献してきた名古屋コーチンですが、1962(昭和37)年に存続の危機に見舞われました。
アメリカから採卵専用、肥育専用にそれぞれ改良された種鶏(親鶏)が輸入され始めたからです。
このいわゆる外国鶏に名古屋コーチンはどう対抗し、ブランド化に成功したのか。その復活のストーリーを辿っていきましょう。

  • twitter
  • facebook
  • LINE

絶滅の危機に瀕して

名古屋コーチン

市場ニーズを喪失

採卵専用種は1年で300個の卵を産み、肥育専用種は生後わずか50日で食肉にできる大きさに成長するという鶏で、しかも省スペースで飼育が可能です。採算性・利便性にたいへん優れており、養鶏農家に大きな利益をもたらすため、急激に普及しました。
これに圧倒された名古屋コーチンは瞬く間に市場のニーズを失い、絶滅寸前のところまで追い込まれたのです。

食文化を作ってきた鶏を絶やしていいのか

長年にわたって改良に携わってきた愛知県の農業総合試験場も沈滞ムードに陥り、一時期、もうやめようかという声も出るようになりました。
しかし当時の名古屋大学農学部教授が「地域の食文化を作ってきた鶏を、県みずから絶やしていいのか」と叱咤。奮起を促された研究員らは1973年から新系統の作出に取り組み始めました。

大型化めざして

その課題は大型化でした。それまで採卵用に改良を重ね小型化していた名古屋コーチン(最小期は雄3キロ、雌2.4キロ)を、肉用に向けて明治期と同程度の大きさ(雄4キロ強、雌3キロ強)の肉厚な鶏に改良しようとしたのです。

総合的な復活への取り組みのスタート

また、この頃、グルメ志向の消費者の間から昔ながらの「かしわ肉」の味を懐かしむ声が上がるようになっていました。
それを受けて、養鶏家、処理場、ふ化業者、料理店などが協力し、種鶏の確保や普及方法の研究など、総合的な復活への取り組みがスタートしました。

1 2 3

関連キーワード

シェアする

  • twitter
  • facebook
  • LINE

あなたにおススメ

タイアップ企画

関連記事

カテゴリー一覧