本記事は筆者の実体験に基づく半分フィクションの物語だ。モデルとなった方々に迷惑をかけないため、文中に登場する人物は全員仮名、エピソードの詳細については多少調整してお届けする。
読者の皆さんには、以上を念頭に読み進めていただければ幸いだ。
前回までのあらすじ
右も左も分からない状態で飛び込んだ農業の世界。これまでの常識が通用しない「異世界」に飛び込んだ僕は、身近な先輩農家にいろいろと相談したせいで思いがけないトラブルを引き起こしたり、農具の貸し借りであらぬ噂が広まったりと、最初からさまざまな問題にぶち当たることになった。しかし地元の篤農家である徳川さん(僕はひそかにラスボスと呼んでいる)の助けなどもあって、どうにか乗り切ってきた。
そして、苦労しながら「異世界の常識」を少しずつ学んでいる僕に、さらなる難題が襲い掛かってきた。噂に聞いていた「地元農家との懇親会」だ。その案内は、突然やってきたのである。
いきなり懇親会の案内が届く
地域の農家さんとのトラブルに見舞われながらも、少しずつ異世界での立ち振る舞いに慣れ始めた僕。徳川さんに指示を仰ぎながら、他の農家さんたちとも徐々に交流を深めていくなか、一通の手紙がポストに届いた。
封筒を開けてみると、そこには「懇親会のお知らせ」と書かれていた。
「今どき手紙で?」とは思ったものの、高齢の農家も多いので、ここではこれが普通なのだろう。
もともと地域の農家に仲間入りする際、定期的に懇親会が開催されることは聞いていた。「これがそうか」と思いながら内容を詳しく見てみると、日時のところには1週間後の日付が書かれている。しかも会場は、地元でも有名な老舗の飲食店の宴会場。気楽な会ではなさそうだ。
さらに案内状には、行政やJAの担当者、取引業者などを交えた会合を開いた後、親睦を深めるための食事会を催す、とある。
「結構オフィシャルな会合なのに、1週間前に知らせてくるなんて……。でも、行かないわけにはいかないよな」
とつぶやいた次の瞬間、思いもよらない一文が目に入った。
そこには、「ご夫婦で参加ください」と記載されていたのだ。
まさかの「夫婦強制参加」
我が家で農作業をしているのは、基本的に僕だけだ。将来的には夫婦で作業するつもりだけど、妻は保育園に通う前の2歳児と0歳児の子育てに追われ、ほとんど農作業をしていない。もちろん、地域の農家の皆さんとは普通に近所づきあいをしているし、それを嫌がっているわけでもない。近所での軽い集まりならちょっと顔を出すこともできるだろう。でも、取引先も出席する会合にまで出席となると話は別だ。
「急に夫婦で参加と言われても、小さな子どももいるし、さすがに難しいよ……」
僕はすぐさま徳川さんに電話を入れた。
「懇親会の案内状が届きました。ところで、夫婦で参加というのは絶対でしょうか……?」
いつも新規就農者である僕に理解を示してくれる徳川さんなら事情を理解してくれるだろうと半ば期待をして、僕は質問した。しかし、徳川さんから返ってきたのは、思いがけない返事だった。
「そりゃあ、夫婦で参加するのが当たり前だろ」
「え? そうなんですか? でも、子どもが小さくて妻は参加が難しいので……」
「いやいや、夫婦で参加がルールだから。2人で参加してもらわないと困るよ。これからみんなにお世話になるんだろ?」
徳川さんは、あきれたようにため息を漏らした。
「そうですか……。でも……」
「子どもは親に預ければいいだろ。な。絶対に2人で参加してくれよ!」
そう言って徳川さんは電話を切ってしまった。僕は途方に暮れた。親に子どもを預けようにも、僕の両親は共働きで、平日のその日に預けることはまず無理だ。遠方に住んでいる妻の親に預けることも難しい。
「え? 私も参加しないといけないの?」
妻に相談したところ、完全に寝耳に水といった反応だ。無理もない。でも、徳川さんの口ぶりから察するに「妻が不参加」という選択肢はありえないことも妻に説明した。
「1週間後って……。しかも夕方でしょ? 近所の保育園の一時預かりは16時までだから無理よ」
妻は明らかに不機嫌になっている。
「地域に溶け込むチャンスだし、なんとかお願いできないかな。徳川さんには、子どもも同席させてもらえるように頼んでみるから」
僕がそう言うと、妻は「本当に子どもたちを連れて行っても大丈夫なのね?」と念押ししたうえで承知してくれた。
急に決まった夫婦強制参加の懇親会。「せめてもう少し、早めに日程を教えてくれたら……」と思ったが、大勢の先輩農家が参加するなか、新人にそんな権利はない。翌日、徳川さんになんとかお願いし、しぶしぶ子連れでの参加を了承してもらうことができた。
大波乱の懇親会当日
そして迎えた懇親会の当日。
僕たち家族を含め地域の農家さんを乗せたバスは、会場の飲食店に着いた。徳川さんが事前に言っていた通り、全員が夫婦で参加していた。子どもたちはバスの中ではおとなしくしており、この調子ならどうにか乗り切れそうだ。もしここで、新人の僕だけが妻を連れて来ていなかったら……。僕は「妻を説得してよかった」と心の底から安堵(あんど)していた。
懇親会が始まると、まず徳川さんが挨拶した。
「今日は皆さん、ご参加いただきありがとうございます。ご存じの通り、この度、新たに平松ケンさんが仲間入りすることになりました。今日は日頃の労をねぎらいながら、ぜひ親睦を深めていただければと思い……」
その時、おとなしくするのに飽きた2歳の上の子どもが、急に大声でおしゃべりを始めたのである。まずい!
