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北海道で、放牧酪農で暮らそう。大阪から来た二人の選択と今

深江 園子

ライター:

北海道で、放牧酪農で暮らそう。大阪から来た二人の選択と今

北海道・美深(びふか)町は、人口約4300人の林業と農業のまちです。旭川から100キロ、車なら高速道経由で約100分で、旭川から稚内へのおよそ中点あたり。南北に流れる天塩(てしお)川に沿って走る道沿いに、畑作農場や、乳牛、肉牛、羊の牧場が点々と続きます。ここに、2006年から塩崎智史(しおざき・さとし)さん、理恵(りえ)さん夫妻が営む塩崎牧場があります。ともに非農家の出身で、大阪から農業系大学へ進学し、放牧酪農にこだわって就農した塩崎さん夫妻。その経緯や放牧酪農を選んだ理由、そして中学生から赤ちゃんまで4人の子どもたちとの暮らしについて伺いました。

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大阪の高校生が北海道農業へ

料理への興味から酪農へ

北海道で塩崎牧場を営む塩崎智史さんは、大阪府立農芸高校から帯広畜産大学へ進学し、大学で同じ大阪出身の理恵さんと知り合ったそう。いわゆる“町の子ども”だった智史さんが酪農家になるのは大胆な飛躍のようですが、そこには自分なりの模索があったと言います。「中学生頃から料理に興味があったけれど、志望は公立高校。それで、何かしら食関連で専門性のある学校を自分で探しました」。農芸高校入学後に選んだのは、乳製品や肉の加工も学べる畜産科。牛、豚、鶏の飼育実習を一通り体験して、牛が一番自分に合うと感じるようになります。それならば進学先は北海道が最適と考えた智史さんは、帯広畜産大学へ進みました。

帯広畜産大を経て、目標とする酪農家のもとで研修

智史さんと理恵さんは共に大阪出身ですが、出会ったのは大学のキャンパスでした。理恵さんは「大阪も楽しかったけれど、もっとゆっくりと自分に合った暮らしがしたい」と感じて畜産大へ。智史さんは「高校時代は活魚居酒屋の厨房(ちゅうぼう)でアルバイトしていて、実は大学生になってもまだ、料理の道もいいかなと(笑)。それが、ある本を読んで変わりました」。大学3年で出会った本とは、「マイペース酪農 風土に生かされた適正規模の実現」。著者は中標津町の放牧酪農家、三友盛行(みとも・もりゆき)さんです。そこには、拡大路線とは違う牧場経営の視点と実践が示されていました。実は、高校・大学と牛飼いを経験してきた智史さんは、牛をつないだまま飼うことや、高カロリーの飼料を与えて乳量を増やす飼い方に、漠然と疑問を感じていました。このやり方は牛の本来の性質に合っているのだろうか。それに、酪農だからといって休みなく働き、拡大を目指すのは何か違う……。「一度見学したい!」と三友牧場を訪ねた二人は、何度か通ううちに卒業後の研修を許されました。

土地探しと資金調達〜就農

大学卒業後の2002年、結婚を予定していた二人は、三友牧場の宿舎に住み込みで2年間の研修を開始。夢中で働く中で、三友さんは二人に牛舎の仕事を任せるなど、就農を見据えた指導をしてくれました。三友さんの奥さんがつくる放牧乳のチーズ工房も有名でしたが、研修中は牛飼いに専念するよう厳しく教わったそうです。「牛の能力を生かして、体力は要るけど時間も経済も伴った、人間らしい暮らしができる。それを実感して、放牧酪農ができるなら農家になろうと決めました」と、智史さんは振り返ります。
就農実現のため、研修の一方で進めていたのが就農先探しです。牛1頭に1ヘクタール以上必要と言われる放牧に適した規模で、できれば現役農家から引き継ぎたい。研修2年目の秋、農業新聞で見つけた酪農家のマッチンググループを訪ねた先が美深町でした。マッチングはかないませんでしたが、町内に放牧も行う酪農家が引退を考えていると聞き、智史さんはその足で農家を訪問。「連絡先も知らずいきなり戸を叩いたので、さすがに驚かれました(笑)。でも、2回訪問してお話しする内に、継承の話が進み始めました」。2004年に二人は結婚し、美深町へ移住しました。町の研修制度は2年以上が原則。その点、継承先で直接研修できた塩崎さん夫妻はスムーズなスタートが切れたといいます。「翌年に長女が生まれた時も、継承先のご家族が赤ん坊を見てくださったりと、いろいろお世話になりました」(智史さん)

資金計画については、いくつもの制度が活用可能です。智史さんのケースでは、着手資金としては就農支援資金(現・農業次世代人材投資事業<準備型>)を確保。農場と設備は各リース事業(公社営農場リース事業、畜産環境整備リース事業)で評価額の50%で取得し、リース期間が終わる5年後と12年後に支払う残存価格相当は、農業経営基盤強化資金(スーパーL資金)で借り入れました。また、餌代などの運転資金と、リース対象にならない古い機械や若牛の費用も、就農支援基金(現・農業次世代人材投資事業<経営開始型>)で借り入れました。返済計画は20年に設定しましたが、経営状態は良好で、10年間で返済を終えています。「複数の制度を利用するので、返済額は年によって増減がありましたね。生乳は組合へ出荷して売り上げを立て、餌はほぼ自給。搾乳牛40頭前後を維持しています」(智史さん)

