オーストラリアでの牧畜カルチャーショック
駅徒歩10分の放牧場もある牧場
磯沼正徳さんはこの牧場の2代目です。先代である父が東京の八王子市に磯沼牧場を開いたのは戦後間もない1950年代のこと。当初は野菜づくりと酪農の複合経営でした。
新たな都市計画法が制定される1968年以前から開業していたため、牛たちが草を食む放牧場も含めた敷地では、都内の駅から徒歩10分圏内とは思えない自然豊かな環境が今も維持されています。
オーストラリアで感じたこと
牧場を引き継いだ磯沼さんは26歳の時、オーストラリアへ渡航。ある酪農農家に滞在しました。そこでインパクトを受けたのは、牧畜が単なる仕事・労働としてだけでなく、人生を豊かにする遊び・楽しみであり、牛などの家畜が友達的存在として見なされる「牧畜文化」になっているということでした。
日本の稲作文化と同様の、オーストラリアの牧畜文化
「社会の中にミルクを提供する牛がいて、それが人々の共有財産になっている。牛を飼育する牧場は生産の場であり、生命の息吹を感じ、生きる喜びを体験する場でもある。牧畜文化が根付いたオーストラリアにおける牧場は、稲作文化が根付いた日本における田んぼに匹敵する存在なのではないだろうか」
そう思った時、磯沼さんの胸にこれから自分がめざすべき牧場の姿が浮かび上がりました。
牧畜文化を広めるサークル活動

ゆったりとした空間でリラックスする牛たち
ジャージーを育てる会で牛を共有
帰国後、本格的に独自の経営に取り組み始めるとともに「ジャージーを育てる会」というサークルを創設。メンバーがそれぞれ出資して、濃厚でクリーミーな乳が特徴の、英国原産の乳牛ジャージー種の共同オーナーになり、低温殺菌したフレッシュな生乳で自宅用のミルクを自給したり、チーズなどの乳製品を仲間で作って楽しめるようにしました。
人類のミルク利用の歴史を追体験
また、人類が家畜の乳をさまざまな形で利用するようになった歴史を、乳製品を作りながら追体験することを趣旨とした「ミルク1万年の会」の活動も始め、多くの人が参加。
人々の共感を呼び、探究心を刺激するこうしたサークル活動を続ける中で、磯沼ミルクファームはしだいに広く知られる存在になっていきました。
さまざまな人が集まれる人気牧場に
さらにホルスタイン、ジャージー、ブラウンスイス、エアシャーの4種の牛の乳をブレンドした「みるくの黄金律」と、それを原料とした乳製品の開発、そしてアウトドア系体験イベントの開催などを通して、さまざまな人が集まれるコミュニティ牧場を確立。全国でもあまり例のない、いつでも見学自由なオープンファームへと発展していきます。
人と牛がともに幸せになれる牧場をめざして

牧場内にある溶岩石窯の前で語る磯沼さん
カウボーイ・カウガールスクール
磯沼さんは牧畜文化を広める活動として、体験学習やメンタルケアにも力を入れています。
カウボーイ・カウガールスクールは、牛の一生に付き合うことの大変さと喜びと楽しみ、人間が育んできた牧畜の知恵を1年間かけて追体験する講座です。
牧場は街に生まれ育った子供たちの心の故郷であり、動物たちと命を感じ合う共有空間であり、食育、牧場体験そして生涯教育のフィールドであるとして、小学生から青年までを対象に開いています。
参加する生徒たちは赤ちゃん牛の名付け親になるところから始まり、酪農・牧畜のエッセンスをAtoZで体験学習していきます。
ケアファームとしての役割も担う
また、精神的なケア・癒やしを必要とする人たちのために、牛をはじめとして、ヒツジ、ウサギなど、飼育している動物たちとの触れ合いを生かし、いわゆるケアファームとしてのプログラムも始めようとしています。
家畜福祉(アニマルウェルフェア)
現代の農業は生産効率第一主義で、大量生産・大量供給の「工業的農業」が主流です。そのため酪農・畜産の業界では、効率化のために家畜が狭い空間に閉じ込められて生活し、機械同様の扱いを受けているのではないかという「精神的苦痛」「生命の軽視」が動物愛護団体などから指摘されています。そこから生まれたのが、動物福祉・家畜福祉(アニマルウェルフェア)という考え方です。
磯沼ミルクファームではその問題に向き合い、子牛の頃から自主性を重んじ、人間との信頼関係をきちんと作り上げる飼育法を実践しています。
オープンな牧場という在り方を実現するためには、牛が見知らぬ人間に会ってもストレスをあまり感じず、リラックスできるという前提があってこそ成り立ちます。そのために家畜福祉に基づき、のびのびと生活できる空間を確保する、むやみにロープなどで拘束しないといった育て方を大事にしているのです。
大都市・東京にある牧場ならではのチャレンジ
青年時代に描いた理想を、持ち前の情熱と実行力で実現し、歴史の深い牧畜文化を広める活動。それは大勢の人たちが、気軽に足を運べる大都市・東京にある磯沼ミルクファームだからこそ有効な試みと言えるかもしれません。
決まった価値観にとらわれず、自由な楽しみ方を求める人たちを対象とした多彩なイベント、そして体験教室などを通じて、その果敢なチャレンジはまだまだ続きます。