環境の視点から見た土 「土壌保全基本法」を起草したワケ

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環境の視点から見た土 「土壌保全基本法」を起草したワケ

山口 亮子

ライター:

連載企画:連続講義 土を語る

環境の視点から見た土 「土壌保全基本法」を起草したワケ
最終更新日:2021年02月26日

「都会に暮らす人が増えるとどうしても、自分たちの暮らしていないところに水や食糧を守ってくれる場があって、そこに土壌があるということに、なかなか意識が向かない」。こんな危機感を持ち「土壌の価値が議論される場」を作りたいと、新法を起草した研究者がいる。国立環境研究所土壌環境研究室主任研究員の村田智吉(むらた・ともよし)さんだ。日本にはいまだ存在しない土壌の保全を包括的に定めた法律、「土壌保全基本法」の草案を、土壌学や環境社会学、倫理学の研究者らと共同で作った。

農地の大きな汚染は考えにくいが、予期せぬ含有物に注意

■村田智吉さんプロフィール

農学博士。1997年東京農工大学連合農学研究科博士課程修了。農業環境技術研究所(現・農研機構農業環境変動研究センター)を経て、国立研究開発法人国立環境研究所 地域環境研究センター(土壌環境研究室)主任研究員。共著に「土壌環境調査・分析法入門」(講談社、2018年)。

――村田さんはもともと農業に軸足を置いて研究していて、今は環境の視点から土を研究していますね。

農研機構から国立環境研究所に移ってからは、有害な元素が土壌の中でどんな挙動をするのか、また土壌がどのように生成されたかといった研究をしています。私の勤める国立環境研究所も、かつては農地も研究対象にしていましたが、今はしなくなってきました。
なぜなら、今の環境基本法の基になった公害対策基本法(※1)で、土壌や水や大気にさまざまな環境基準が設けられるようになって、監視の体制は強まっているからです。鉱山から出た排水が河川を伝って農業用水になり、農地に有害物質が蓄積されるというような過去に起きたことは、おそらくこの監視体制の中ではないと言っていいでしょう。自然に農業を営む中で、大きな汚染の心配はないと思うんです。
ただ、廃棄物由来の堆肥(たいひ)などを施用するときに、何が含まれているか分からないまま使ってしまって、予期せぬものが含まれてしまうことは、今後も起こり得ます。農薬の影響により、特定の農作物に生育阻害が起きることもあります。

※1 水俣病、新潟水俣病、四日市ぜんそく、イタイイタイ病といった公害病の発生を受けて制定された、公害防止対策の基本となる法律。1967年に公布、施行され、93年の環境基本法の成立により廃止された。

――農薬成分のクロピラリドですね。日本では使用されていませんが、これが残留している外国産の飼料を食べた家畜のふん尿を堆肥にした場合に、トマトなど一部の作物に障害が出るそうで、農水省が注意を呼び掛けています。

土壌の健全性を評価する指標という難題

――農地と環境の関係は、どう変わってきているのでしょうか。

これまでは環境基準を設け、有害なものがどれだけ土の中にあるか評価していたんです。けれども最近は、有害なものが新たに農地に蓄積されるケースは昔に比べて減ってきています。大気汚染が減っているので、当然大気中から土壌に付加される汚染も減っているんですね。
今後は、土の健全性を評価する指標を考えないといけないと言われています。ただ、環境省でも小委員会(より専門性の高い議論を行う委員会)を設置して議論するんですけど、この指標がなかなか難しい。たとえば微生物の量で評価できないかとか、微生物の多様性で評価できないかとか、概念上の議論はできるんですけれども、実際に土に当てはめるときに、何を基準値にしたらいいかが煮詰まらないんです。

――土の性質が地域によって異なるからでしょうか。

そうですね。あとは同じ土であっても、水田や畑など利用の仕方によって基準は変わってきます。そのため、どういう土壌なら、どういう基準に達するべきだというところまで決めにくいところがあります。
土の中に生物がたくさんいる方が、土は豊かだと言えるんです。つまり、土に微生物のエサになる有機物がたくさん含まれれば、当然微生物の量は増えますよね。すると、全部森林にしましょうとか、草地であるべきだという短絡的な発想になりがちです。そうではなく、土地利用の方法ごとに、どういう状態が健全かを細かく議論しないといけません。すでに20年近く議論されていますが、なかなか煮詰まらないんです。

土壌を保全しながら利用するという発想

――その間、農業現場は土づくりの面で、堆肥の投入量が減り、リン酸やカリウムが過剰な農地が増えるなど、悪くなる方向にありますね。

農家の高齢化も影響しているとは思います。高齢農家が細切れに農地を管理していると、十分な量の堆肥を入れるのは難しいんじゃないかと思います。現状は堆肥を入れて土づくりをすべきだとか、土を保全すべきだといった発想が、農業の根底として共有されているとは言えません。そういう状況では、何らかの指標なり、法律なりを作って、土を保全する方向に向けていかなければいけないと考えるようになったんです。

土壌はサステイナビリティーにおいて非常に重要なものであるにもかかわらず、空気や水に比べ、公共財としての重要性が認識されていません。その価値を認識してもらうための一つの方法として、制定してはどうかと考えたのが、土壌保全基本法でした。2013年度に複数の研究者らと共にトヨタ財団の研究助成プログラムとして検討を始め、草案をまとめました。

