医療・介護用具のリース会社に勤務
井手さんは、佐賀県武雄市東川登町で水田作をする第二種兼業農家のもと、1983年に生まれた。県立有田工業高校卒業後は、工場での勤務を経て、医療・介護用具のリース会社に転職。営業所部の所長として部下5人のマネジメントに携わるなど「仕事は順調でした」と話す。
ただ、35歳になるころから、将来について考え直すようになった。「ぼんやりとですが、このままサラリーマンを続けるよりは、自分で何かを経営してみたいと思うようになったんです」
福祉用具のリース会社や飲食店……。いくつかの職業が浮かんだものの、「当初は農業という選択肢はまったくありませんでした」。
「稼げる農業」にひかれて
一転して農業に関心を持つきっかけになったのは、「トレーニングファーム」の存在を知ったこと。既報のとおり、トレーニングファームとは、佐賀県の補助事業を受けて、JAさがが運営する新規就農者を育成する拠点を指す。県内には四カ所のトレーニングファームがあり、キュウリとイチゴ、トマト、ホウレンソウの4品目をそれぞれ作ろうとする人を育てている。
井手さんは、JAがトレーニングファームで実証することとして掲げている「稼げる農業」という言葉にひかれたという。「農業でもある程度お金になるというので、興味がわいてきたんです」
四つある品目のうちキュウリを選んだのは、地元である武雄市のトレーニングファームがキュウリを作る人を育成するが場だったため。さらに、井手さんの実家が武雄市に農地を所有していたので、農地を探して貸し借りする手間を省けることも大きな理由だ。
こうして36歳で脱サラし、トレーニングファームの研修生となった。2年間の研修を経て、2020年にキュウリを作る経営に乗り出した。
経営面積は32アール。大規模で始めた理由
井手さんの経営面積は管理棟を含めると32アール。このうち31アールが栽培棟である。JAさが管内でキュウリを栽培する農家のなかでは大規模といっていい。
これだけの経営面積にしたのは、「雇用型経営を進めれば、いずれ規模を拡大することになる。それなら、最初からある程度の大きさにしておいたほうが、余計なコストがかからずに済む」からだ。
ちなみにトレーニングファームの講師であるキュウリ農家の山口仁司(やまぐち・ひとし)さんは、新規就農者には独立時に経営面積として20アール以上を勧めている。10アールで35トンの収量を達すれば、1000万円にはなる。20アールなら、その倍の2000万円以上。これくらいの稼ぎがあれば、一から始めても土地や資材の借金が返せるという。
手をかけすぎず栽培管理
とはいえ経営面積は大規模なのに大して、人数は限られているので、おのずと研修生時代とは違う管理の方法を模索することになった。
「トレーニングファームのときと違うのは、手をかけすぎないようにしたこと。ちょっと手遅れになる手前くらいでとどめておく感じでしょうか。手をかけ過ぎると、作物にストレスを与えるし、全体の管理がいきとどかない。かといって、手をかけなさ過ぎると、収穫には結びつかない。そのへんの匙加減が難しいですね」
栽培棟は5つの区画に分けている。井手さんは、それぞれの区画について、一度手を入れたら、向こう一週間程度は自分が見に行かなくて済むように管理しているという。「一週間後の樹姿を想像しながら、どの程度管理をすればいいかを考えて作業をしています」
キュウリの体調を適切に保つため、7人いるパートの「手癖」を直すことには、とくに注意を払う。「よく見ていると、それぞれ手癖があります。人によっては摘葉をし過ぎたり。そうした手癖を直してもらうよう、アドバイスをするのが自分の役割です」
従業員と接するなかで大事にしているのは、彼らのやりがいを保つこと。アドバイスの通りに作業を改めたり、逆に現場で気づいたことを教えてくれたりすれば、「ありがとう」という言葉を伝えている。「従業員なくして、経営は成り立ちませんから」。前職で所長を勤めていたことが頷けるような話だ。
井手さんにとって、近い将来にかなえたいことはさらなる規模の拡大だ。既存のハウスの周囲に実家が所有する農地がまだ残っていて、少なくとも20アールは増やすつもりでいる。
目的は、農閑期をなくすこと。現状、12月下旬に植え直してから3~4週間は仕事がない日が多くなる。ハウスを増やせば、それが解消されるとみている。「滞りなく仕事をつくらないと、職場として魅力がないですからね。従業員のレベルが一定以上になったら、規模拡大したいと思っています」