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放牧酪農家の暮らしと仕事

放牧酪農家の一日

2019年現在、塩崎牧場は経営面積100ヘクタール(うち放牧専用地50ヘクタール)、牛はニュージーランド産ホルスタインの掛け合わせなど約50頭(うち搾乳牛35頭)。夏は昼夜放牧、冬は小屋で乾草を与えています。「放牧がいいのは、がんばれば一人でも牛の仕事ができること」と、二人は口を揃えます。一回の牛舎仕事の目安は二人なら2時間、一人なら3時間半。

一日の始まりは朝5時前後。放牧時期は牛たちが小屋に戻ってくるカウベルを目覚ましがわりに起床し、すぐに牛舎へ。見ていると、牛舎に牛が入ると同時にベビーベッドを運び入れ、そこに赤ちゃんを寝かせながら牛舎の仕事が始まります。「子育て中の酪農家ではよくあるんですよ。牛舎内に育児部屋をつくる人もいます」と智史さん。牛を放牧地に出すと、家に戻って一段落。8時に朝食(子どもたちは先に食べて登校)、事務仕事や家事を片付けたら、大工仕事をしたり人と会ったりする日もあります。12時半に昼食、午後は疲れ具合に応じて仕事や休憩をし、15時前後に小学生、中学生の順に、夫婦どちらかが車で迎えに行きます。夕方の搾乳は16時からで、子どもたちのお迎えが重なるこの頃が一日で一番忙しい時間帯。手分けしながら上の子どもたち3人の部活や稽古(けいこ)事の送り迎えをこなし、19時〜19時半には仕事を終えて、帰宅した子どもたちと食卓を囲みます。「理恵は送り迎えを優先し、合間に牛舎仕事やトラクター仕事、食事づくりをしてくれます。僕は、牧草の収穫時期は朝から晩まで牛舎かトラクターの上で、家に帰るのは寝る時だけ。それでも一日の中で仕事の合間に時間が作れますし、忙しくても月に2、3日くらいは休みをとるようにしています」(智史さん)

夫婦で工夫、子育てや余暇

4人の子どもたちの子育て環境について、理恵さんはこう感じています。「地域の学校は小中学校が複式学級(二つ以上の学年を一つにまとめた学級)で、幼なじみとずっと机を並べて育ちます。中学校は教科担任制ですから、生徒に対して先生の人数が多く、むしろ手厚いかもしれません。小学生にも中学の先生方が特別授業をする制度があって、子どもの興味のきっかけになっていますね」。子どもたちはそれぞれバレエや野球、ピアノなど、好きな稽古事に通っていて、大人は送り迎えのついでに旭川や札幌へ足を伸ばすことも。智史さんの普段の楽しみは、DIYやパンづくり。理恵さんも、先輩酪農家女性たちから暮らしの中の楽しみを教わっています。「例えば、ターシャ・テューダー(※)のことを教わったのも酪農家の先輩から。時々、環境についての勉強会にも参加しています」。

※ アメリカ・ニューイングランド地方の絵本作家・園芸家。開拓時代に影響を受けた自給自足的ライフスタイルで知られる。

帰省や旅行は、夫婦どちらかが留守番と牛の世話をして、もう一人が大きい子を連れて出かけています。学校の夏休みに理恵さんが留守番をして、智史さんが子ども3人と自転車旅行をしたり、冬休みには親子で昼からスキー場に出かけたり。数年前には、酪農ヘルパーと酪農家の知人の協力で、親子5人で1週間のスイス旅行をしたこともあります。夫妻は子どもたちの成長に合わせながら、これからも生活を楽しんでいこうと話し合っています。

“放牧という生き方”を選ぶ人を応援したい

就農して14年、経営が安定し、子どもたちの成長真っ盛りの塩崎さん一家。今後やりたいことも聞いてみました。智史さんは「頑張ってせっかく生まれたゆとりを、仕事の拡大に使ってしまいたくない」と、家族一緒の時間や、普段の暮らしの豊かさに価値を置いています。「仕事が目的じゃない。人間らしい暮らしのために、放牧酪農を選んだ」という姿勢は一貫しているのです。こうした価値観を伝えることも、やりたいことのひとつです。「放牧酪農の方々が、道内各地にネットワークをつくっています。困りごとを相談できる先輩や仲間に助けられたので、自分もそうなれれば」。後輩学生の見学受け入れや、道北の酪農家ネットワーク「もっと北の国から楽農交流会」(枝幸町・石田幸也代表)経由で就農希望者の研修を引き受けることも、その一歩です。

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