農業大学校で学んだ「高密植栽培」を柱に
リンゴの生産量全国2位の長野県。中でも産地の一つとして名高い長野市赤沼地区で、100年続くリンゴ農家の4代目として生まれた徳永さんが、2015年に父から1ヘクタールの畑を譲り受け設立したのが、「フルプロ農園」です。
設立の翌年には地元農家から50アールを借り、その後も徐々に栽培面積を拡大して現在では借地と合わせ計3.6ヘクタールでふじ、シナノゴールド、秋映など9品種のリンゴを栽培しています。
農園設立後、生産者を訪ねたり経営者の集まるイベントに参加したり、イベントの主催側にも入るなど人脈作りにも奔走してきた徳永さん。「良さそうなことはまず試してみる」と販路の拡大にも努め、父の代の全量市場出荷から、現在では収穫の約半数を個人客への直販に切り替えました。
さらに、徳永さんが特に力を入れているのが、高密植栽培による栽培の効率化。隣り合う樹との間隔を広くとり横に枝を伸ばす形で栽培する現在主流の丸葉(普通)栽培ではなく、10アールあたり300本以上のリンゴの木を果樹棚に沿って列にして植える栽培方法です。1年目から農地の一部を高密植栽培に切り替え、現在では約50アールにまで広げました。
「リンゴで活気ある赤沼を取り戻す」
徳永さんが高密植栽培に取り組む理由は二つあります。
一つ目は、赤沼地区を質・量ともにリンゴの産地として維持し続けるため。二つ目は、効率化・マニュアル化によりリンゴ栽培を「誰でもできる農業にしたい」という思いからです。
リンゴの名産地でありながら、赤沼地区も担い手不足は深刻で、農地を維持していくためには少人数で大きな農地を管理できる仕組みが必要です。
「高密植栽培により収量が上がる上に30%以上作業が軽減されると農業大学校で習い『これだ!』と思いました。赤沼のリンゴの美味しさに自信はありますが、値段は祖父母の時代の半分。産地として維持していくためにも経営を成り立たせるためにも、収量を上げつつ作業を軽減させることが欠かせません」。
また、高密植栽培では剪定作業などをある程度単純化したり農薬の散布も効率的に行ったりできるため、作業のマニュアル化も積極的に進めているそうです。「リンゴの栽培は足元が不安定な畑で高い脚立に乗った作業も多く、作業に慣れない若い人や高齢の生産者にとっては危険な作業になることも。樹勢を低く保てる高密植栽培は、誰もが取り組める農業をするためにも理想的です」。
一方、現在の畑を高密植栽培に植え替えるには1ヘクタール当たり1千万円以上の費用がかかるとも言われ、コストの問題からなかなか広まっていないといわれています。
フルプロ農園では、耕作放棄地の問題を知ってもらうことも目的に、クラウドファンディングで高密植栽培への切り替え費用を調達。2018年に行った第一回目には目標金額の3倍を超える100万円以上が集まり、手ごたえを得ました。返礼品にはリンゴやジャムやジュースといったリンゴの加工品も用意しましたが、意外に人気があったのが苗木のオーナープラン。
「一本8万円という高額にもかかわらず8人もの応募者があったことで、消費者が社会問題に関心を持ちながら製品やサービスを選ぶ『エシカル消費』の可能性を感じました」と、徳永さんは話します。
100年守られてきた畑 「自分だけが作ったリンゴではない」
徳永さんの「赤沼」という地域への思いは、周りのリンゴ農家の姿勢から育まれています。
「熱心にリンゴを栽培されていた90代の男性の畑を借り受けたのですが、栽培から離れた半年後にその男性が亡くなりました。前のシーズンまでリンゴを作り続けていたことを考えると限界までリンゴの木を世話していたのだと、まごころが心にしみました。リンゴの木は大切に世話をすれば100年以上実をつけます。リンゴの畑が脈々と受け継がれてきたことを思うとフルプロが収穫したリンゴも僕だけが作ったものとはいえない。畑を守っていく責任を実感しています」。
現在、フルプロ農園には徳永さんを含む5人の従業員のほか、年間を通して50人ほどのアルバイトがリンゴの栽培と販売を支えています。JAやシルバー人材センターを通しての募集ではなく、フルプロ農園に集まるのはSNSを通じてつながった人や友人を通じて紹介された徳永さんの同年代が中心です。
「アルバイトでも、ネットショップの文章を魅力的になるように一生懸命考えてくれる。楽しい職場になっていると思います。今後は魅力的な加工品の開発や、リンゴの通年販売にチャレンジするなど経営も充実させて、農業が決して尻すぼみの産業ではないことを証明したい。誰もが働けるビジネスとしてのロールモデルになりたいと思っています」。
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