世界有数の農業国
東はロシア、北はベラルーシ、南は黒海に面するウクライナは人口約4000万人、国土は日本の約1.6倍にあたる約60万平方キロの広さを有する東ヨーロッパに位置する国で、ソ連崩壊により1991年に独立した。
旧ソ連時代のウクライナは、連邦内の分業体制の中で鉄鋼、造船、航空宇宙産業などの軍需産業、そして小麦を中心とした穀物生産を担っていた。これらは独立後のウクライナ経済においても重要な役割を果たし続けている。
ウクライナの主要産業の一つである農業を支えているのがウクライナ語で「チェルノーゼム」と呼ばれる黒土だ。「土の皇帝」とも呼ばれる黒土は作物の栽培に非常に適しており、枯れ草などの有機物を微生物が分解した後に残る腐植は豊富な栄養素を含むなど、世界有数の肥沃(ひよく)な土として知られている。ウクライナの土壌は約6割がこの黒土が占めており、その評価は第2次世界大戦中に侵攻してきたナチス軍が貨車に積んで運び出そうとしたとの逸話もあるほどだ。
チェルノーゼムによる恵まれた土壌の多くは農業に活用され、農地は国土の約7割を占めている。農用面積は4131万ヘクタール(2019年)で日本の10倍程度に相当。食料自給で自国の食糧をまかなう同国は、小麦をはじめとした穀類を輸出する余力があり、農業従事者は就業人口の約2割にあたる約400万人にものぼる。
ヨーロッパの穀倉地帯と呼ばれるように、特に小麦やトウモロコシの生産が盛ん。
農林水産省が今年1月に発行した「食料安全保障月報」によると、小麦の生産量は約2655万トンで世界7位、トウモロコシは約3400万トンで同6位に上る(いずれも2018/2019~2020/2021年度平均)。
「世界の食糧庫」の市場における立ち位置
チェルノーゼムで育まれた穀類がヨーロッパ各地に輸出されることから、ウクライナはかつて「欧州のパンかご」と呼ばれていた歴史がある。現在では欧州のみならず、アフリカ、アジアにも農産物を輸出しており、「世界の食糧庫」として知られている。
2016年時点で輸出先は190カ国に及び、国連食糧農業機関(FAO)の統計による2021年の輸出シェアは、ヒマワリ油が世界第1位、大麦が2位、トウモロコシは3位、小麦は5位を誇る。また、穀倉地帯のウクライナとロシア、両国が輸出する食糧は世界で消費されるカロリーの12%を担っていると、国際食糧政策研究所は推測している。
まさに、世界の食糧庫と言える両国だが、ロシアによるウクライナへの侵攻は世界中の食糧システムに壊滅的かつ長期的にダメージを与え、市場を混乱させるだけでなく、飢餓を招く可能性がある。アメリカ農務省が発表した世界農業需給予測の3月次評価では、2022年にロシアとウクライナから輸出される小麦は少なく見ても700万トン減少すると予測している。その原因の一つがウクライナ政府による自国民のための備蓄である。小麦の輸出全面禁止に加え、オーツ麦やキビ、ソバの実、さらには畜牛の輸出禁止を決定した。このようなことから、穀物の供給激減という形で世界市場に大きな混乱を及ぼす可能性はきわめて高いと言える。
世界の食糧状況に与える影響
ロシアとウクライナは多くの国に穀物を輸出しているため、侵攻が長期化すればするほど生産と輸出の両方に大きなひずみが生じることは自明だ。また、ウクライナ産の農産物の多くは黒海を経由し、船で輸出されているが、現在はロシア海軍の妨害によりほとんどの港が機能不全に陥っている。ウクライナ政府は鉄道で輸出責任を果たすと発表したものの、すべての輸出分を陸路でまかなうには限界があると見られる。
こうした現状を踏まえ、WFP国連世界食糧計画(国連WFP)は、紛争による影響を次のように警告している。
“ロシアとウクライナは世界の小麦貿易のうち29%を占めています。生産と地域からの輸出に深刻な混乱が起きれば、すでに過去10年で最高値となっている食料価格のさらなる高騰につながる恐れがあります。他の国でも食料価格の高騰ですでに苦しんでいる何百万もの人びとの食料安全保障が損なわれてしまいます。”
また、デイビッド・ビーズリー事務局長はこうも語っている。
「これはウクライナ国内だけの危機ではありません。サプライチェーン、特に食料価格の面で影響を及ぼします」
「国連WFPにとっても価格の高騰により、活動費が毎月6000万から7500万ドル増える可能性があります。それはより多くの人が空腹のまま眠りにつかなければならないということを意味するのです」
生産量自体が減少する可能性も否めない。FAO駐日連絡事務所によると、2022、23年の冬作物の生産は当初、良好の見通しだったが、この紛争により農家が農地で耕作をしたり、収穫したり、作物を販売したりすることができなくなる可能性や、基本的な公共サービスの寸断により農業関連活動が影響を受ける可能性が出てきているという。
FAOはこの紛争によって冬穀物、トウモロコシ、ヒマワリの種を生産するウクライナの農地のうち20~30%が作付けされない、または2022、23年期には収穫されず、これらの作物の収量が減少すると予測している。
日本への影響に目を向けると、わが国の主な小麦輸入先はアメリカ、カナダ、オーストラリアだが、世界の食糧庫であるウクライナやロシアからの供給減少が長期化すると、穀物価格に大きな影響が及ぶ。すでに我が国では、政府が輸入小麦の売り渡し価格を平均17.3%引き上げたのに対応し、今夏から複数の企業が業務用小麦粉の値上げに踏み切った。今後、食料品などの価格にも影響を与えると見られる。
緊迫度が高まるウクライナ情勢。世界市場に与える影響や今後の懸念は計り知れないが、何よりもロシア軍によるこれ以上の侵攻が速やかに停止され、一日も早く事態が収束するのを願うばかりだ。