デビューまでに16年かかった「だて正夢」
2018年に古川農業試験場からデビューした「だて正夢(まさゆめ)」という品種は、「げんきまる」と「東(とう)1126」を掛け合わせて生まれました。古川農業試験場作物育種部主任研究員・遠藤貴司(えんどう・たかし)さんによると、だて正夢は、なんと20万分の1の確率で生まれた品種だそうです。
ひとめぼれを超えるおいしさを目指して新品種を開発する中、着目したのはお米の粘り。お米は、含有する「アミロース」というでんぷんの含有率が低くなることで、もちもちと粘ります。たとえば、一般的なうるち米のアミロースは17〜23%程度ですが、もち米のアミロースは0%です。
最初の交配は、「低アミロース遺伝子」を持つ、北海道生まれの「おぼろづき」と宮城県生まれの「まなむすめ」を掛け合わせました。
しかし、こうした本州と北海道の品種を掛け合わせる交配はめずらしいと遠藤さんは言います。「基本的には出穂期(穂を出す時期)が近いもの同士をかけ合わせます。すると、育種目標にかなった理想的な子どもたちがいっぱいでき、最終的に選ばれる系統も多くなります。一方で、北海道や九州の品種など、宮城県とは大きく環境が異なる地域の品種を掛け合わせると、出穂期が大きく分離してしまい、育種目標にかなった理想的な子どもたちは、ほんのわずかしか出てこなくなります。たとえば、子どもたちが2000個体できたとしても、宮城県に合う出穂期の系統はごくわずかで、その中から収穫量が多くて食味が良いものを選ぶとなると、さらにその数は少なくなります。このような交配組み合わせは、結果的に選抜の効率が悪くなるので、よほど取りたい遺伝子がなければ行うことはありません。それでも、「だて正夢」を育種するにあたっては、もちもちと軟らかな低アミロース遺伝子を導入するために、あえて効率が悪い交配を行ったのだそうです。
では、北海道の品種と宮城県の品種にはどのような違いがあるのでしょうか?
稲は日の長さ(日長)が短くなると、花芽を形成して穂を出す性質がある「短日植物」です。そのため、緯度が高く日が長い北海道では、本州で栽培されている稲を栽培すると、いつまでも出穂しない状態になってしまいます。そのため、北海道では、日の長さを感じる性質(感光性)を失った品種が選ばれて栽培されています。
このように、出穂の条件がまったく違う性質の品種同士を掛け合わせたところ、最終的に育成されたF7世代(雑種第七代)の「東1126」は、収量性が不十分で、東北番号をつけるまでには到りませんでした。しかし、ブリーダーたちはあきらめず、「東1126」を中間母本(※)として、再び「げんきまる」と掛け合わせて育種を進め、ようやく「東北210号」が生まれました。これが、「だて正夢」です。
「外国イネの遺伝子や遠縁の親品種を導入するときは、一回の掛け合わせではうまくいきません。そこで、中間母本を作って、それをさらに有望系統と掛け合わせるのが基本。中間母本まで6、7年かかり、品種になるまで再びその年月がかかるため、合計で14、15年かけて品種が生まれます」と遠藤さん。「だて正夢」に関しては、「東1126」が生まれるまでの準備期間に6年、「だて正夢」が生まれるまでに10年。計16年もかかったと思うと、「だて正夢」へのありがたみが増してきます。
※ 耐冷性などある特性が極めて優れている一方で、食味が劣ったり収穫量が少なかったりと不良形質をともなっているため、そのまま実用品種としては利用できない場合、実用品種を作るために育種素材(交配する際の母となる稲)として利用する系統。
日の目を見なかった“幻”の優良品種
実は、「だて正夢」と同時期に「ひとめぼれを超える品種」を目指して育種されていた品種がありました。
それが、「東北206号」。「ひとめぼれ」と千葉県で生まれた「ふさおとめ」を掛け合わせて生まれた品種です。高温耐性と耐冷性に優れ、収量も取れて食味も良いなど、「低アミロース遺伝子」は持っていませんでしたが、ブリーダーたちの中では、食味の評価が一番高かった品種でした。
「東北206号」を食べてみると、ふっくらとして軟らか。同時に食べた、「だて正夢」「ひとめぼれ」「ササニシキ」に比べると、ごはんが若干白いことが分かります。アミロース含有率は「ひとめぼれ」と同じくらいだそうですが、「ひとめぼれ」よりも若干軟らかいように感じます。
