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就農2年目でキュウリの反収40トン超え 38歳で競輪選手から転身

窪田 新之助

ライター:

就農2年目でキュウリの反収40トン超え 38歳で競輪選手から転身

JAさが みどり地区(佐賀県武雄市)でここ数年、就農したばかりの人たちが施設栽培のキュウリで全国平均の3倍ほどの反収をあげている。その先頭を切るのは、38歳で競輪選手から農家に転身した草場悠輔(くさば・ゆうすけ)さん(43)。2年目で42トンの反収を達成できた理由について「経験がなく、優れた師匠から栽培技術を教わったから」と言い切る。

反収40トン超えの師匠に弟子入り

草場さんは父親とその兄弟が競輪選手だったことから、地元の高校を卒業後は静岡県伊豆市にある日本競輪選手養成所に入った。国家試験である競輪選手資格検定に23歳で合格してプロデビューを果たす。
引退は38歳。「それからしばらくはぶらぶらしていました」。その時に知人の紹介で出会い、弟子入りすることになったのが、全国有数の高収量をあげることで知られる武雄市朝日町の山口仁司(やまぐち・ひとし)さん(69)だった。

草場さんにキュウリづくりを教えた山口さん

山口さんは1984年という早い時期から環境制御技術を率先して試してきた。いまのように気温や湿度、日射などの環境データを計測するセンサーが存在しないといっていい時代に、二酸化炭素の発生装置や加温機などを導入。だがそれらを稼働させる時期や効果を見極めるにも、センサーがなく環境データを収集できなかったので、作物の反応を見ながら改善を繰り返してきた。

環境制御技術を誰よりも早く試せた理由の一つに、山口さんが経営の実権を若いうちから握っていたことがある。父親は主業が大工だったので、「自分の農業にはほぼ口を出さなかった」(山口さん)。固定観念がない中、研究機関や普及指導機関、メーカーが新しい技術を次々に教えてくれた。それらを自分のものにしていきながら、誰よりも早くに反収で20トン、30トン、40トンという壁を次々に超えていった。

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