農家との結婚で道の駅の社長に⁉ 妻の立場にとらわれない生き方
全国の農場を渡り歩いている、フリーランス農家のコバマツです。農家と結婚した女性の中には、「農家の妻=こうあるべき」という先入観のために嫁ぎ先の農家や地域で役割を見いだせない人が多いのではないでしょうか。そんな中、「農家の妻」という枠を超えて、地域に貢献している女性に会ってきました。
彼女はどのように夫や地域の人々の応援を受け、地域を引っ張る女性経営者になっていったのでしょうか。
農家に嫁ぐことは考えていなかった!
「農家の嫁」というと、夫の農場の手伝いや両親のお世話など、固定した役割を担わざるを得ないというひと昔前のイメージがいまだにありませんか。また「嫁」という立場でなくても非農家から農家の妻となった場合、住む場所も環境もガラリと変わり、なかなか自分の役割を見いだせないという人も多いのではないでしょうか。
しかし、そんな農家の妻という立場をむしろ生かして活躍している女性経営者に出会いました。
地域や農場に自らの役割をどのように作っていけばよいのか。農家の妻として地域に入って活躍しているこの女性にインタビューしていきたいと思います。
■堀田悠希(ほった・ゆき)さんプロフィール
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1987年生まれ。北海道中札内(なかさつない)村出身。飲食店の娘として幼少期を過ごす。両親の背中を見て「自らもいずれ経営者になりたい」と思い、札幌の短期大学で経営を学んだ後にUターンし、地元JAに就職。結婚を機に退職し、士幌町で夫の実家の夢想農園で働くように。2014年に若手女性農業者のネットワーク「農と暮らしの委員会」を設立。2016年、道の駅「ピア21しほろ」のリニューアルを手がけるため「株式会社at LOCAL(アット・ローカル)」を設立。
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本当は実家の飲食店を継ぐ予定で「婿探し」をしていた!
コバマツ
悠希さん、学校も前職も農業とは関係ない勉強や仕事をしていたそうですね! 夫である堀田隆一(りゅういち)さんと出会うまでのエピソードを聞かせてください!
もともと実家が飲食店を経営していて、いずれ“お婿さん”と一緒に実家を継いで飲食店を経営できればと考えて、札幌の短大で経営の勉強をしました。卒業後は勉強のために都会の飲食店で働こうと考えていたんですけど、私が20歳のときに母が亡くなってしまって。家族を支えるために地元に戻ることにしました。将来的に飲食に関わる仕事をするなら、食の根幹である農業について学びたいと思って、地元のJAに就職したんです。
悠希さん
JA勤務時の悠希さん。農家の現場作業、経理、総務、イベント出店など多岐にわたる業務をこなしていたそう
コバマツ
え、お婿さんが欲しいと考えていたのに農家と結婚したんですか? JAに入って農業に興味が芽生えたとか?
むしろ逆で、当時は農家にだけは絶対嫁ぎたくないなって思いました(笑)。地域との関わりや家族との関係、農作業も大変そうだし、あんまりポジティブな印象はありませんでしたね。
悠希さん
コバマツ
隆一さんと結婚する、となったら当時の家業を継ぐという夢よりも「この人と人生を歩みたい!」っていう思いが強くなりました。
悠希さん
コバマツ
そうですね♡ 出会いは2008年になるんですけど。地元の特産品をPRするために、町のお祭りにJA職員として出店していたんです。そこでブースの隣に出店していた農業青年団体の人を見て「素敵!」って思ったんです。オレンジのつなぎを着て、自分達の作物を使った料理を作ってお客さんに提供していて。今でこそ、生産者と消費者が直接つながれる機会が多いですが、当時はまだそんなことはなかったのでとっても魅力的に映りました。隆一さんはそこの代表だったんです。
悠希さん
当時隆一さんが代表だった若手農業者団体CROPS(クロップス)。団体自体にも魅力を感じ、悠希さんも後にメンバーになる
コバマツ
確かに、2008年ってまだSNSも今ほど普及していないですし、生産者から消費者に向けての情報発信ってあまりされていなかったかもしれません。
当時mixiをやっていて、そこで“堀田隆一”と検索をして、連絡をしました。それからその農業青年団体に私も入って交流していき、お付き合いして結婚に至りました。
悠希さん
お互いに引かれた理由
悠希さんの「実家の飲食店を継ぐ!」という夢を忘れさせてしまうほどの素敵農家の旦那さんにも登場していただきたいと思います!
堀田隆一さん。1983年、北海道士幌町生まれ。農業専門学校を卒業後、イタリア料理店に勤め調理師の資格を取得する。2006年に実家の夢想農園の後継者として士幌へUターン。夢想農園の42ヘクタールの耕作地で、カブ・ナガイモ・ミズナ・バレイショ・テンサイ・小麦・スイートコーンを生産。その他、西洋野菜・京野菜・ハーブを約30品目ほど生産している。
コバマツ
優しそうで知的な感じの旦那さん! 悠希さん、隆一さんのどこに引かれたんですか?
