地域で異なる「事始め」「事納め」の日
事八日がいつごろから始まったものか、正確には伝わっていませんが、宮中行事が確立していった平安時代の延喜年間(901~923年)以降との説が有力です。この日には、強飯(こわめし)や団子を作って祝ったり、餅をついて神に供えたりする地域があるほか、「お事汁」といって大根、ゴボウ、里芋、コンニャクなどを入れた汁を食べる風習も伝わっています。
面白いことに、12月8日と2月8日、どちらの日を「事始め」「事納め」とするかは地域によって異なり、一定ではありません。たとえば東京では、12月8日を“正月準備を始める”意味での「事始め」、2月8日を“正月行事の終わり”の「事納め」とするのが主流だといいます。しかし反対に、群馬県などのように、2月8日を“農作業を始める(田植えなどの準備をする)”の意味で「事始め」、12月8日を“農作業を終える(収穫などを済ませる)”の意味で「事納め」とする地域も少なくありませんし、事八日には「田の神・山の神などが訪れる」という伝承も存在します。また、西日本では12月8日のみをハレの日とする場合も多く、事八日の伝承は各地で差があることが分かります。
事八日には恐ろしい妖怪が出没!?
各地でさまざまな行事が行われる事八日ですが、実は古くから「妖怪(あるいは厄神)が出る」と考えられ、一般的に“物忌みの日”としての意味合いが強い日でもあります。
関東周辺では、この日の晩に“一つ目の妖怪”が出るといわれており、ざる、ふるい、籠などを家の出入り口などに高く掲げておくと、籠の目の多さに一つ目小僧が驚いて逃げ出していくと信じられてきました。また、一つ目の妖怪は各家を回って履物に判を押すといわれており、この判を押されると翌年に悪い病気にかかってしまうと考えられていました。そのため、この日は履物を外に出しておかないようにしたといいます。
また、日本海沿岸では、「ハリセンボン」というフグがやって来る日だともされ、浜辺に打ち上げられたハリセンボンを見つけて軒先につり下げ、厄よけとする風習もあります。
ほかにも、長野県では、わらで大きなムカデや足半(あしなか)草履などを作る厄よけの行事があります。その際に「お八日念仏」を唱えたり、粕(かす)汁を食べる地域もあり、現在もなお執り行われています。わらのムカデや草履は、隣の地区との境に送ったりつるしたりして疫病神を追い払い、その土地の安穏や無病息災を祈ります。
事八日は針供養の日
事八日に「針供養」を行う地域も多く見られます。針供養とは、折れた針や使い古した針を供養し、裁縫の上達を願う行事です。江戸時代に和歌山市の淡島神社の淡島願人(あわしまがんにん)が全国に広めたものだともいわれています。
かつて人々は、この日は一日針仕事を休み、豆腐やコンニャクなど軟らかいものに集めた針を刺して、淡島神社ゆかりの寺社に奉納したり、紙に包んで海や川に流したりしたといいます。なぜ豆腐やコンニャクなのかについては、「まめに働く」という言葉にかけたとする説や、今まで硬い布に刺してきた針にいたわりと感謝をこめて、最後は軟らかいものに刺して休ませてあげるという説などがあります。現在でも、発祥の地・淡島神社や東京都の浅草寺にある淡島堂では針供養の行事が行われています。
このように、地域や生活習慣によって意味合いや風習が異なる事八日。実は農業を営む人にも節目としての意味があった……というのはなんとも興味深い話です。事八日は私たちの生活の基盤である「衣食住」にかかわる大事な日として、心に留めておきましょう。
参考
「知っておきたい日本の年中行事事典」
著者:菊池健策、常光徹、福田アジオ、福原敏男、山崎祐子
出版:吉川弘文館
「三省堂年中行事事典」
著者:田中宣一、宮田登(編)
出版:三省堂
「年中行事儀礼事典」
著者:川口謙二、池田孝、池田政弘
出版:東京美術
「暦と行事の民族誌」
著者:佐藤 健一郎 、田村 善次郎
出版:八坂書房
「まるごとわかる365日ものしり百科(2月)」
著者:谷川健一(監修)
出版:日本図書センター
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