イチゴ農家が福祉事業所を設立!
岡山市中区、国道250号線から路地に入ると、住宅街が広がっている。普通の民家に交じって、白い屋根の農業用ハウスが存在感を放つ。おおもり農園のイチゴのハウスだ。
現在ここで働いているのは、おおもり農園代表の大森一弘(おおもり・かずひろ)さん、妻の美也子(みやこ)さん、そして農園の隣にある就労継続支援A型事業所「杜(もり)の家ファーム」の利用者19人。彼らは精神障害や知的障害があり、一般的な企業で働くことが難しい人々だ。就労継続支援A型は、そんな働きづらさを抱える人々が事業所と雇用契約を結び支援を受けながら働けるという福祉サービス。彼らは杜の家ファームと雇用契約を結び、おおもり農園に赴いて農作業を請け負う形で働いている。
このような働き方は、農業の現場でよく耳にするようになった「農福連携」の形の一つ。このほかにも、農業法人が直接障害のある人を雇用するケースや、福祉関係の団体が農業に参入するケースもある。
おおもり農園のように福祉事業所に作業を委託するというのは、一般の農家が農福連携に取り組みやすい形と言えるだろう。
しかし、おおもり農園の農福連携が他の事業所と少し違うのは、委託先の福祉事業所である「杜の家ファーム」も、代表の大森さんが設立したものだという点だ。
夫婦2人で始めたイチゴ農家、いつの間にかノウフクへ
おおもり農園がこの岡山市の住宅街で兼業農家としてイチゴの施設栽培を始めたのは2002年。大森さんの実家の農地を引き継ぎ、1000平方メートルのハウスを建てて妻の美也子さんと夫婦2人でスタートした。当時大森さんは40代前半、「何かを自分でやるなら今しかない」と決意。そのころ岡山県内でイチゴ農家の減少とともに生産量も減っていたことや、消費地に近い市街化区域の住宅街に農地があり、昔ながらの農業をするのが難しい土地になってしまったこともあり、イチゴの施設栽培に挑戦することにした。
実家が農家だったとはいえ大森さんにイチゴ栽培の経験は全くなく、先輩農家に教えを請いながら技術を身につけていったという。
「先輩農家には『夫婦2人でやるんだったら教えてやる。1人では無理だ』と言われました。本当にそれだけ大変なものでした」と大森さんは就農当時の苦労を語る。実際に兼業では難しく、就農の翌年勤めていた会社を退職し、専業農家になった。
転機になったのは2007年、中国四国農政局主催の「クローズアップ農の福祉力」というシンポジウムに参加し、農業への障害者の参加に興味を持ったことだった。ちょうど、農業界の高齢化についても問題を感じ始めたころだったと大森さんは言う。
「高齢の人は体がつらくて農業をやめていくし、50代ぐらいの人は親の介護で農業を縮小するという話を聞いていたんですよ。そんな中で地域の農業を続けていくために、うちでも何かできることはないかと思っていて、農福連携に行きつきました」
2009年、おおもり農園は初めて障害のある人を受け入れた。やって来たのは農作業の経験がない福祉事業所の利用者。4人前後の知的障害のある利用者と指導員のグループが作業を請け負うことになった。
まず、イチゴの古い葉を取る葉かき作業を依頼したのだが、葉を取るのに一生懸命になった利用者はイチゴ栽培のベンチに近づきすぎてしまい、ベンチから垂れ下がったイチゴの実をつぶしてしまった。
「この作業ができるだろうということで引き受けてもらったのですが、施設側は農業での作業請負の経験がなく、私も彼らをどのように受け入れたらよいか、わかっていませんでした」と大森さんは当時を振り返る。
そこで施設側と相談した結果、当時始めたばかりだった葉物野菜の水耕栽培に使うトレーを洗う作業やイチゴの箱折りなどを依頼することになった。
しかし半年ほど過ぎたころ、福祉事業所の担当者が異動することになり、農作業の受託ができなくなったと連絡を受けた。
「それで、あちこちの福祉事業所に農作業をやってもらえないかと相談したところ、ある施設で『自分で事業所を立ち上げたほうが早い』と言われ、それならと自分でやろうということになりました」と大森さんは言うものの、当然ながら実際にはそんなに簡単なことではなかった。
「一人ではとても無理でした。妻と息子が手伝ってくれたからできたんだと思います」と大森さんは言う。大学を卒業して実家に戻ったばかりだった息子の浩史(ひろし)さんが、「農業を継ぐつもりはないが、福祉事業所のほうならやってもいいよ」と言ってくれたのだそう。そのような家族の協力もあり、NPO法人杜の家を設立、2011年に就労継続支援A型事業所として指定を受けた。
試行錯誤の作業分解
今では、農園内の管理作業や出荷作業のほとんどに障害のある人が関わっている。2009年の最初の受け入れの際にうまくいかなかった葉かきをはじめ、植え付けや収穫、収穫済みの枝の除去、選果作業や箱詰めなどにも携わっている。
障害のある人に農作業をやってもらう際に大切なことは「作業分解」、つまり一連の農作業を細分化して作業を切り出すことだ。一般の農家がなんとなく作業していることでも作業工程を細かく分けることで、障害の特性に合わせて適材適所に仕事を割り振ることができ、農作業全体の生産性も高まるといわれている。
