開拓地のやせた土が30年で「メタボ」の衝撃
■後藤逸男さんプロフィール
農学博士(1987年、東京農業大学)。東京農業大学名誉教授。全国土の会会長。東京農大発株式会社全国土の会代表取締役。著書に「土壌学概論」(朝倉書店、2001年)、「根こぶ病 土壌病害から見直す土づくり」(農山漁村文化協会、2006年)、「改訂新版 土と施肥の新知識」(農山漁村文化協会、2021年)、「イラスト 基本からわかる堆肥(たいひ)の作り方・使い方」(家の光協会、2012年)など多数。 |
――後藤さんには、現場に非常に近い土壌学者というイメージがあります。
研究じゃなく、現場が先にあるのです。研究テーマは現場から吸い上げるようにしています。これは私が50年近く属し、3代目の教授を務めた東京農大の土壌学研究室(現・土壌肥料学研究室)のそもそもの成り立ちと関係しています。ここの初代教授は、もともと農林省、今の農林水産省の研究企画管理官で、終戦後に全国で展開された開拓事業に携わっていました。開拓事業とは、終戦後、海外からの引き揚げ者も含めた人口を日本の国土で養うために、畑や牧草地を増やして食糧を増産しようというもので、初代教授はその旗振り役だったわけです。
そのため、当時学生だった私たちは夏休みや春休みとなると、全国の開拓予定地の土壌調査に行きました。原野や山の中を回って、土壌を採取して大学に持ち帰って分析する。それまで農地になっていなかった未耕地では作物を作りたくてもできなかったのですね。実際調べると、びっくりするくらいやせていました。そこを農地にするには、どういう土地改良をしたらいいのかという「処方箋」を作っていました。
そもそも、日本では雨が多いために塩基(ミネラル)が流されて土壌が酸性化しやすく、やせています。多くの作物は酸性には弱いですから、酸性を中和して改良する必要があります。また、火山灰からできた黒ボク土という土壌が多く、それらは作物の生育に必要なリン酸を吸着してしまいます。開拓地のほとんどがこうしたやせた土でした。現在では、野菜の大産地として有名な長野県の野辺山高原、川上村や、群馬県の嬬恋村などは、いずれも開拓されたところです。
その後、1979年に東京農大の教員になり、かつての開拓地の土が30年ほどたってどう変化したか調べたいと考えました。そこで、最初に関東を中心とする野菜産地で土の健康診断とも言える土壌診断調査を手掛けました。すると、かつては大やせだった土が、人間の健康状態に例えると、メタボになっていると分かりました。
調査のためにいろんなところに出向くようになって、農家と話をするうちに、農家は作物づくりのプロではあるけれども、土のこと、肥やしのことを案外知らないと気づきました。本当ならば、農家に指導をしてそういうことを分かってもらうのが、我々研究者や技術者の仕事ですよね。
土壌病害の多発を契機に農家を巻き込み「全国土の会」設立
――具体的にどういう事例があったのでしょう。
一番ショックだったのは、アブラナ科野菜の根こぶ病の蔓延(まんえん)ですね。根にこぶができて、地上部が枯れてしまいます。東京都三鷹市は、今も当時もカリフラワーとブロッコリーの産地ですが、昭和60年代に根こぶ病の多発で、産地として崩壊の危機にあったんです。
地元の農協に務めていた大学時代の同級生から、根こぶ病をなんとかしてほしいとの依頼があったので、三鷹市の畑に行きました。土壌診断調査をしたら、極端な酸性になっていました。農家に「酸性を改良するための石灰を施していますか」と聞いたら、殺菌剤は必ず散布するが、石灰はほとんど施していないとのことでした。根こぶ病はpHが低い、つまり酸性だと多発するのに、その対策をせずに、もっぱら殺菌剤に頼っていたわけです。
――殺菌剤は効かないんですか。
殺菌剤は効きます。しかし、連作して菌の密度が高くなってしまうと、殺菌剤では対応できないのです。
その他に、茨城県の小玉スイカのハウスで、スイカの根が腐り、葉がしおれたり枯れたりするスイカホモプシス根腐(ねぐされ)病という土壌病害がはやりました。現地の黒ボク土を分析すると、リン酸が極めて過剰になっていました。なぜかというと、黒ボク土にはリン酸が効かないということを農家は知っていて、リン酸をたくさん施用する。毎年それを続けると、当然リン酸が過剰になってくるでしょう。30年、40年と連作していると、リン酸が大過剰になるわけです。
