本記事は筆者の実体験に基づく半分フィクションの物語だ。モデルとなった方々に迷惑をかけないため、文中に登場する人物は全員仮名、エピソードの詳細については多少調整してお届けする。
読者の皆さんには、以上を念頭に読み進めていただければ幸いだ。
Uターンしてみたら「異世界」が広がっていた!
フツーの会社員が田舎暮らしや農的な暮らし、はたまた農業ビジネスなるものに憧れ、農家になるという話がちらほら聞こえてくる。僕、平松ケンもその一人だ。30代半ばまで都会でサラリーマンをしていたが、実家にほど近い農村地帯にUターンし、念願だった農家として新たな一歩を踏み出した。
僕は農家の出身ではない。農家を志したのは、田舎の広い家で子育てをしたいというのもあったし、自分で何か事業をやってみたいという気持ちもあってのことだ。農業は、僕の夢の暮らしをかなえてくれる理想の仕事に思えた。
しかし、憧れの仕事に就いて「やっと夢がかなった」と喜んでいたのもつかの間、僕は農業、そして農業地域の理想的な面にしか目を向けてこなかったことに気付くことになる。特に人間関係では都会での常識は役に立たない。まるで無理ゲー、例えるなら“異世界”だ。
今回は、そんな僕が最初に直面した異世界のエピソードを紹介しようと思う。
まずは身近な農家に話を聞いてみた!!
僕は2年間の研修期間を終え、やっとの思いで新規就農を果たした。農業研修は受けてきたけれど、まだ一般的な知識を身に付けただけで、長年経験を積んできた農家の技術には遠く及ばない。
「いろんな人の話を聞けば、きっといい情報が得られるに違いない」
多くの事例を学び、そこから自分なりのメソッドを見つける。ビジネスマンなら普通のことだ。それに、人は自分の経験やスキルについて語りたいもの。アドバイスを求めることは、まわりの先輩農家と仲良くなる一石二鳥の攻略法に違いない! そんなことを思いついた僕は、冒険を始めたばかりの勇者が村人に話しかけるような気分で、近所の農家に会ったら世間話がてら農法についてもアドバイスを求めることにした。
まずは僕の数年前に新規就農した織田さんに話を聞いてみることにした。織田さんの年齢は60歳くらいで、会社を早期退職して就農した人だ。新規就農の先輩として、前にもアドバイスをもらったことがあった。
「タマネギの播種(はしゅ)ですけど、どのタイミングでやればいいですか?」
僕が質問すると、笑顔で織田さんは応えてくれた。
「そうだな。9月上旬、10日くらいまでにまき終えた方がいいな」
「そうですか、ありがとうございます! やってみます!」
聞けば聞くほど話がこじれ……
次の日、70歳を超える大ベテランの豊臣さんが僕の畑を通りかかった。この地域では知らない人がいないほどの重鎮だ。僕が就農する際に土地を紹介してくれた人でもある。
「豊臣さん、こんにちは! いい天気ですね!」
「ケンか。がんばってるな」
世間話のついでに、織田さんに教えてもらったタマネギの播種について、豊臣さんにも聞いてみた。
「タマネギの播種ですけど、どのタイミングでやればいいですか?」
「最近は9月に入っても暑いからな。9月下旬になってから種をまいた方がいいな」
「はい。そうですか。ありがとうございます……」
あれ? 織田さんと言っていることが違うぞ。どうすればいいんだ……。でも、豊臣さんは織田さんよりベテランだし、世話にもなってるしな……。仕方がない。僕は織田さんではなく、豊臣さんに教えてもらったタイミングで播種作業をすることに決めた。
豊臣さんが言う通り、9月下旬に種をまいて2週間あまり。発芽の状況を確認してみると、なんだか思うように生育が進んでいないようだ。困り果てていると、最初に教えてくれた織田さんが畑にやってきた。
「あれ、こんなに生育が悪いなんておかしいじゃないか?? ちゃんと9月上旬に種をまいたのか?」
「いえ、9月下旬になってから作業をしました……」
「なんでもっと早く作業しなかったんだ?」
「すみません、別のやり方を聞いて、そっちを試してみようかなと思ったもので……」
そう言葉を返すと、明らかに不機嫌そうな態度を示す織田さん。
「もしかして、豊臣さんに聞いたのか?」
僕は消え入りそうな言葉で返した。
「はい、そうです。すみません……」
(え? だめだったの? 一体、何が正解なんだ!)
