就農わずかでイチゴ部会で上位1割の収量に
平田さんは就農する前、中国地方のある銀行に10年余り勤めていた。銀行員時代はいわゆる「転勤族」だった。2~3年ごとに勤務地が変わるたび、子供がようやく慣れた学校を離れる暮らしに限界を感じ、脱サラを決意した。
農業の世界に飛び込んだのは、仕事でいろいろな経営者と接するうち、「自分も事業をやってみたい」と思うようになったからだ。選んだ品目はイチゴ。妻の浩子(ひろこ)さんによると、観光農園でイチゴを収穫したときの楽しい記憶が決め手になった。そこで「博多あまおう」の産地である福岡で就農した。
就農と同時に、糸島農業協同組合(JA糸島)のイチゴ部会のメンバーになった。単位面積当たりの収量は、約100人いる部会メンバーの平均を1年目でいきなり超えた。