発足のきっかけ
今年で44歳になる渡邉さんが実家の柑橘(かんきつ)農家を継ぎ始めた2000年頃には、大三島にはイノシシはいなかったとのこと。就農して4、5年が過ぎた30歳くらいの頃、突如現れ始めたのだそうです。イノシシの繁殖力は高く、島の人がなすすべもなく手をこまねいている間に、農家が丹精こめて育てた柑橘を存分に食い荒らし、あっという間に数を増やしました。
旺盛なイノシシの食欲に、園地のみかんを食い荒らされてしまった渡邉さん。「このままではみかんが全滅してしまう!」と約50万円の費用をかけてワイヤーメッシュの柵を導入し、父親と2人で、足場の悪い柑橘畑の急斜面に1カ月かけて設置しました。そのかいあって、柵を設置した園地からはイノシシの被害がなくなりましたが、代わりに柵を設置できない園地や農家の柑橘畑に被害が集中。
そして、イノシシ被害を受けて廃業する農家が出始め、その廃業した農家の耕作放棄地でイノシシがまた繁殖する、という悪循環に島内は陥りつつありました。
「防ぐだけでは解決しない。攻めに出なければ」と、渡邉さんは檻(おり)わなを設置して、ボランティアでイノシシの駆除を始めました。が、100キロ近くある大きなイノシシを解体して山に埋める作業は、一日がかりの大変な重労働。渡邉さんや仲間がボランティアとして受けられる許容量をはるかに超える作業を伴うものでした。さらに、駆除は数匹捕って終わるものではなく、島の農業の存続のためには年間を通して日々続けていかなくてはならないほど、イノシシは大三島で数を増やしていました。
そこで「手間ひまかかる駆除作業をボランティアとして存続させていくことは不可能。報酬が発生するビジネスにしていかなければ」と、渡邉さんはイノシシ駆除で地域貢献をしつつ収入も得ていくためのグループを組織することを決意。そして2010年、渡邉さんを中心に島の柑橘農家や猟友会のメンバーから成る「しまなみイノシシ活用隊」(以下シシ活隊)が結成されました。
命の有効活用
シシ活隊のメンバーは現在17人。島外からの移住者を含むメンバーのほとんどが狩猟免許(わな・猟銃)を保持しており、わなの設置と見回り、わなに獲物がかかった時に止め刺し(とどめを刺すこと)と放血をする捕獲スタッフと、その後の処理を請け負う解体スタッフに分かれています。ハンターなどから成る捕獲部門は人材が豊富だそうですが、現在解体スタッフが3人しかいないため、解体処理ができるメンバーを募集中です。
狩猟期間は各自治体によって決められていますが、ここ今治市の大三島では所定の届を出して手続きをしておけば、島の住民ならば、ほぼいつでもイノシシの捕獲(駆除)が可能。年間を通して400頭あまりが島民によって駆除されているそうで、そのうちの250~300頭がシシ活隊によるものです。また、狩猟のシーズンには島外からイノシシ猟のハンターが集まり、さらに年間約400頭が捕獲され、そのまま島外に持ち帰りされています。
このように年間約800頭のイノシシが大三島では捕獲されていますが、大三島のイノシシの繁殖力はすさまじく、これでやっと増殖を抑えられている状態なのだそうです。
シシ活隊の食肉加工の第一人者として確かな処理技術を持つ渡邉さんですが、シシ活隊として活動するまでは動物をさばいた経験は全くなかったそうです。本来は動物好きな渡邉さんだからこそ「イノシシは殺して終わりじゃない。命を無駄にしないためにもそこからが大変なんです!」と、資源化して有効活用することの重要さ、難しさを語る言葉に力が入ります。
名立たるレストランのシェフたちから絶賛され、全国からオーダーが入るシシ活隊のジビエ肉。大三島の自然の中で特産の柑橘や、ドングリをお腹いっぱいに食べて育ったイノシシは「軟らかで甘みがあって爽やかな柑橘の香りがする」と、2016年度の日本猪祭りで利き猪グランプリに選ばれています。
ですが、この快挙にも「ジビエってのは自然のもので個体差があるものだから、日本一になったのはたまたまだと思う」とあくまでも一つの現象としてクールにとらえ、一つ一つの個体のポテンシャルを引き出す努力を惜しまない渡邉さんとシシ活隊。