地域が良くなるためにどうすればいいか、常に周りが幸せになるためにはどうすればよいかと考えて行動している所に引かれました! 皆に支えられながらリーダーシップを発揮しているところも彼の魅力だなって感じています♡
悠希さん
コバマツ
皆をまとめるリーダー的な姿に引かれたんですね! 隆一さんは悠希さんのどこに引かれたんですか?
この人と一緒にいたら幸せになれるなって感じたんですよね。一緒にお互いの目標も支え合いながら実現させていけるなって思いました。
隆一さん
コバマツ
「幸せにしたい!」ではないんですね! そんな2人がどんな農ライフを歩んできたのかもっと聞いていきたいです!
農家の妻になり、カルチャーショック!
農業にやりがいを見いだし、野菜を売りまくる妻に!
コバマツ
大変そうだと感じていた農家の妻になってみて、実際どうでしたか?
最初の頃は無我夢中でした。初めて経験する農作業は体力的にきついだけでなく、お客さんの顔が見えないことで「誰のために作物を作っているんだろう」と気持ちの面でもやりがいを見いだせずにいました。
悠希さん
夢想農園は十勝地域の中でも少し広めの面積。収穫だけではなく移動だけでも体力を使う
スタッフも繁忙期は15~20人ほどになるそう
コバマツ
慣れないうちは大変ですよね……! 確かに畑と家の往復で、農場以外の人と関わりがなかったら、なかなかやりがいや役割を見いだせませんよね。
そこで「お客さんの視点で、必要とされているものを作ろう」と考え、夫と共に直販事業を始めました。カブやミズナ、パクチーなどを持って東京へ行き、十勝の野菜を使っているレストランやバイヤーさんに売り込んだんです。
悠希さん
東京出張の際も、農家らしくあえてつなぎで飲食店や企業を訪問
初年度の売り上げは140万円でしたが、年を追うごとに売り上げが伸び、1000万円を超えました。最初は「労力の割に売り上げが見合わないからやめとけ」と言っていた義理の父も、認めてくれるようになりました。
悠希さん
コバマツ
やりがいだけではなくて、結果もきちんと出して認めてもらえるようになっていったんですね!
女性農業者の地位向上のために団体を立ち上げる
コバマツ
農産物の営業に行ったら、女性は珍しがられて話を聞いてもらいやすかったんじゃないんですか?
それが、案外そうでもなくて……。営業に行っても夫には名刺を渡すけど、私は名刺をもらえないこともあったり、夫より立場を低く見られたりしました。農家の妻という立場で就農したことで、自分のキャリアを生かしにくいと感じていました。そんな経験から、同じ経験をしている人がいるに違いないと思って周りの人に声をかけ、女性農業者の地位向上のために「農と暮らしの委員会」という団体を立ち上げました。
悠希さん
農家の妻、後継者、農業法人勤務などの女性に呼びかけ、結成当初は13人が集まり、現在は20人のメンバーがいる
コバマツ
同じように感じている農業に携わる女性がそんなにいたんですね。活動の中で、実際に女性農業者の役割や立場に変化を感じることはありましたか?
活動としてはマルシェに出店したり、他の地域に視察に行ったり、直営販売をしたりしていたんですけど、メンバーの中では農業生産法人勤務から独立就農した人や、店舗に自社農場の売り場を作る人が生まれたりして、それぞれ活躍していくようになりましたね。
悠希さん
コバマツ
今思うと、「農と暮らしの委員会」の活動がきっかけで、起業して道の駅を立ち上げることにつながっているなと感じますね。
悠希さん
道の駅の社長に!?
コバマツ
団体を立ち上げたことと、悠希さんが道の駅を運営することになるのと、どうつながるのでしょうか?
2016年、道の駅を新設しようというときに、町民を交えて道の駅運営者と意見交換会があったんです。
そこで「農と暮らしの委員会の代表だから」と、行政、商工会、JA青年部が集う中、私も参加することになりました。でも実際出来上がった計画書は外部コンサルが作ったもので、町民の意見がほとんど反映されていなくて……。
悠希さん
コバマツ
町の有権者が集う会議に呼ばれるなんて、農場だけじゃなくて町からの信頼も築けていた証拠ですね。それから何か行動を起こしたんですか?
隆一さんと作った50ページくらいの道の駅計画書を持って、2人で町長にプレゼンしに役場に毎日行ったんです。そうしたら、当時の町長が、「そんなに言うなら、あなた達が会社を作って道の駅を運営する選択肢もある。受託が決まったら僕も腹をくくるから、君たちも腹をくくってくれ」と言ってくれて、それが起業する後押しとなりました。
悠希さん
堀田夫妻の道の駅運営を後押しした、当時の町長だった小林康雄(こばやし・やすお)さん。悠希さんは当時28歳
コバマツ
毎日プレゼンに行ったのもすごいですが、町の覚悟もすごいですね。
それでなぜ隆一さんではなく、悠希さんが代表をすることになったんですか?
