転倒・転落が6割
農業機械作業による事故の中で最も多いのが乗用型トラクターによるもの。その原因の6割は転倒や転落によるものです。
今回参加したのは、農林水産研修所が農家の指導者向けに実施しているトラクター研修。この研修では、参加者が実際に危険な状態を体験できます。体験に入る前に、農林水産研修所の指導官の田中啓介(たなか・けいすけ)さんから、トラクターが転倒する原因を教わりました。
■トラクターが転倒しやすい理由
・重心の位置が高いこと
・3点で接地していること(※)
※ トラクターの前輪は中央の1点で支えられているため、四輪でも3点と考えます。
この2つに加えて、左右のブレーキペダルの連結・解除操作が手動のために操作を省略してしまい、片ブレーキによる急旋回につながってしまうことも原因となっているそうです。
そして、上記の事故原因が重なりやすいのが傾斜地とあぜ越え。今回は傾斜地やぬかるんだデコボコ道の走行、作業機をつけてのあぜ越えなどを実際に操縦しながら学んでいきました。
乗るトラクターは小型のものほど要注意!
まずは傾斜地の体験からスタート。20馬力、60馬力のトラクターそれぞれを操縦していきます。
20馬力のトラクター
60馬力のトラクター
・ブレーキペダルの連結を確認すること
・ゆっくり進むこと
・途中で加速やギアチェンジをしないこと
トラクターが傾斜面を走行する場合に、路面や走行状況等によって横転する恐れがあり、大きいトラクターは小さいトラクターに比べて幅が広く安定しやすいことなども分かりました。
あぜ越えで“さお立ち状態”にならないためのバランス
次に作業機を取り付けてあぜ越えをします。3点で接地しているトラクターにとって最も大切なのはバランスです。重心が後車軸寄りにあり後輪が主たる駆動輪になるトラクターは、作業機の取り付けによって重心の位置が大きく変わります。
傾斜地での操縦注意点に加え、
・斜めに進入せず、等高線に対して直角に入ること
・作業機をできるだけ低い位置にすること
・前輪への荷重分担割合を全体の20%以上とすること
今回はあえてバランスの悪い状態のトラクターを操縦します。使用するのは全体の重量が2700キロのトラクター。前輪への荷重割合を20%以上とすると、本来なら前輪に540キロ以上の重量がかかるバランスにしなければいけませんが、前輪の重量を200キロにして不安定な状態にしたものを操縦体験します。
あぜ越えでさお立ち状態になるトラクター
ガシャーンという大きな音とともにさお立ち状態になったトラクター。見ているだけでもヒヤッとするシーンでした。作業機の取り付けによって重心の位置が変わるからこそ、重量バランスの大事さが分かります。その後、ぬかるんだデコボコ道での操縦訓練もありました。
デコボコ道を進むトラクター
ここでも前輪の荷重が足りないトラクターで操縦していきます。ぬかるみに入ってしまった時は前進よりも後進の方が出やすく、その際ディファレンシャル・ギア(デフとも呼ばれます)を利かないようにするとぬかるみにタイヤがとられないそうです。
最後は高齢者体験。2017年のデータでも65歳以上の高齢者による死亡事故は全体の80%を超えています。いつかやってくる体の変化を体験することで高齢者への理解を深め、どうしたら事故が防げるのかを考えるきっかけになるこの取り組み。拘束具で関節を固定させ、足首に1キロ、手首に500グラムの重りをつけて加齢に伴う体の感覚の変化を体験します。
体験した参加者は、トラクターへの乗り降りもままならない様子。ゴーグルを装着して白内障による視覚機能の低下体験も加わると、操縦できるかも不安に。急激にこういう状態にはならないにせよ、もしそうなってしまった場合、どう助け合っていけばいいのか。高齢者の多い農業の現場だからこそ、考えなければならない問題です。
危うさに気付けない危うさから事故は起きる
フッと気が緩んだ時に起きる事故。傾斜地や重心バランスの悪いあぜ越えなど、普段はなかなか経験できない状況を体験したからこそ学びがたくさんあったようです。参加者からは「こうした極端な状況を味わったことがなかった。いざという時に冷静な判断ができるようになりたい」「こんなに危ないことなのだと、体でも理解できて良かった」という声があがっていました。
最後に田中さんにお話を聞きました。
「事業者に安全教育が義務付けられている建設機械と違って、農業用のトラクターは安全知識を得ないまま操縦することが多く、個人の経験値や勘に頼ってしまっています。さらに、個人や家族経営が多い農業の現場では、改めて安全の知識を得たり安全研修を受けたりする機会が少ないのが現状です。危険な状況が日常になってしまっていても、一人で作業しているとその危うさに気付くことができません。最悪なのは事故を起こしてしまっても、一人だということ。こうした事故が起こりやすい環境を少しでも減らしていくために今後も研修を続けていきたいと思います」
長年の経験が、かえって見えなくさせている当たり前があるのかもしれません。生産現場での作業の見直し、そのための実習機会の増加や受講の促進など、現場と関係者のそれぞれが死亡事故を起こさないために取り組むことが必要です