人に聞けば聞くほど、僕は訳が分からなくなっていった……。
農村には最初に聞くべき人がいる
畑で頭を抱えている僕のところに、今度は徳川さんがやってきた。豊臣さんと同じく、この地域で古くから農業をしている大ベテランの一人だ。新規就農者の世話役のようなこともしていて、僕が農家を始める時にも、いろいろと骨を折ってくれた人物である。
「ケン、どうしたんだ? 発芽がうまくいかなかったそうだが」
聞けば、織田さんが徳川さんに僕のことを愚痴ったらしい。
「そうなんです。9月下旬に種をまいたところ、生育がうまくいっていなくて……。どのタイミングが正解だったんでしょうか」
「それなら、9月10日くらいまでにやるべきだったな」
徳川さんは、僕が最初に聞いた織田さんとほとんど同じ方法を教えてくれた。実は織田さんに教えたのも徳川さんだったらしい。そして、こう付け加えた。
「もしかして豊臣さんに聞いたのか? こんなことを言うのはアレだけど、あんまり真に受けない方がいいかもしれないぞ。ここ数年、収穫量をだいぶ落としているからな」
あとで地域の農家さんたちの収穫量を確認してみると、ダントツで多いのが徳川さんだった。栽培面積が多いだけでなく、面積あたりの収量も徳川さんが1番だった。話を聞くべき「ラスボス」は、徳川さんだったのである。
豊臣さんはその後も何度か畑に現れたが、僕が徳川さんからいろいろと指導を受けていることを知り、徐々にアドバイスをしなくなっていった。徳川さんが一番の実績を上げていることを知っているからだ。
そもそも、何も考えずに先輩農家に世間話のついでにアドバイスを求めるという僕の態度も悪かった。
織田さんも、豊臣さんも、よかれと思って僕に教えてくれたわけで、自分が教えた方法を僕が実践していなければ「せっかく教えたのに……」と不満を抱くのは当然である。ただ、厄介なのは、そのアドバイスが必ずしも正解だとは限らないことだ。
サラリーマンと違い、農家は全員が個人事業主であり、一国一城の主(あるじ)である。地域で統一されたルールやマニュアルがあるようで、実は別々のやり方をしていることも多い。なかには間違っていることも往々にしてあるのだ。そうした事情を理解できていなかった。
僕が最初から、誰も異議を唱える余地がない「ラスボス」に質問しておけば、余計なトラブルを引き起こさずに済んだ。「今後はちゃんとラスボスに聞こう」。僕はそう肝に銘じたのだった。
レベル1の獲得スキル
「まずラスボスを探して聞け!」
この異世界のことは、まずラスボスを探して聞く。ゲームではありえない設定だけど、この世界でうまく生き抜いていくためには、これが一番の攻略法なのだと悟った。
僕にとっては異世界だけど、あちらから見たらいろんな人に農法を聞きまくる非常識な態度はまるで宇宙人のようだったに違いない。申し訳ないことをしたなとも思い、その後も2人にはことあるごとに挨拶をし、良好な関係を保つように心がけている。
多少のトラブルはあったものの、まずは農村のラスボスを突き止め、「これからは徳川さんについていけばいいんだ! あとは簡単!」と思い込んでいた僕。ところが、農村という異世界はそんなに甘くはなかったのである……【つづく】