福祉の知識を持っていたわけではなかった大森さんとその家族は、自ら障害者福祉の勉強を重ねるとともに、各方面に協力を求め、障害のある人々の働きやすい職場づくりをしていった。
現在は大森さん家族のほか2人を指導員として杜の家ファームで雇用し、支援体制を充実させている。
指導員は、選果作業や箱詰めでは完成形の写真を見せて説明をしたり、作業範囲を決めて的確な指示をしたりするなど、利用者のわかりやすさに配慮している。また、音でサイズを知らせるはかりを使うなどして、利用者が作業しやすい環境づくりにも努めている。
もちろん、利用者の安全への配慮は欠かせない。最近ではハウス内が高温になることも多いため、1人1着空調ウエアを用意し、熱中症を予防している。
農福連携のコミュニケーション方法
夫婦2人だけで農業をしていたころと、農福連携を始めてからでは、コミュニケーションが大きく変わったという。
「夫婦2人だったら『おい』で済みますけど、利用者さんにはそういうわけにはいかないので、かみ砕いて説明するようになりました」(大森さん)
また、おおもり農園では、利用者は大森さんのことを「一弘さん」と呼ぶ。「社長」とか「大森さん」と呼ぶことはない。
「外部からお客さんが来た時にはびっくりされますね。でも妻も“大森さん”ですからね。それに私は社長なんて呼ばれるのは、大っ嫌い。私も妻のことをちゃんと下の名前で“さん”付けで呼びますよ」と、夫婦関係にも良い影響を与えているようだ。
利用者同士の関わりが成長につながることも
大森さんは利用者同士のコミュニケーションにも気を使っている。利用者の中には人とのコミュニケーションが苦手な人もおり「利用者同士があまり話さない」からだ。しかし、仕事上では全くコミュニケーションが不要ということはないため、お互いに連携をとれるように工夫をしたり、休憩時間に会話を促したりしている。
そんな職場だからか、作業に慣れた利用者が、まだあまり慣れていない利用者が成長するにはどうすればよいかと大森さんに相談をしてきたり、利用者同士が話し合って工夫をしたりすることも見られるようになったという。
その中で徐々に精神症状が改善し、一般就労に移行する人もいるそうだ。
ノウフクJAS取得でモチベーションアップ
おおもり農園では、コロナ禍の影響での需要低下のため、葉物野菜の水耕栽培からは撤退し、現在の栽培品目はイチゴのみ。天敵農薬や受粉昆虫を活用した減農薬栽培で「よつぼし」という品種を育てている。大森さんによると、よつぼしは風味や食味が良く管理がしやすいという。さらに需要が高まる11月末から12月にかけてよく実がつくので、付加価値も高いそうだ。
現在ではその品質が認められて販路も広がり、岡山県内の道の駅での販売のほか、洋菓子店などでの人気も高い。自社の冷蔵車で客先にとれたてを配送するのも、おいしさの秘訣(ひけつ)だ。
さらに、おおもり農園は2021年にノウフクJASの認証を取得した。ノウフクJASとは「障害者が生産行程に携わった食品」の規格で、おおもり農園のイチゴにもそのマークがついている。
大森さんは「利用者の頑張りをどうにか形にしたい」と考えて取得を決めたそうだが、実際に利用者のモチベーションがアップしたという。
「ノウフクJASを取った後、東京駅で行われた『にっぽん応援マルシェ』でうちのノウフクイチゴが売れたと話したら、利用者さんたちが『東京駅で売れるなんてすごい!』と喜んで。おかげでみんなの笑顔や元気につながっています」
おおもり農園ではイチゴの加工品も生産しており、カクテル用シロップを岡山市内のバーに販売するなど、販路の拡大に努めている。これらはまだノウフクJASの認証を受けてはいないが、将来的には目指していきたいという。
地域にも農福連携のメリットを還元
おおもり農園の農福連携は、地域にも受け入れられている。障害者の受け入れを始めたころから周囲の人々にも説明をして理解を求めてきたため、障害者に対する偏見を感じたことはないという。また、利用者が住宅街を流れる用水路の掃除をしたり、地域にある高齢者施設と共同で避難訓練をしたりするなど、地域に溶け込む努力をしているところも周囲の理解につながっているのかもしれない。
おおもり農園の農福連携の事例は、決してすぐにまねができるものではない。大森さんやその家族が利用者と共に10年以上かけて試行錯誤し、懸命に作り上げたものだ。
「大切なのは農業と福祉のバランス。うちのような農業者が福祉に参入すると、福祉の部分が甘くなってしまうこともあり、そこはたくさん失敗をしながら学んできました」と大森さんが話すように、両者のバランスの最適解を見つけることにも苦労をしてきた。
そんなおおもり農園の取り組みに関心を持つ農家や自治体は多く、見学や講演の依頼も増加している。その中で大森さんは「障害のある方一人一人の人生を背負う気持ちが大事」と伝えているという。
「今後は“ケアファーム”を目指していきたい」と語る大森さん。イメージするケアファームは「みんなで助け合えるような農園」だそう。
「地域の農地は少なくなっていますが里山は近くにあります。そんな里山を利用して農福連携を広げながら他の品目などにも挑戦していきたいと思っています」
おおもり農園の農福連携がイチゴハウスを飛び出し、地域の里山に広がる日は近そうだ。