デザイナーから農家へ
林浩陽さんが社長を務める株式会社林農産は、金沢のベッドタウンでもある石川県野々市市にあります。本人いわく「都市部の棚田」というくらい小さい田んぼがあちこち点在している状況ながら43ヘクタールの耕地面積を持ち、役員2人、従業員10人。年商は9900万円。うち自社ホームページでのインターネット通販による売り上げは1500万円を誇ります。
しっかりと経営していることもさることながら、林農産の特徴はとにかく明るい雰囲気。林農産のキャッチフレーズは「23世紀型お笑い系百姓」。一見ふざけているようですが、当人は大真面目。ネイティブアメリカンが重要な決定を下すときに7世代先、つまり200年後のことを考えて決めたという逸話から、200年先の23世紀に思いをはせて「23世紀型」に。またどんなに良いことでも聞いてもらえなかったら意味がないという考えから、物事をチャーミングに伝える、つまり「お笑い系」とやわらかく。そして百の姓(かばね=仕事)をするということから農家ではなく「百姓」にしました。
このキャッチフレーズからして型破りなんですが、どうしてこんな農家が生まれたかは、林さんのユニークな経歴からきています。
林さんは金沢美術工芸大学出身。もうこの時点で農家としてはかなり異色。卒業後、大手自動車メーカーのデザイナーとして働くことになったのですが、勤めて半年もしないうちに農家を始めたお父さんから連絡があり、「人手が足りないから帰って来い」と言うお達し。悩みはしましたが長男ということで帰ることに。そこから林さんの農業人生は始まりました。
どん底の経験から天皇杯へ
農業研修する間もなく、ぶっつけ本番で農家になった林さん。栽培技術や経営のことなど右も左も分からず苦労はありましたが、素人だったことと、またデザイナーとしての視点もあったことから、農家の常識を常識と思わない目線もありました。28歳で当時有限会社だった林農産の代表取締役になった林さんは、積極的にパソコンを経営に導入。「農作業日誌や土地台帳を組み合わせて線形計画法という手法を取り入れ、大規模稲作を目指していた」と言います。
その当時は新食糧法の制定前で、まだ生産者が米を自由に売れない時代。そこで林さん、餅に加工して売ることにしました。餅なら価格は自由につけられるということで挑戦したのですが、最初はどう売っていいのかもわからず、とりあえず近くの農協系スーパーで販売開始。最初の頃は品質管理も十分でなく返品の嵐なんてこともあったようですが、味が評判になり徐々に売れていきました。そうしているうちに東京の食品メーカーの営業マンがやってきて、うちに餅を卸してくれないかと求められました。その量が半端なく、毎日のし餅10枚入りを800袋。年換算で1億6千万の売り上げになるという皮算用から飛びついてフル生産しました。最初は順調に納品していたのですが、ある日突然、銀行から連絡があり「御社の手形が落ちません」の連絡。手元に残ったのは1400万円の不渡りの小切手。ここで初めて詐欺に遭ったことを悟り、文字通り膝から崩れ落ち、目の前が真っ暗になったとのこと。
あまりに悔しく、なんとか回収したいと大手の信用調査会社に電話をしたところ、その会社の経験豊富な部長さんに「あなたみたいな若い人がそんなドロドロした争いに足を踏み入れても一銭の得にもなりませんよ。そんな暇があるならお米の一粒でもお餅の一個でも売りなさい!」と諭されたそうです。そんな言葉を素直に聞くのが林さんのすごいところ。心を切り替え、まず餅の品質管理、味を見直しました。そして卸販売に頼る姿勢を改め、個人客への直売にスイッチしました。経営の勉強会にも真剣に参加し、経営は徐々に上向きに。林農産の餅の販売先は、今も8割が利益率の高い個人客とのことです。
その頑張りが認められ、1992年になんと就農7年で農業の賞の中で最高峰の、農林水産祭天皇杯を受賞することになりました。林さんは「その当時農水省が推奨していた、法人化、パソコンを活用している、Uターン、若いという条件が揃っただけ」と話しますが、ベテラン農家を抑えて32歳の若さでの受賞は異例でまさに快挙でした。
この受賞はすべてアグリファンド石川(※)をはじめとする若手有志の勉強会があったからこそと林さんは言います。その勉強会はかなり厳しく「農家から経営者へ。そして数字が読めない経営者はいらない」と鍛えられたそうです。その勉強会から巣立ったのが石川県の宇宙人農家達。
※ 農家有志で立ち上げた、JA石川信連主管による総合資金借入農家の農業経営・相互研究の場。
私もそんな宇宙人メンバーのプレゼン大会に参加したことがあります。近況報告と「5年先にどうなっていたいか」をテーマにした発表だったのですが、真っ先に言われたのが「決算書持ってきたか?」の言葉。決算書もなくて、経営について5年後の発表なんかできるか……と叱咤激励されたのを今でも覚えています。徹底して数字の勉強をしているから、アグリファンドメンバーは売り上げや経常利益なども包み隠さず話し合う仲。農業界にとどまらず、そんな経営仲間は稀有(けう)な存在ではないでしょうか?
「農業」法人として
林農産では毎年8月の20日前後に、早稲品種の稲刈りをしてそこを会場に「田んぼのフェスティバル」という有志によるコンサートを中心とした会を開催しています。田んぼを借りている地主さんに声をかけるのももちろんですが、その日は多くの農家仲間、林農産のお客さんもたくさん訪れ、来た人が皆、笑顔が絶えない、とても豊かな時間を過ごしています。農業法人としての活動以外にも、林さん個人としてPTA会長を10年以上務めたほか、還暦を迎えた今も消防団の分団長を務めるなど、地域と深く関わっています。
そんな林さんのライフワークが食育授業。幼稚園・保育園5園、小学校2校で田植え、稲刈り、脱穀、はさがけ、一部ではもちつきの体験も、毎年継続しています。他にも農業体験を受け持つ農家はいますが、通年で体験を提供する農家はそうないと思います。またそういったことに力を入れつつも、経営できている林農産(また社長をそこに快く送り出す社員)はすごいと思います。
林農産の経営基本理念は「農業を通じて豊かな生活を創造する」、ビジョンは「米を中心として『鳥さんも虫さんもみんなもハッピー』な生活を地域に根差して創造し続ける」で、まさにそれらを実践していると言えます。
今は農業法人も株式化し大型化、多様化も当たり前になってきている中、経営規模という面においては林農産より大きいところもたくさんあります。ただ会社寿命30年(東京商工リサーチの調査では2018年に倒産した国内企業の「平均寿命」23.9年)と言われる道を農業法人も歩まないとは限りません。23世紀にも存在する農業ならではの法人の姿は、きっと林農産のように地域に根ざしたところではないかと思います。
前編後記
浩陽さん(普段はこう呼んでいます)とはそれこそ私が主催する農コン、またB型飲み会(血液型B型だけでの飲み会)のようなお遊び企画にも参加してくれるぐらい親しくさせてもらっているのですが、今回取材して浩陽さんのすごさをあらためて感じました。取材中、浩陽さんから何度も出たのが「俺ってツイとうれん(ツイてる)」の言葉。デザイナーの道を断念させられ、詐欺にあっても、田んぼのフェスティバルで氷を落として足の指を骨折しても、不作で経営が苦しくなった時があってもそう言える、そんな感謝力が林農産をここまで作り上げてきたのだと実感しました。