梅田駅から電車を乗り継いで50分、大阪府羽曳野市の駒ヶ谷駅前に梅酒のトップメーカー・チョーヤの本社はある。和歌山県産の梅をふんだんに使った「本格梅酒」は、海外への輸出をどんどん伸ばしているという。今回、梅農家との関係や海外輸出について、総務経理課の金銅正彦(こんどう・まさひこ)さんと有福昇(ありふく・のぼる)さんに聞いた。
チョーヤの出自は農家だった
──現在では売上高130億円を超えるチョーヤは国内トップの梅酒メーカーですが、創業当初はワインを作っていたと聞いて驚きました。
金銅:はい。当社の創業は1914年なのですが、初めはブドウ農家だったんです。羽曳野市やこの周辺では今でもブドウ栽培が盛んです。そして、1924年にワインを作り始めました。戦中にはワインから取れる酒石酸がレーダーの部品として軍事利用されていたので、かなり作っていたようです。
ちなみに、「チョーヤ(蝶矢)」はその頃からの商標で、付近の山にギフチョウ(岐阜蝶)が生息していたことと、地域で石器時代に矢じり用の石が採られていたことに由来します。
──でも、現在はワインを作っていませんね?
金銅:創業者の金銅住太郎(こんどう・すみたろう)が海外視察でフランスのボルドーに行って、ワインの生産技術に衝撃を受けたからです。これが自由に輸入されるようになったら、日本のワインは負けてしまうと感じました。そこで、日本ならではのお酒を作ろうと、1959年から梅酒を作り始めたんです。
──当時は梅酒をお店で売るのは珍しかったそうですね。
金銅:当時、梅酒は家庭で作るものと考えられていましたし、酒屋さんにはビール、日本酒、焼酎しか並んでいなかったので、当初はなかなか売れ行きが伸びませんでした。でも、時代が進み、だんだんと家で梅酒を作る人も減って、チョーヤの商品が受け入れられるようになりました。
有福:苦戦していた時代も含め、しっかりと守ってきたルールがあります。それは、梅酒を基本的な材料だけで作るということです。梅、糖類、酒、その3つの材料だけで作る梅酒を業界では「本格梅酒」と呼んで区別しています。
──他社の商品には酸味料や香料が入っているものも多いです。どうしてそういう商品は作らないのでしょうか?
金銅:やはり元が農家だというのが大きいのではないでしょうか。農産物そのものを楽しんでほしい、という思いが会社のなかに今も残っているのです。
有福:梅酒のマーケットは2002年から2011年にかけて、約2倍になりました。では、梅酒用の梅の出荷高はどのくらい伸びたと思いますか?……それが8%しか伸びなかったのです。梅酒は売れても梅は使われない状況、つまり本格梅酒でない梅酒がたくさん出回っていたということですね。
世界ナンバーワンに!
──そうした時代にも他社に追随せずに梅そのものの味や香りにこだわっていたということですね。その結果、近年、輸出がどんどん伸びていますね。
金銅:1968年というかなり早い段階から輸出には取り組んできたのですが、輸出に手ごたえを感じたのはここ2、3年ですかね。最初は「ume(ウメ)」が海外の人には分からないので、「ジャパニーズ・アプリコット」や「ジャパニーズ・プラム」と呼ばれていたのですが、説明に苦労しました。
初めは日本食レストランを中心に置いてもらっていたのですが、現地の卸売企業などへ地道に営業をしていった結果、日本食ブームの追い風もあって、今ではアメリカ、中国、ヨーロッパ、東南アジアなど70カ国以上に取引が広がり、輸出量は当社製品の約30%にまで上っています。
──そのすべてが日本産の梅をふんだんに使った梅酒なのですね。農産物輸出の好事例といえそうです。
金銅:はい。さらにうれしいことに2021年、サンフランシスコで行われている世界的権威のある酒類品評会「San Francisco World Spirits Competition 2021」で、当社商品「The CHOYA CRAFT FRUIT」がリキュールの最優秀賞をいただきました。これを契機に、将来的には輸出比率を50%にしたいと思っています。
世界農業遺産を買い支える
──高品質な梅酒には高品質な材料が必要だと思いますが、どのように仕入れているのですか?
有福:当社と取引している農家は約5000軒で、うち8割は和歌山県内の農家です。和歌山県内の梅農家は約6500軒なので、当社の取引の大きさが分かるかと思います。
当社には農家と一緒に成長していく「産農一体」という言葉がありますが、地元のJAや農家と密に情報をやり取りしながら、ともに品質向上を目指しています。
──梅といえば、和歌山。なぜなのでしょう?
有福:梅の栽培には温暖な気候に加えて水はけが大事ですが、和歌山南部の特徴であるれき質の土壌がそれに合っているのです。和歌山は斜面の畑が多く、一般的な作物を育てられないという事情もあります。
──品種はやはり南高梅がよいのでしょうか?
