就農の経緯は
高校卒業後、3年間の研修を経て就農し、現在18年目を迎える井上さん。高校2年生の時にホームステイで訪れたアメリカ・オレゴン州の大規模農場の景色と自由な雰囲気に感動し、農家になることを決めました。
高校に通いながら夜間の就農準備校に1年間通い、その後、埼玉県内の有機農家の元で3年間研修。高校の同級生だった友人と2人でためた200万円を手に、山梨県北杜市に移住し農業を始めました。就農先を北杜市に選んだ経緯や、見知らぬ土地でどのように畑・住居を探し販路を見つけていったのかなど、金なし、コネなしで独立就農を目指す方の参考になるエピソードが盛りだくさんです。
(参考)
普通科高校卒から移住・新規就農 元「金髪・スケボー」社長が農業で得たもの
バイトで食いつないだ数年 あきらめない気持ちで危機乗り越え
1.金子美登さんにあこがれ、有機農業志す
アメリカで見た大規模農場の壮大さに心奪われた当時17歳の井上さん。普通科高校に通いながら、全国農村青少年教育振興会が開催していた夜間の就農準備校に1年間通いました。
「帰国後、希望の進路も特になく、農業がいいかなと思って都内で開催されていたU・Iターンフェアに顔を出すように。ただ、来場者も出展している自治体側も50歳以上の人ばかりで10代の私はとても目立っていました。加えて、当時の私は隣には彼女、片手にはスケートボードといういで立ち。どのブースでも本気で対応してもらえませんでした。たまたま立ち寄った山梨県で、『あんた、NPKって分かる?イロハのイの手前も知らない人には話をするのさえ疲れる』と言われたことに奮起し、就農準備校に通い始めたんです」。
ほとんどの講義は「退屈だった」なか、埼玉県小川町の有機農家金子美登さんの講義に「第二の衝撃」を受け、有機農家を志すように。金子さんの紹介で、所沢市内の有機農家田中義和さんのもとで3年間の研修を積み、有機農法を学びました。
2.土地探し、農政課職員の対応が決め手に
3年間の研修中、2、3年目は再びU・Iターンフェアに足を運び、就農先を探しました。高校の同級生だった相方も仲間に加わり、2人で自治体の窓口を訪れたり、自治体が主催する農地見学ツアーに参加したり。10か所以上の地域を検討したそうです。
山梨県北杜市を就農先に選んだ決め手は3つ。一つ目は、農地見学ツアーで訪れた北杜市内の山並みや自然が、初めて農業にあこがれたアメリカ・オレゴン州の景色に似ていたこと。二つ目は、見学ツアーで知り合った人がすでに北杜市での就農を決めており、知り合いがいる安心感。三つ目は、行政の担当者が初めて、真剣に話を聞いてくれたためです。
「相方は赤髪のモヒカン、僕は金髪。どこへ行っても『新規就農は無理だよ』と追い払われていました。でも当時の北巨摩郡長坂町(現北杜市)の農政課の担当の方が『金髪とモヒカンか、面白い』と初めて話を聞いてくれて。その場で電話をして農地を探してくれました」。
住居は地元の人に、しばらく空き家になっていた物件を紹介してもらい、翌月には引っ越しを済ませました。
3.軍資金はバイトで貯めた200万円 初年度で大赤字に
就農した2001年当時、現在の農業次世代人材投資資金のような新規就農者向けの公的支援はなく、井上さんと相方の移住時の軍資金はアルバイトで貯めた200万円。このうち100万円が、床が抜けていたという借家の修繕費に、20万円がトラクター代に消えました。堆肥は埼玉県内の研修先で作らせてもらい、トラックで運びました。残りの80万円で資材や苗を買い、家賃月5千円を含む当面の生活費を支払っていきました。
しかし5か月後、井上さんらに悲劇が襲います。友人の紹介で初年度は健康食品として注目を集めていたヤーコンを農地の3分の2にあたる20アールで栽培しましたが、収穫直前の10月、取引先が倒産したと連絡を受けたのです。
当時の所持金はゼロ。自力での販売を試みたものの、一般になじみのないヤーコン芋は収穫の1割も売れませんでした。葉っぱの部分をお茶に加工し、実家に頼み込んで埼玉で販売しましたが、その年の売り上げは50万円ほど。生活費を賄うため、井上さんは造園業で、相方はパチンコ店でのアルバイトを始めました。
4.3年目に、原点回帰 多品目栽培・直販で地道に販路広げる
売れなかったにも関わらず2年目もヤーコンをメインに作り、3年目となった2004年、やっと原点回帰し多品目栽培に切り替えます。60品目ほどを栽培し、近くの別荘地にひき売りに行ったり、実家の近くの知り合いを中心に定期宅配をしたりと販路を広げる努力を重ね、年間の売り上げがやっと300万円を超えました。
4年目、相方が実家の都合で農業を離れてからも、井上さんは寝袋を持ってハウス内で寝泊まりするなど一人で多品目栽培と販売を続け、5、6年目には地元の農家の紹介で、現在のメインの出荷先となる生協との取引の道が開けます。それに伴い、やっと経営も安定していきました。
5.地域に馴染むために
移住時、金髪と赤モヒカンのコンビは地域から完全に浮いていました。庭でスケートボードの練習をして「うるさい」と注意を受けることも。
何とか地域に馴染もうと、2人がとったのが、野菜配り大作戦です。自家消費用に栽培した野菜を手に近所の家を訪問し、話をするきっかけを作っていきました。「ポイントはあまり地元で作っていないけれど珍しすぎない野菜をあげること。最初は隣近所や大家さんなど5軒くらいから始め、最終的には30軒ほどに野菜を配っていました。
その後、地域の組合の役員になったことを機に地域での人脈がぐっと広がったといいます。
就農を考える方にアドバイス
「自分の就農方法は、今から考えるとあまりに行き当たりばったりで無謀だった」と井上さん。多くの自治体に冷たくあしらわれた経験も、「自治体側からしたら、お金もコネも全部ない人を責任もって受け入れるのは難しいと今ならわかる」。
農業が本気でしたいなら、金銭面や自分の年齢を含めた人生設計をしっかり検討する必要があると強調します。「様々な研修先や雇用就農の形で技術や人脈を身に着け、独立する方が確実です」。
現在の目標は、北杜市を「多様性のある農業者のまち」として売り出していくこと。
「北杜市の新規就農者は売上が800万円作れたら成功と言われていますが、産地化された作物がなく規模の小さな農家の多い北杜市では難しい。一方で、豊かな自然に囲まれ都市にも近く、歴史的にも新規就農者が多い北杜市での就農・生活は、金銭面だけでない満足度が高いはず。例えば売り上げは500万円だけれど生活自体を楽しめるような、ライフスタイルと生活の満足の両立を提案できる土地にしていきたいです」。