道の駅は最初、隆一さんが「俺たち2人でやろう!」と、資料を作っていたんです。でも、夫は夢想農園の経営者になることが決まっていたので、2社の代表になるのは厳しいだろうと考えて2人で話し合った結果、私が道の駅を運営する株式会社at LOCALの代表をやることになりました。
悠希さん
コバマツ
悠希さんが代表になることについて隆一さんはどう感じましたか?
僕もやりたいという思いがあったんですが、2社の経営者になるのは中途半端になってしまうなとも思ったんです。どうしようか悩んでいたときに、僕の経営の師匠から、「私心を捨てる」という言葉をいただいて。
地域や世の中を良くするために、「本当にそれは自分がやるべきことか、もっと他に最適な人がいないか」ということを考えました。その結果、妻の方が適していると思って、代表になってもらいました。
隆一さん
コバマツ
2人でチャンスを手繰り寄せて形にしていったんですね! 夫婦であり、仕事の面でも良きパートナーって感じが伝わります!
地域の農業がわかっているからこその道の駅運営
悠希さんが代表を務めるat LOCALが2017年から運営する道の駅、ピア21しほろ
コバマツ
「日本一町民に必要とされる道の駅」を作ることを目指しています。町民に必要とされる道の駅だからこそ、観光客が共感する。これがローカルビジネスの基礎だと思うんです。
一緒に働く仲間たちとどうやったら実現できるかを考えながら道の駅を運営していますね。
悠希さん
道の駅で働くメンバー。町民や、道の駅で働くために移住してきた若者が多く働く
道の駅のメンバー達で「町民に愛される道の駅にするためにはどうすればよいか」を定期的にディスカッションしているそう
コバマツ
そんな町民から愛される道の駅、早速中を見てみましょう!
広々とした店舗内。オープン当初のGWは1日に8000人の来場者があったそう
地域の特産品や野菜が豊富に販売されている。at LOCALが地域の素材を使って開発した商品も多数ある
士幌町の特産品が食べられる食堂や
カフェも併設されている
コバマツ
確かに、士幌町の魅力がたくさんつまっている道の駅ですね!
町のものを取り扱う以外に、町に愛される道の駅になるために取り組んでいることはありますか?
道の駅に町の商店街のお店を紹介するコーナーを設けてお客さんを商店街へ誘導したり。
他には北海道士幌高校に地域産業を知ってもらうために授業に出向いたり、インターンシップで職場体験を受け入れたりしていますね。他にも、地域の生産者の「加工品を作りたい」という相談を受けて一緒に作るなど、さまざまな形で地域とつながるようにしています。
悠希さん
コバマツ
物を販売するだけじゃなくて、町の人が地域を知ったり、新しい挑戦をしたりできる場所でもあるんですね! 農家の妻としてだけではなく、販路開拓をしたり、団体を立ち上げたりと、いろいろな立場を経験した悠希さんだからこそ作れる道の駅だと感じます!
農家の妻だからって農業だけにとらわれない
コバマツ
隆一さんと結婚してから現在までのストーリーを聞いてきましたが、ものすごくいろんなことがありましたね……!
現在は子育てと道の駅のお仕事があるということで農業には直接的に関わっていないとのことですが、今後取り組んでいきたいことなどありますか?
今後は、もっと町の人に道の駅を利用してもらえるように、道の駅の仕組みを活用して地域の人が挑戦できる機会を作っていきたいですね。
そして、夫婦としては、今年は2人で月1回デートをするのが目標です♡ 来月は朝ヨガして、ランチデートをする予定です♡
悠希さん
コバマツ
最後に、これから夫婦で農業をやっていこうと考えている人、農家の妻として農業ライフをスタートする人に一言お願いします!
農家の妻として農業に携わると、自分のキャリアを生かせない!と感じることが多いと思います。でも自分の経験を生かして、挑戦してみたいことをやり続けて、周囲と向き合っていけばいずれ周りも認めていってくれると思います。
悠希さん
僕たちは、話し合って、理解し合って、それぞれやりたいことをやっていますが、他の夫婦にとっては「農作業を一緒に2人でやっていた方が幸せ」というのもあると思います。
本当にそうしたいと思っているのか、相手が自分のためにそのような言動をしていないか?と察することが夫婦間を良くしていく秘訣(ひけつ)かなと思っています。
隆一さん
自らの行動で地域での自分らしい役割を作っていった悠希さん。農家の妻になってその立場の難しさやキャリアを生かせない現状に立ち向かえたのは、夫の隆一さんとのフラットな関係があったからこそと感じました。世間の「農家の妻」のイメージに縛られずに、自分が挑戦したいことはやってみる。そうすることで、自分らしい農業との関わりが作られていくのではないでしょうか。