就農後、4年間で800万円の借金
本題に入る前に、森川さんがイチゴを作り始めてから輸出に注力するまでの経緯について触れたい。
出身は熊本市。中学を卒業後、建設会社に就職した。農家に転身したのは24歳のとき。玉名市でイチゴを栽培する祖父の後継者となることにしたのだ。
ところが2カ月後、突然祖父が他界する。ここから、森川さんいわく「地獄」が始まる。栽培の技術が身についていないから、反収が上がらない。
「4年間で800万円くらいの借金を背負いました。毎日が火の車でしたね」(森川さん)
転機は白イチゴとの出会い
転機となったのは白イチゴとの出会いだ。鹿児島県の個人育種家が開発した品種「淡雪」を知り、生産して市場に出荷したところ、珍しさから注文が相次いだ。ただ、森川さんは浮かれずに冷静だった。
「一発屋芸人みたいで、ブームはすぐに終わるなと。きちんとしたものを作れるように栽培を勉強すると同時に、長く付き合ってもらえる取引先を探し回りました」
そうして取引を始めた一つの商社から声を掛けられて着手したのが輸出だ。最初の輸出先は香港。それからは自分でも海外市場を開拓し、販路はシンガポールやマレーシア、タイ、台湾、アメリカ、ドバイにも広がった。卸値は取引先によって変えることはしない。「そこは信頼ですね。長く取引してもらいたいですから」(森川さん)
国内外で評価される理由について、森川さんは「見た目の良さと品質の良さがあります」と語る。
見た目の良さでは、「紅白セット」を商品としてつくった。通常の赤色のイチゴと白色のイチゴを交互に並べて詰め合わせたものだ。当時そのような商品は見たことがなかったという。最近では赤色のイチゴを花に見立ててラッピングした「花束イチゴ」も販売している。
品質の良さは、選果の基準に表れている。「どこよりも厳しいと思います」と森川さん。イチゴに手で触れる時間を減らすほか、傷物は一切入れない。
同じ理由で容器にもこだわる。使うのは包装資材メーカーが開発した容器「ゆりかーご」。鶏卵の容器のようにイチゴを1粒ずつ入れられるほか、衝撃を吸収する構造になっている。
他県に農場を設ける訳
評価されるもう一つの理由は「鮮度の良さ」。どの国に向けても、朝どれイチゴが翌日のフライトに間に合うように送っているという。
それができるのは、国際空港へのアクセスが良い兵庫県淡路市と三重県伊勢市にも農場を持っているから。九州地方の飛行場に発着便がない国や地域向けのイチゴは、両農場で生産して、関西国際空港から輸送する。それぞれの建屋面積は60アールと50アールで、稼働してから3年目と4年目になる。
他県で農場を持つことにしたのには別の理由もある。輸送費の節減とリスクの分散のためだ。「熊本は水害や地震などの災害が毎年のように起きています。卸し先が増えてきた中、災害でその縁をなくしてしまうわけにはいかないですから」(森川さん)
滋賀県高島市と奈良県橿原(かしはら)市でも園芸施設を建てる計画を進めている。こだわったのは建屋面積で1ヘクタールという規模。その理由を、森川さんはこう説明する。
「現状の3つの農場の収穫分だけではコンテナをいっぱいにすることができないので、ほかのものと混載しているんです。だから輸送費が高い。これから輸送費が高騰する中、できれば1カ所の農場でコンテナに満載できるだけの生産量を確保して、その費用を抑えたいと思っています」
海外での農場展開も視野に
ところで、コロナ禍で輸出はどうなったのか。「2020年はひどかったですね」と森川さん。4月から飛行機が飛ばず、輸出できなくなった。
代わりに国内市場への出荷量を増やしたところ、1パック当たり1000円だった売価は400円から350円にまで下がったという。当然ながらインバウンド需要も落ち込んだ。結果、売り上げは対前年比で4割になった。
現在、飛行機の便数はだんだんと元に戻り、輸出量はほぼ回復した。ただ、元通りにならないのはアメリカへの輸出だ。日本からアメリカへの輸送費がコロナ前の2倍近くになり、輸出できる値段ではなくなっているのだという。
森川さんは今後について「日本産イチゴは需要がめちゃくちゃあるので、輸出先をまだまだ増やしたい」と語る。そのために海外に農場を持つ計画も進めている。まずはハワイのオアフ島だ。「観光農園にするつもりです。いろんな国から人が集まるところなので、ここで知名度を上げたいですね。もちろんアメリカへの輸出もしやすくなると思います」(森川さん)
コロナ禍でもめげず、輸出をさらに拡大しようとするイチゴラス。その動向はまたお伝えしたい。