草案は、土壌の重要性を説く前文と、総則、土壌保全基本計画、基本的施策、国が新たに設置する土壌保全政策本部、付則から成ります。農地は農水省、林地は林野庁、ほかは国交省だの環境省だのと管轄が分かれてしまうと、包括的に土壌を保全する発想にはなりにくいです。一旦皆で日本の国土である約37万平方キロを保全する発想を持ちましょうというのが根底にあったんですよ。

土はできるのに時間がかかって、一旦人が手を加えると、なかなか自然の土の生成プロセスには戻りません。長い目で見て、土壌を保全しながら利用するという発想に立ってほしいのです。農家は表土(耕土)にすごく興味と意識があると思うんですけれども、肥料とか機械を農地に入れると、かなり深いところにも必ず影響は出ます。
スポンジのようなものですから、土は。表層にものを置いていると、必ず地下に浸透して、濃度が濃ければ最終的に地下水まで到達します。傾斜があれば、自分たちの土地に残らなくても、地下水に入って、たとえば山から里の方におりて、最終的には下流の都市まで到達することも起こり得ます。肥料や農薬を施用するときには、自分たちの住んでいる空間を広域に意識していただきたいです。

研究者は調査や研究をして終わるのが、今までのやり方でした。これからは、研究者も将来を見越し、次世代に土壌がきちんと保全されるようにルールを作るとか、メッセージを送るといったことをする必要があると考えています。

レアメタルの環境への影響から湿原、都市緑地まで

――今はどんな研究をしているのですか。

農地よりもむしろ、産業界から出るレアメタルを扱っています。鉛は血中濃度が高くなると人間に害があるので、鉛を使わないで電化製品や電子部品を作る流れが15年くらい前からあるんです。「鉛フリー」と言われて、インジウム(※2)、亜鉛、錫(すず)といったほかの金属が鉛の代替になっています。
なじみのある亜鉛や錫、銅は、環境中での挙動についての知見がたくさんあります。けれども、インジウム、アンチモン(※3)、銀など、環境中にもともと少ない元素は、これまで研究対象になってこなかったこともあって、知見が少ないんですね。なので、鉛フリーで使われるほかの代替金属が果たして環境に害を及ぼすか、及ぼさないのかという知見がないまま、産業界では鉛から別の元素に移行しているんです。

※2 白銀色のやわらかい金属で、元素記号はIn。
※3 レアメタルの一つで元素記号はSb。

――はんだ付けなんかが変わっているということですか。

はんだは鉛と錫の合金が多いので、鉛以外のものに代替します。それで、家電製品の鉛の含有量は減るけれども、よく分からない元素が増えているということですね。
話題が農業からだいぶ離れちゃっていますね。
土壌の生成の研究だと、17~19年度に尾瀬国立公園での「尾瀬総合学術調査」に参加しました。これは、尾瀬ヶ原の生態系がどう変化しているか20年に一度、総合的に調査する機会で、さまざまな分野の研究者が集います。第4次に当たる今回は、気候変動で尾瀬ヶ原がどう変化するかなどを調べました。

私は過去にどんな生態系の変化があったか調べるために、泥炭のコア――地面を円柱状、つまり棒状にくり抜いたもの――を1メートルくらい採取して持ち帰って、スライスし、含まれている成分を見ました。尾瀬は湿地で、普通の農地のように1メートル掘り下げることはできないので、コアを見るんです。

そうすると、1メートルの厚みの泥炭を生成する歴史の中で、どんなことがあったのかが分かってきます。砂がたくさん混じっていると、氾濫があったのかな、なぜあったんだろうと考えるわけです。過去の環境の復元みたいなこともします。
都市緑地の土壌の生態系についても、地味に調査・研究しています。都市の緑地というと、屋上の緑化や植え込みばかり考えがちですけど、ある程度の面積を用意して、樹木を植えて適度に管理すれば、田舎のような生態系を作れるんです。
東京都港区に国立科学博物館の附属自然教育園があります。都市のど真ん中ですが、気温が私の研究室がある茨城県つくば市とほとんど変わらない涼しい環境で、タヌキも来ますし、カワセミが子どもを作っているんですね。将来的には都市にもっと緑地が増えると、温暖化の軽減にもなるんじゃないかと思っています。

――都市農地にも生態系を保つ力があるので、今は宅地や商業施設などになって消える方向にありますが、風向きが変わってほしいですね。

* * *

土壌保全基本法の起草のプログラムで、村田さんは代表を務め、国土全体の土壌を健全に使うための法律の設計を担った。研究メンバーの中で特に制定に熱心で、基本法の発案者でもあったのが、19年に亡くなった農研機構農業環境変動研究センターの土壌資源評価ユニット長、大倉利明(おおくら・としあき)さんだ。村田さんは「大倉さんは、農地の保全のために、今すぐにも法律を作ろうという考えをお持ちでした」と語る。
草案は農地に限らず国土全体の土壌を扱うものながら、起草の最大の原動力は、土壌学者の農地に対する危機感だった。このことをより多くの農業者が知り、土壌保全基本法の起草を「自分ごと」として捉えてもらえれば幸いだ。
「土壌は地球からもらった預かりもの」
この大倉さんの言葉が、多くの人に共有されることを願う。

村田さんをはじめ、土壌保全基本法の起草に関わった研究者らはSoil Survey Inventory Forum(SSIF)という組織を結成した。写真は2015年、SSIFのワークショップに海外の専門家を招いた際に撮ったもので、前列左端が大倉利明さん。(画像提供:村田智吉)

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