イノシシの解体作業を始めて9年目のシシ活隊は、さまざまな顧客からの要望に応えることのできる、きめの細かい解体・加工技術を体得しています。ジビエシーズンに入った11月下旬の取材時、最も力を入れているのは鮮度を保つことができる皮つきの半身での出荷なのだと話してくれました。その他、肉の状態や季節に応じて、部位としてではなくスライス肉やミンチ肉、ソーセージなどの加工品にしたりして、各個体を無駄なく有効活用しています。
食肉処理・加工以外の活動
シシ活隊のメイン活動は食肉処理・加工ですが、他にもイノシシ肉を使ったランチ店の経営や、地域おこし協力隊として大三島にやってきたメンバーによる、皮・骨を利用した活動も行われています。
最初の2年間は廃棄されていた皮ですが、3年目からは姿を変え、「Jishac(ジシャク)」というブランド名が付けられた皮革製品になっています。
写真のキーホルダーやコースターといった小物のほかにバッグや財布などがあり種類も豊富。このメンバーは地域おこし協力隊としての活動を終了した現在も大三島に定住し、イノシシ革の活用で生計を立てています。
埼玉から移住してきたメンバーは、廃棄されていたイノシシの骨を利用して「猪骨(ししこつ)ラーメン」のお店を2018年に島内にオープン。豚骨のようにこってりしすぎず、かといってあっさりもしすぎず、全てが絶妙においしいという猪骨ラーメンは新たな島の名物となっています。
地域貢献をしつつ収入を得ていく
取材時の11月下旬はジビエのシーズンで、全国のレストランから入る受注処理に渡邉さんは大忙し。在庫の方も、ここ3日間で10頭ものイノシシが持ち込まれたそうで、取材日の前日までは解体作業で息つく暇もないほどだったとか。
「ジビエをビジネスにするには営業スキルがとても大事なんです。ジビエって自然のものだから、いつどんな肉質のものが入ってくるか分からないんですよね。『いいのが入った時に連絡して』とこちらを信じて待っていてくれるお客さんをたくさん持てることが重要なんです。お客さんとの信頼関係がなければジビエ肉の販売は成り立ちませんね」(渡邉さん)
ジビエを扱うレストランや老舗旅館に足を運び、プロの料理人たちの声を聞き、要望に一つずつ応えることでリピートにつなげ、シシ活隊ならではの一歩踏み込んだ商品づくりに日々努めている渡邉さんです。
「イノシシを害獣として駆除するのではなく、被害を資源に変えてビジネスとして成り立たせていく」シシ活隊のポリシーはぶれることなく、現在、大三島のイノシシは、しまなみ産の野生イノシシ「あらくれ」として愛媛の特産品の地位を築きつつあり、売り上げの方も3年前の2016年からは農業被害額を上回るものになっています。
「『地域貢献をしつつ自分の生活も成り立たせていく』という発足当時の目標をクリアできた今、そのノウハウを知りたいといろんな自治体から問い合わせや視察の申し込みがきています。農家の高齢化が進み、耕作放棄地が増えている今、ジビエはもっとメジャー化し、獣肉加工施設を運営する団体は今後もっと増えてくると思います」(渡邉さん)
現在、大三島のシシ活隊の他に松山市でも「高縄ジビエ」として、もう1カ所獣肉加工施設を運営している渡邉さん。来春からはジビエ加工を学びたいという若者が新たに加わる見込みで、基地となる獣肉加工施設もさらに増やしていく予定。9年の活動で培ったジビエのノウハウを希望者には伝授していきたいと渡邉さんは言います。
今後の課題
現在はイノシシの内臓と足先部分のみ利用方法が見つからないため破棄していますが、これを有効活用することが今後のシシ活隊の課題なのだそう。
「堆肥(たいひ)化を試みてはいるんだけど、なかなか難しくて。内臓と足先の活用化のアイデアとそれを実現化してくれる人、誰かいませんか?」(渡邉さん)
全ての部位を活用できてこそ、真のイノシシ活用隊という渡邉さん。シシ活隊が目指す、害獣ではなく資源としてのイノシシの活用、その新しい共生のカタチに今後も目が離せません。