実は、施設園芸農家は土壌診断をやっているんですよ。土壌診断をやって、リン酸が多いことをよく承知しているんですが、習慣になっていて、リン酸肥料を施してしまいます。せっかく土壌診断をやっても、その結果を生かしていないんですよね。これは困ったなと思いました。もっと農家に土と肥料の勉強をしてもらわなきゃいけないということで、1989年に農家のための土と肥料の研究会「全国土の会」を立ち上げました。
地力を高めすぎると土壌病害を受けやすくなる
――そういう経緯で全国土の会が生まれたのですね。
それまでの土壌診断調査はどちらかというと、こちらから頼んで農家のところに行かせてもらっていたのが、土の会の活動を始めてみると、農家から調査に来てくださいと要請が来るようになりました。さまざまな土壌病害を引き起こすフザリウム菌に苦しめられたセロリやターサイの産地などでしたね。
私は土壌肥料が専門で、土壌の化学性とか土壌改良などを研究していたものだから、土壌病害のことは、ずぶの素人のようなものだったんですね。我々土壌肥料と植物病理の分野は別で、両領域をカバーできる人はほとんどいなかったんです。でも、農家からの「何とかしてくれ」という要望に押されて、土壌病害の世界にチャレンジすることになりました。
その間、20年くらい研究して分かったことは、土をメタボにしちゃうと、土壌病害になりやすい。もう少し極端な言い方にすると、地力を上げてしまうと、土壌病害を受けやすくなるということです。
農家はふつう逆だと思っているじゃないですか。土壌病害を抑制するためには、地力を高めなけりゃいかんと思っている人が多いわけです。ところが、そうじゃないということが分かった。地力を高めることは必要だけれども、高めすぎると土壌病害に対する抵抗力がなくなってしまうんですね。
ところで、土耕栽培と水耕栽培の違いってどういうところだと思いますか。
――え……。見た目も管理の仕方もかなり違いますよね……。
今、全国の野菜産地で根こぶ病、フザリウム病害や、農作物が枯死してしまう青枯れ病が多発しているでしょ。水耕栽培では、ほんのわずかな病原菌が混入しただけでうわーっと広がるんです。でも、土耕の場合には、土自体に病原菌の感染を抑えようとする力がある。だから、土壌病害が水耕栽培ほどは早く広がらないんです。
ただ、土耕栽培も連作を繰り返すと、病原菌密度が徐々に高まり、ある一線を越えると発病してしまいます。「ある一線」とは、港の防波堤のようなものです。土の中で病原菌が増えても、防波堤を越えなければ発病しません。土には、本来そのような土壌病原菌に対する抵抗力が備わっているのです。私はそのような土の抵抗力を土の体力「土力(どりょく)」と名付けました。人が健康であれば病気にかかりにくいように、土も健康にすれば、土壌病害にかかりにくく、不健康にすると防波堤が崩れて土壌病害にかかりやすくなるのです。
土の不健康というのは、土壌養分の極端な欠乏や過剰で、人の大やせとメタボに当たります。中でも重要なのがリン酸で、過剰になると土壌病害の発病を助長する可能性があります。このことを20年ほど前の研究で明らかにしましたが、このことは私の半世紀近い研究人生の中で、世の中のお役に立てたひとつじゃないかと思っています。
――そうなのですね。でも今は高度化成オール14(※)なんかの使用が多い印象があります。
それが問題なんです。昔は単肥の窒素、リン酸、カリ(カリウム)肥料を自分で混ぜて使っていました。そもそもリン酸は、窒素やカリよりも吸収量が少なくて、窒素やカリの数分の1です。それにもかかわらず窒素、リン酸、カリの含有量が横並びの配合肥料や化成肥料を使えば、当然リン酸が過剰になっちゃうんですね。
しかし、そういう肥料は大量生産するから安い。安いから使うというのを改めて、余計な肥料を入れるのをやめましょうというのも、全国土の会の基本です。
※ 肥料の三大要素である窒素、リン酸、カリウムを14%ずつ配合した肥料。
全国土の会
http://tsutinokai.co.jp/soil/
東京農大発株式会社全国土の会
http://tsutinokai.co.jp/
農大式簡易土壌診断キット「みどりくん」
https://tsutinokai.co.jp/soil/diagnosis/midorikun-diagnosis-kit/