それまで上機嫌で話していた徳川さんの顔が、明らかに曇るのが分かった。
「すみません。せっかくのお話を邪魔してしまって……」
挨拶の後、僕はすぐさま徳川さんのもとに駆け寄り、子どもがうるさくしたことをわびた。
「いいよ、いいよ。でも、やっぱりこういう席に子どもを連れてくるのは、よくないよなぁ……」
僕は「すみません……」と消え入るような声で返すのがやっとだった。
その後も地獄は続いた。上の子の我慢は限界に達し、その後もますます騒がしくなり、下の子は泣き叫んだ。僕は謝りながらお酌して回り、妻は赤ん坊を抱きながら上の子を抑えるのに必死で、親睦どころではなかった。最初は「子どもだから仕方ないわね……」という温かい視線を送ってくれていた奥さん方も次第に冷ややかな対応になっていった。僕は「理不尽だ……」という思いを必死に押し殺しながら、針のむしろ状態になっている妻をフォローするので精一杯だった。
トラブルを機に新ルールを提案
地獄のような懇親会を終えた僕は、心底疲れていた。「どうすればよかったのか……」。子どもは親に預けて面倒を見てもらえるのが当たり前。そういう「異世界のルール」にどう対処すればよかったのか。正直、答えが見つけられないまま、悶々(もんもん)とした気持ちを抱き続けていた。
考えてみると、僕以前の新規就農者は大体50代以降で、しかもこの地域の農家の家庭に育った親元就農の人たちばかり。小さい子どもを連れて地域に入ってきた人はいなかった。僕がイレギュラーなパターンだったのだ。
そういう状況に妻も一定の理解は示してくれたものの、「頑張って参加したのに、なぜ私がこんな目に逢わなきゃいけないの?」と内心腹を立てているのは察しがついた。
「今後、同じようなことが起きたら、どんな風に対応すればいいのか?」
僕は、徳川さんが自ら「やっぱりこういう席に子どもを連れてくるのはよくない」と言っていたことを逆手に取り、うまい突破口を探ることにした。
早速翌日、早朝から畑で作業する徳川さんを見つけた僕は、すぐに駆け寄って昨夜の懇親会の非礼をわびた。
「ゆうべはすみませんでした。うちの子がご迷惑をかけてしまって……」
徳川さんは、「いや……」と小さく返事をするが、作業の手は止めない。
「やっぱり子どもを同席させるのはまずかったですね。本当に申し訳ありません」
僕がひたすら頭を下げていると、徳川さんは作業をしながらも僕をちらっと見て
「そうだな、やっぱりあれはダメだろ」
と言ったが、意外と怒っている感じではない。チャンスとばかりに僕は突破口をこじ開けにかかる。
「ですよね……。ただ、隣町にいる僕の両親は共働きで、預けるのはなかなか難しいんです。妻の実家も遠くて、預けられる親戚などもいないものですから……」
「そうか、預けられる親がいないってこともあるんだなあ」
徳川さんは以前と違って僕の話に耳を傾けてくれた。今なら切り出せる!
「そういう事情ですので、次から子どもは妻に面倒を見させて、僕だけで参加させていただけないでしょうか……」
「そうか、夫婦参加が原則だけど、子どもが一緒にいるのはちょっとまずいしな。それでいいんじゃないか?」
「ありがとうございます。その代わり、子育てが一段落したら、妻も同席できそうな行事には積極的に参加するように言いますので」
「そうだな、みんな家族みたいなもんだからよろしく頼むよ。みんなには改めて仲良くやってくれるように俺からも言っておくよ」
おお! よし、これで妻を無理に同席させる必要はなくなる!! こうして僕は、ラスボス徳川さんから「新ルール」をうまく引き出すことができたのだった。
レベル3の獲得スキル
「地域のルールを理解し、落としどころをうまく探れ!」
農家の世界は、時間の融通が利きやすい自営業者の集まりのため、思いがけず予定外の行事が入ってくることが多い。基本的に強制参加で、一緒に農作業をしていることから「夫婦で参加するのが当たり前」というケースも少なくない。そんな時、安易に「妻は不参加で」とルールに従わない態度を取れば、仲間外れになる可能性もあるので注意が必要だ。
地域特有のしきたりに戸惑うこともあるが、大事なのは、最初から「無理だ」と拒絶するのではなく、「郷に入っては郷に従え」の精神で、ひとまずルールに従って頑張ってみること。そうすることで、まわりの人も「あいつはルールを破りたくて破っているんじゃない。仕方ないんだ」と理解してくれるようになる。そのうえで、無理のない落としどころを探っていく姿勢が大切だと学んだ。
突然の懇親会という「魔のイベント」をなんとかやり過ごし、子育て中でも負担が少ない「新ルール」をうまく引き出すことができた僕。難関を切り抜けて安心していたのだが、これで全てがうまくいくような「異世界」ではなかったのである……【つづく】