卒論テーマは「農家の旅記録」
金森秋波さんは、2021年3月に公立鳥取環境大学環境学部を卒業しました。大学の卒論テーマは、「自給自足的な暮らしを訪ね歩いた記録と考察」。そんなテーマにしたのは、大学在学中から金森さんがめざす働き方や生き方を探す旅をしていたから。2021年11月現在、金森さんは北海道で働きながら自分なりに農業に関わる方法を模索しています。
広島市に隣接する都市部で育った金森さんが、全く縁のなかった一次産業に興味を持ったきっかけは、小学生の時に見たマイケル・ジャクソンのミュージックビデオでした。「外国の森が炎に包まれる映像に衝撃を受けて、なぜか緑の森を守らなきゃいけない、と思ってしまった」と笑います。その後、金森さんは、環境について実践的に学びたいと公立鳥取環境大学に進学。初の一次産業体験は、大学3年次に林業関連のゼミを選択した時です。座学だけでなく体験重視の指導方針のもと、20日間山に入ってチェーンソーやユンボの講習を受けるなど、林業の初歩を学びました。
一次産業の世界に初めて触れた金森さんは圧倒されながらも引かれていきます。また、林業に山の環境を守るやり方とそうでないやり方があることも、実際に山に入って気づきました。できるなら、自然と調和するような働き方をしてみたい。そう感じ始めたものの、山仕事を続けるのは体力的に無理そうです。やりたいイメージはあるのに、具体的に目指すものが見えない……。
ここで金森さんは、とにかく行動しながら考える作戦に出ます。大学2年次からさまざまな業種で企業研修を始めていた金森さんですが、ちょうど同時期に鳥取で開かれた森林再生保護の体験イベント「きらめ樹(き)会」に参加します。森を守るための手法や考え方を学び、こんなイベントを自分も開けないかと考えた金森さんは、同イベントを主催していた静岡県の環境系NPO「森の蘇(よみがえ)り」で「きらめ樹」のリーダー養成講座を修了しました。
3年次になると、友人と学生団体「Action to Forest(アクション・トゥ・フォレスト)」を設立し、きらめ樹のイベントを大学の演習林などで2回実施。経済最優先の伐採とは違う森との関わり方を、解説と体験で伝えました。
卒業後の進路について、「企業への就職を目的にするのは何かが違う。働き方より暮らし方を重視したい……」という思いを抱いていた金森さん。4年次になると南は福岡県の糸島から北は北海道まで各地へ足を運び、自給自足的な実践をする地域や農園、シェアハウスなどを通算8カ月も巡っていました。
山田農園との出会いが転機に
金森さんが進路を決めたのは、4年次の秋、2020年10月でした。8カ月の旅の中、1カ月半住み込みで働いた北海道長沼町の山田農園で、「来春、私を雇ってもらえませんか」と切り出したのです。
「農園のご一家の温かいお人柄を多様な人たちが慕っている。ここで過ごした時、そうか、私は就活がしたいんじゃない、うまく言えないけれど自給自足的な暮らしや農に関わる暮らしがしたいんだと気づいたんです」(金森さん)
それまでの金森さんの働きぶりや協調性などを評価した園主の山田公(やまだ・こう)さんは、この提案を承諾。月給制で月8日休み、業務内容は花と野菜の定植、水やり、収穫、選別をすることなどの条件を提示しました。
山田さんが金森さんの採用を決めた理由には、人手不足もありました。山田農園は良い土作りを基本に、花きと野菜を無農薬で栽培しています。山田さん夫妻と山田さんの母の3人家族と、通いのパート2人がレギュラーの働き手ですが、夏の繁忙期の人手不足が慢性的な課題だったのです。
こうして2021年4月、金森さんは山田農園に就職。以前から家族とパートさんたちの温かな人間関係や、農園の犬や鶏たちの様子など、山田農園には癒やしの魅力があると感じていた金森さんは、自らSNSアカウントを作って農園の日常を発信し始めました。
この夏、農園に小さな変化が起こりました。きっかけは金森さんがInstagramで「お手伝いさん」の募集を行ったことです。以前から、夏の繁忙期はパートさんのほかに山田さんの知人たちが日帰りで手伝いに来ていました。そうした時、山田さんの妻の皆子(みなこ)さんは野菜たっぷりの食事や花束のプレゼントでもてなします。そもそも、山田農園は安心安全な農業を伝えたいと町のグリーンツーリズム事業に協力し、民泊受け入れの経験も豊富なのです(2020年以降コロナの影響で民泊は休止)。
「誰もが楽しく働いて、来た時より元気になれるのが山田農園」。金森さんはこの魅力を打ち出そうと、アルバイトではなく“農作業も含めた農園で暮らす体験”が目的の「お手伝いさん」についてわかりやすく楽しい投稿を続けました。すると次第に問い合わせが増え、2021年7月末から10月末までの3カ月半、長崎や鳥取、神奈川など他府県含め11人が実際にやってきて、日帰りも含め計80日以上、お手伝いさんとして働いたのです。中には「来年もまた来たい」と希望する人もいて、この仕組みは今後も継続する可能性があります。
一方で、作業の指示や食事や滞在中のケアなどの受け入れに伴う仕事は、家事も農作業もこなす皆子さんが担っているのが現状です。「人手が欲しい時期は私たちも忙しい時期。ある程度仕事を覚えてもらえる長期滞在がいいのか、農園の食事当番を募集するのはどうかなど、この夏の経験から考えているところです。来たい方と私たち受け入れ側のちょうどいい兼ね合いを見つける事が、今後の課題ですね」と皆子さんは言います。
働きながら考える、農との関わり方
2021年の夏を振り返って、金森さんは言います。「私は元々あった魅力を伝えただけですが、いろいろな人が来てくれたことで農園の雰囲気がとても明るくなったと思います」
実は、金森さん自身の進路探しはまだ終わっていませんでした。2022年には山田農園を卒業し、旭川で羊飼いの手伝いをする計画を立てています。「山田さんご一家にはとても良くしていただいて、100%自己都合の退職はとても言い出しづらかったのですが、もっともっと見聞を広めてみたくなったんです」。金森さんは、大学4年次の時に自分を見つめ直して気づいた「自分らしく自然や農と関わる暮らし」を求め、今後も働きながら模索を続けるようです。彼女の選択は一見、自由気ままです。しかし、「農業に興味はあるが、関わり方がわからない」というところで立ち止まらなかったという点では勇気ある選択とも言えます。山田農園と金森さん、そしてお手伝いさんたちの関係は、農業との多様な関わり方のひとつの可能性を示しているのではないでしょうか。