本記事は筆者の実体験に基づく半分フィクションの物語だ。モデルとなった方々に迷惑をかけないため、文中に登場する人物は全員仮名、エピソードの詳細については多少調整してお届けする。
読者の皆さんには、以上を念頭に読み進めていただければ幸いだ。
前回までのあらすじ
右も左も分からない状態で飛び込んだ農業の世界。これまでの常識が通用しない「異世界」に飛び込んだ僕、平松ケンは、身近にいるいろいろな先輩農家に相談した結果、思いがけないトラブルを引き起こしてしまった。
ただ、この経験から「まずはラスボスに聞くことが大事だ!」と学んだ僕は、徳川さんに話を聞きながら、少しずつ農業のイロハを学んでいくことにした。
徳川さんがこの地域で一番の実績を上げており、誰も彼の言うことに異論を唱えることはない「ラスボス」だと見込んだからだ。
ただ、このまま順調に進んでいくと思った矢先、また次のトラブルに見舞われるのだった。
農具を貸してもらったのだが…
新規就農したばかりの僕は、まだ農機具を十分にそろえることができていなかった。そこで、徳川さんに相談すると、「最初から無理しなくてもいい。余裕ができるまでは、近くの農家さんに借りればいいんだ」と教えてくれた。
「なるほど。確かに無理はしない方がいいかもしれないな」
そう思った僕は、徳川さんのご厚意に甘え、1年目はトラクターや農薬散布用の噴霧器などを必要に応じて借りることにした。
徳川さんの指示のもと、まずはタマネギを栽培することになったが、ここで必要になったのが、マルチの穴あけ機である。生育中の除草と保湿を目的に、定植前にマルチシートを張るのだが、この地域では、独自に制作したオリジナルの穴あけ機を使って作業をしていると聞いた。
「マルチの穴あけの道具はどうすればいいでしょうか?」
そう徳川さんに尋ねたところ、
「そうだな。ケンの畑の近くで伊達さんがタマネギを栽培しているから、貸してほしいと頼んでみたら?」と助言してくれた。
伊達さんは50代の農家だ。親から農地を相続したのを機に、10年ほど前に脱サラして農業を始めた先輩である。徳川さんよりも圃場(ほじょう)が近く、農機具の運搬を考えると好都合だった。
早速僕は伊達さんのもとを訪ねた。伊達さんに会うのはこの時が初めてで、いきなり農機具をお借りするのはちょっと気が引けた。しかし徳川さんに紹介してもらったことを話したうえでお願いしたところ、
「いいよ、今は使っていないからどうぞ、どうぞ」
と、伊達さんは穴あけ用の道具を快く貸してくれた。ラスボスの威光は偉大だ。
「よかった。これで作業を進められそうだ」とひと安心したのだが、その後、思わぬトラブルが発生したのである。
いつの間にか「失礼な新人」扱いに
穴あけ機を借りてから4日ほどたち、苗の植え付けの準備を少しずつ進めていたところ、徳川さんが僕の圃場にやってきた。その渋い表情を見て、何か良くないことが起きていることは容易に想像できた。
「おい、『ケンが借りた道具を返さない』ってみんなが言っているけど?」
「え? どういうことですか?」
詳しく聞いてみると、どうやら伊達さんが「新規就農した人が道具を返してくれない」と、周りの農家さんに話したらしい。この辺で新規就農した人と言えば僕しかいない。それを徳川さんが耳にして飛んできたようだ。
僕は耳を疑った。伊達さんにきちんと了解を得て道具をお借りしたわけだし、全く身に覚えがないのだが……。
「いや、4日前くらいにお借りして、作業を終えたらお返ししようと……」
「なんでも、『作業ができなくて迷惑している』って聞いたぞ!」
「ええっ、そうなんですか? てっきりしばらく借りていていいものだと……」
「すぐに伊達さんのところに行ってこい!」
僕はすぐさま伊達さんの自宅に走った。玄関のチャイムを押すと伊達さんの奥さんが出てきたので、僕はすぐに謝罪した。
「すみません! ご迷惑をおかけして……」
徳川さんから話を聞いたことを告げると、伊達さんの奥さんは、時折困ったような笑顔を見せながら話し始めた。
「こんなに遅くなるなんて思っていなくて。近所の奥さん方といつ返ってくるのかな?という話をしていたんだけどね」
どうやら奥さんが周囲の農家の奥さんに話したことが噂になり、地域全体に広まったようだった。
借りてからまだ4日しか経っていないが、地域で噂が広まるのには十分な時間だったらしい。
原因は作業が理解できていなかったから
冷静に考えてみると、僕は「貸してくれる=しばらく使わない」と勝手に思い込んでいた。けれど、同じ作物を栽培しているのであれば、同じ時期に作業をするのは当然である。
今日は使っていなくても、明日は使うかもしれないのだ。貸してくれた相手が「使ったらすぐに返してくれる」と思っていても不思議ではない。
すべては、僕が作業を理解できていないことが原因だった。マルチの穴あけ作業であれば、事前に圃場を準備しておけば、朝に借りて当日に作業を終え、夕方に返却することもできた。どうやら伊達さんもそう思っていたようだ。
「申し訳ありません! 今後はこういったことがないように注意します!」
とにかく平謝りし、何とか許してもらうことができたが、気が付けば、僕はすっかり「物を返さない失礼な新人」扱いになっていた。
「何かあれば、僕に直接話してくれればよかったのに……」
正直そう思ったが、伊達さんとはこの農機具の貸し借りで初めてお会いし、互いの連絡先を伝えることもしていなかった。そんな状態で、普段からよく顔を合わせる農家さんに先に話していたとしても仕方がなかった。完全に僕の落ち度だった。
ただ、その後はこちらの誠意がちゃんと伝わったのか、「新人だから仕方がないよね」と理解を示してくれた伊達さん。
このトラブルの2年後に伊達さんが農業をやめる決断をされた時には、「これを使ってくれればいいから」と、それまで使っていた農機具を無料で提供してくれるまで仲良くなることができた。まさに「雨降って地固まる」である。
レベル2の獲得スキル
「農機具は作業を理解したうえで借りろ!」
就農1年目は、どの作業も本格的に取り組むのは初めて。どの作業が、どれくらいで終わるのか見当すらついていない状態だ。道具を借りるのであれば、「どれくらい借りていてもOKか」を確認し、「連絡があればすぐに返しにくるので直接連絡してほしい」と伝えるべきだ。
サラリーマンであれば、同じオフィス内で一緒に仕事をしているため、互いに意思疎通がしやすい。でも、農家は一人一人経営者であり、自分の圃場を管理している。何か問題があったとき、僕にすぐさま話が回ってくるとは限らないのだ。
さらに都会とは異なり、田舎では「若い新人」は珍しく、ただでさえ「噂話のネタ」になりやすい。まだ知り合いが少ない新人のうかがい知れないところで、尾ひれを付けて噂が広まっている可能性も大いにあるのだ。僕はこの一件で「農村ならではの情報の伝わり方の怖さ」を身をもって学んだのだった。
こうしてまた一つ、「異世界のルール」を学んでレベルアップを果たした僕。少しずつこの世界にも慣れてきたが、その後も「異世界ならではのしきたり」に戸惑うことになるのである……【つづく】