有福:そうですね。和歌山原産の品種である南高梅は香りがよく人気があります。でも、おいしさの理由は品種や気候だけではないんです。たとえば、紀南のみなべ・田辺地域では、南高梅が完熟して枝から落ちるまで待つネット収穫を行っています。ですから、完全に熟した香り高い梅が梅酒になります。
この地域では、山肌をすべて梅の畑にせずに、一部を樹林として残して山の保水力をキープするなど、自然と調和した栽培方法をしています。こうした農業のやり方は、2015年に世界農業遺産に認定されたんですよ。
──減農薬や有機栽培の取り組みもありますね。
有福:当社からの呼びかけで、JAと農家と減農薬栽培の研究会を作り、栽培方法を研究する取り組みを24年前からやっているほか、複数の地域で、減農薬や有機栽培で生産していただいています。やはり販売先がないと、リスクのある栽培方法はできないですから、チョーヤという販路を前提にできたことは大きかったかもしれません。
梅は湿気が多い梅雨どきに実が熟していくので、農薬を使わないとすす斑病が出やすく、かなり苦労しました。いまでは剪定(せんてい)の工夫や天然由来の成分での防虫など、それを防ぐ技術が確立しつつあります。
梅は豊作と不作の差が激しい
──梅は豊作時と不作時の差が激しい作物ですよね。
有福:そうなんです。年により収穫高が大きく異なるのが梅という作物の大きな課題です。そのうえ梅干し向けの需要は毎年右肩下がりです。なので、豊作のときは価格が下がるのに販路がなくて、農家が困ってしまいます。それを聞いて、“即断即決”で平年の量の2倍以上を仕入れたときもあります。
──倍以上も! 農家は助かったと思いますが、そんなに仕入れてしまって大丈夫なのですか?
有福:大丈夫かどうかといえば、どうでしょう?(笑)
梅酒の製造タンクに全部入れるわけにはいかないので、冷凍保存をしました。当社が開発した技術で、冷凍の梅はノンアルコール商品の分野で活用しています。ノンアルコールはいま伸びているマーケットなので、うまくニーズとマッチした形になりました。
そのように豊作のときに少し無理をして買い取っていたおかげで、逆に不作のときに、チョーヤには優先して出荷しようという動きが農家に出てきたりしました。
──理想的な関係ですね!
金銅:近年、全国的に梅の農家が減っているのはとても残念なことです。梅は、「万葉集」にも数多く登場することからもわかるように、日本古来の文化ですよね。チョーヤでは、梅体験専門店「蝶矢」を京都と鎌倉にオープンしたほか、梅を使った加工食品も積極的に販売していきます。2021年2月には和歌山産の梅とフランス産チョコレートを使用した「CHOYA ボンボンショコラ」を発売しました。これからも幅広い年齢層に梅のすばらしさを伝えていきたいですね。
取材後期
チョーヤの創業者金銅住太郎さんは、ボルドーを見て、ワインづくりをやめようと思った。
ワインの世界でいえば、ボルドー地方はブルゴーニュと並んで最高とされる産地である。この地方が世界に冠たる産地になった理由には、ブドウ栽培に適した気候風土があったことがあげられるがそれだけではない。もちろん現地の生産者による不断の努力があったからだろう。
さらに1152年、ボルドーは一時的に英国領となり、それがきっかけでブドウ栽培の不適地である英国で広く受け入れられるようになる。そして、18世紀になると、英国や地域外からも多くの企業家が入ってきて一気にワインのトップ生産地となったのである。
つまり、
気候風土 × 生産者 × 企業家
この3つが交わって素晴らしいワイン産地が形成されたわけだ。
和歌山をボルドーと比すには、あまりに桁が違うかもしれない。
しかしながら、世界70カ国以上で販売され、世界的な賞も獲得したチョーヤの現在地を考えたとき、創業者が訪れたボルドーと和歌山の共通点を思わずにはいられない。「気候風土」、「生産者」、そして「企業家」。そのうまい具合の連携が世界で評価される梅酒を生み出したわけである。
そして、チョーヤは酸味料や香料に頼らず、あくまで農産物である梅を大事にした生産方法にこだわってきた。それはチョーヤの祖業が農業だったからだが、大切にすべきものを、きちんと守ってきた。ボルドーのワインは、非常に厳格なルールのもとで生産されていないと「ボルドー」を名乗れないが、それと同じである。
だからこそ、ボルドーはボルドーであり、チョーヤはチョーヤ、なのである。
本連載のタイトルは「大企業は農業を変えるか?」だが、チョーヤの事例は、その観点からもたいへん示唆に富んでいる。
同時に、1軒のブドウ農家が100年の時を経て、世界に大いに羽ばたいているのだから、ロマンあふれるストーリーなのではないだろうか。