北海道から福岡、新卒に中途も積極採用
六星は生産する水田が166ヘクタールと、石川県随一の面積を誇る。稲作を中心に餅や米菓、総菜などの加工業、農産物や加工品の販売業を手掛ける。1977年の創業時から、6次産業化により経営を安定させることを目標に掲げ、実現してきた。
本社に到着後、少し時間があったので、近くの倉庫を訪れた。隣の金沢市出身で、もともと機械の整備士をしていて中途入社した松野一彦(まつの・かずひこ)さん(冒頭写真左)が、コンバインを整備している。この日は稲刈りがあると聞いていたので、ほかの社員がどこで稲刈りしているのか尋ねていると、大阪府出身の福居弘輔(ふくい・こうすけ)さん(写真右)が軽トラを運転して圃場(ほじょう)から戻ってきた。
福居さんはもともと農業界の課題解決に関心があり、京都の大学を卒業後「自分の好きなことをしたいという思いと、先輩社員のほとんどが非農家出身であることを聞いて」新卒で入社した。

六星の本社。販売部門の「むつぼしマーケット」の本店も兼ねる。店舗では生産したコメや、弁当やおにぎり、米菓などの加工品、青果物などさまざまな商品を扱い、販売額は年々上がっている
「県外出身者はほかにも北海道や神奈川、山梨、富山、福岡からの者がいますよ」
こう説明してくれる取締役の浅野泰隆(あさの・やすたか)さんは、金沢市出身で、大学卒業後に営業職を経て同社の中途採用に応募した。今では営業と採用の担当を兼務する。
代表取締役の軽部さんは、社員の出身地について「県外にはこだわっていない」と話す。同社はもともと5戸の農家によって、経営の一部を共同で行うために立ち上げられている。
「共同経営にしたからといって安泰なわけではなく、新しいことにチャレンジしないと生き残っていけなかったから、トライ・アンド・エラーを続けてきた歴史があるんです。ですので、挑戦していくという社内文化は今もありますね」(軽部さん)
一時期、首都圏などで開かれる就農希望者向けのフェアに出展したこともあり、県外出身の社員が増えてきた。ちなみに、軽部さんは共同経営者の一人の婿に当たる。トーヨーサッシ(現LIXIL)で営業マンをしていた30歳のころ、六星の経営陣の間で東京で営業をしている軽部さんを経営に入れてはという話になって、1997年に入社した。
農業法人には、家族経営を法人化した同族経営が少なくない。その点、六星は最初から共同経営で、異質な存在を受け入れることで組織を発展させてきた。
「やっぱり、外からの血、つまり多様な人材をどれだけ入れるかというのが、一つのポイント。ピュアな新卒と、経験値がある中途の両方が、会社が次の段階に向かってステップアップしていくには必要なんです」(軽部さん)

代表取締役の軽部さん(左)と採用担当の浅野さん(右)。軽部さんが手にする豆板餅は、定番の人気商品だ
「一般企業並み」がキーワード
地元からも遠隔地からも多様な人材を集める秘訣は、何なのだろう。給与や休日、昇給やキャリアアップを一般企業並みにしていることが、理由の一つに挙げられそうだ。昇給のしくみを整え、たとえば40歳でこんな働き方をしていればこのくらいの給与が出るという将来設計を描ける。
「入社する人が安心して働ける場になるような環境整備は、比較的やっている方だと思います」(軽部さん)
社員一人一人は、チームの責任者と面談しながら、自身の課題や達成したい目標を決めていく。これは、一般企業の営業マンだった軽部さんが、入社後に覚えた違和感に根差している。
「10人いるチームで『今日は田植えだ』となると、皆で田植えをすることになります。チームとしての目標はあっても、個人個人の目標がないんですよね。個人の責任の範囲も、貢献度合いも不明瞭。何年もやっていれば、気の利いた動きができるかもしれないけれど、明確なキャリアアップがなかなかない」
社員それぞれが目指す目標や自己実現の仕方は違うし、仕事の得意不得意、経験年数や年齢の差もある。そうした違いを受け止めつつ、チームごとに業績を伸ばし、かつ個人個人のモチベーションを維持すべく、工夫を重ねてきた。
浅野さんは、一般企業に比べると「若手に責任を伴う仕事をかなり振っています」という。
「チームに対して、細かい指示を与えて管理するのではなく『目指すべきところはここだから、達成するためのやり方を皆で考えて』というふうに投げかけるようにしています。若い人間をあえて課長にするのは、他の会社に比べると珍しいんじゃないですかね」

六星は経営の効率化に熱心だ。農業法人としては珍しく、松野さんのような整備士がいるのも、そのためだ。繁忙期に機械の故障があっても、修理の順番待ちで時間を無駄にする心配がなく、機械をより長く使える
「変化や成長期待するなら人を入れるべき」
軽部さんから「いずれ東京に戻りますよ」と言われ、驚いた。
「前の会社を辞めてここに来たときも、実はあまり大した決断じゃなかったんです。出向だと思って、来ています(笑)。やれるだけここで働いて、いつかは帰ろうという、そういう気持ちの方がいいんじゃないかと思って」
生涯経営者を続ければ、経験値が積み重なり、自分にとっては居心地はいいかもしれないとしつつ「組織にとっては流動性もなければ刺激もない」と否定的だ。後継者が育ってくれば、経営を譲って第二の人生をと考えている。

作業の見える化と情報共有に力を入れている。ホワイトボードで、その日の作業と年間、月間のスケジュールを確認できる。トヨタの農業IT管理ツール「豊作計画」の開発に協力し、製品化された今も使い続けている。豊作計画はスマートフォンやパソコンで、手軽に情報を共有できる
農業経営を発展させていくうえで、雇用は大きな転換点になる。軽部さんは「会社の変化や成長を期待するなら、人を入れるべき」と断言する。これまで、なあなあで済んだことを明確にし、さまざまなしくみを作ることは、煩わしい反面、経営の可視化と効率化につながる。
一方で、「その人を一定の条件で雇い続ける覚悟と責任を、きちんと持たないといけない」とも強調する。
「稲作だけだと、秋に作業が終わった後は、することがあまりないじゃないですか。それで一方的に、バイトに行かせたり、他の会社に貸し出したりするのはダメですね。本人が望んでいたり、研修としてどこかで働くのならいいですけど、雇用側の都合だけで行かせるのは……。企業であればそこに労働を作らなきゃいけないし、そういうことが成長のきっかけになるんです」