「東北210号」か、「東北206号」か。どちらを品種としてデビューさせるか。最後の決め手は食味の「インパクト」や「分かりやすさ」だったそうです。
ちなみに、「だて正夢」は水分を少なめにして炊くと、甘さやもちもち感を感じやすいとのこと。実際に水分少なめで炊いた「だて正夢」を食べると、しっかりとした弾力と、味の濃さを感じました。
見た目が美しく、良食味でありながら、今では世に出ることがなくなった“幻の品種”「東北206号」。惜しいとは思いますが、現在古川農業試験場では、作期を分散させるために、中生の「東北206号」の食味をベースに早生と晩生の品種を開発しています。「東北206号」そのものは今後も世に出ることはありませんが、その血は引き継がれているのです。
人為的な育種だからこそ生まれた“ひょうたんから駒”の品種
一方で、想定外に生まれた品種もありました。2011年に古川農業試験場からデビューした「さち未来」です。
もともとは古川農業試験場で生まれた「まなむすめ」の食味に、いもち病(稲に発生する病気)抵抗性をつけるなど、“まなむすめの改良版”を目指して育成が進められていました。その目標を達成するためにマレーシアの在来種を掛け合わせたところ、思いがけず「高アミロース性遺伝子」が入ってしまいました。つまり、粘り気のないお米になってしまったのです。
当初の目標とは変わってしまったものの、「おもしろい」と思ったブリーダーたちは、この系統を捨てずに育種を続け、品種化までたどり着きました。パラパラとしているため、炒飯やピラフ、ライスサラダなどに適しています。
ブリーダーたちの判断のおかげで生き残り、見事に品種となった「さち未来」。とは言え、「なんでもかんでも残してしまうと、材料が膨れてしまいます。『ブリーダーは捨てるのが仕事』と言う人もいるほどです」と遠藤さんは言います。古川農業試験場の田んぼには1年分の稲だけで10万系統植えられていますが、5年分と考えると単純計算でおよそ50万の系統が植えられているということ。このほとんどを田植え機などの機械を使わず、ブリーダーたちが手で種をまき、手で苗を植えているというから大変な作業です。その上、品種化に向けて、F5世代は1系統30個体、F7世代は1系統60個体と、世代を経るにつれて遺伝的な理由から1系統当たりの植え付け個体数がどんどん増えていくため、たしかに捨てていく作業が必要であることがうなずけます。
遠藤さんによると、最新の育種研究では、ブリーダーの多大な手間や目利き、きめ細かな管理を駆使した従来の育種とは別に、AI(人工知能)を使って過去の栽培データや特性データなどのビッグデータを利用し効率的に最適な交配組み合わせを探るといった研究も進められているそうです。
「従来の育種のシステムは、やっていることのほとんどが非効率。本当に人手や手間がかかりますし、将来的に現在の育種システムを維持できるかどうかはわかりません。今は過渡期ですね」と遠藤さん。それでも、“ひょうたんから駒”で生まれた「さち未来」の誕生エピソードを知ると、ブリーダーの勘や目利きが生きる従来の育種システムだからこそ生まれ得る品種にも期待してしまいます。
品種は地域性ごとに生まれる時代
近年デビューした品種の中には「地域ブランド」として各道府県がPRに力を入れている品種もあります。こうした品種は多くの人に知られていますが、同じようにデビューした品種でも自治体が大々的にPRをしない品種はその存在を知る人は極端に少ないのが現状です。
「普及するかしないかはブランディングの問題もあるので、品種の実力とは違った世界ですが、たくさんとれるものとか、本当においしいものとかは残るし、次の世代にも引き継がれる。そういった品種を作りたい。過去の作品(品種)は超えたいと思っています」と遠藤さん。現在は地域性が重視されているほか、各道府県で育種が進められていることもあり、今後は「ひとめぼれ」や「コシヒカリ」のように一品種が全国に広がる流れが起きる可能性は少なそうです。
各道府県に古川農業試験場のような施設が存在しているということは、つまり日本には膨大な数の稲の“たまご”、つまり新品種候補が存在しているということ。お米の消費量は年々減少していますが、私たちが食べているお米が生まれるまでのドラマを思うと、これまでとはお米の見方がちょっと変わるのではないでしょうか。