農家の妻だから農業を続けるわけじゃない。仲間と共に農業経営者として生きるビジョン
全国の農場を渡り歩いている、フリーランス農家のコバマツです。農家と結婚した女性の中には、農業以外の別の仕事をする人もいれば、専業主婦を選択する人も。しかし私が見てきた農家では、夫と一緒に農業に携わるケースが多かったように思います。そんな中、夫が帰らぬ人となってもなお、農業にやりがいを持ち、農業経営者として活躍している女性がいます。彼女の支えやモチベーションとなっているものとは。
ホテル勤務から、農家の妻へ!
「農家との結婚を機に就農した女性」と聞くと、夫の存在があってこそ農業をしていると思われがちです。でも、もしその夫が農業を続けられない状況になったら、妻も農業をやめてしまうのかというと、そうとは限りません。
今回インタビューした女性は夫の農場を引き継ぎ、農業経営者として活躍しています。なぜ、農場で働き続けるのか。彼女を支えている思いや原動力となるものは何なのか、聞いてきました。
■寺田真由美(てらだ・まゆみ)さんプロフィール
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1975年生まれ。岐阜県高山市出身。高山市内のホテルに勤務していたが、1996年、農家だった夫の正樹(まさき)さんとの結婚を機に就農。主にコメと、施設栽培でトマトを生産している。2010年、農場を法人化し夫と共に共同代表に。2015年より単独の代表になる。飛騨の風土を生かした農業経営をしていくことが目標。
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コバマツ
寺田さん、結婚前はホテルでサービス業をしていたそうですね! 夫の正樹さんとはどうやって出会ったんですか?
休みの日に農家の手伝いに行っていたんです。そこで出会ったのが、夫でした。
寺田さん
コバマツ
私の祖父が兼業農家で、田舎や農業が好きだったんです。夫とは20歳で出会って、21歳で結婚しました。夫は私より一回り年上だったので、早い段階で結婚を意識するようになりましたね。
寺田さん
就農したての寺田さん
コバマツ
早い結婚ですね!
若くして農家と結婚するということに対して、ご両親の反応はどうでしたか?
両親からは「まだ21歳なのになんでわざわざ農家の嫁に行くの!?」と、大反対されましたね。
寺田さん
コバマツ
確かに20歳くらいなら、まだまだこの後、結婚相手候補になる男性は現れそうな気もしますよね……!
周りの友達も20代前半で、若い時期を全力で謳歌(おうか)している時期だったので、自分でも「田舎で農業って、老け込むんじゃないかな?」とも思ったんですけど。逆に「カッコイイ農家になってやる!」って意気込んで結婚しました。
寺田さん
農作業中の寺田さん。カッコイイ!
コバマツ
今まさしくカッコイイ農業者になっていますね!!自分が大好きな人と農業をしていく道を若くして選択したんですね!
素敵です!
農家の妻になってみて思うこと
コバマツ
実際に農家の妻として地域に入ってみて農場や地域との関係性はどうでしたか?
今振り返れば、10歳以上夫と年が離れていることもあって、農場でもいろいろと大目に見てもらえていたかなと思います。地域の会議や集まりに夫について回っていたので、地域でも可愛がってもらっていましたね。
寺田さん
コバマツ
でも、やっぱり、農業は男性社会だなと強く感じましたね。地域の会議も男性が多いですし、農場でも妻は縁の下の力持ち的存在です。パートさんを回したり、経理管理や、作業の段取り的役割で。技術面の栽培管理は夫の役割であることがほとんどだなと思いました。
寺田さん
コバマツ
そうですね。私がこれまでお手伝いに行った農場も、奥さんが現場作業の案内や説明をしてくれたり、お金のやり取りをしてくれるところが多かったなぁ。
「農家の妻も技術面を理解して農業に携わることができれば、もっと楽しんで農業に関わることができるんじゃないかな?」と思って、当時、周りの農家のお嫁さん達に声かけをして普及員の方に講師をお願いして、栽培技術の勉強会を定期的に開いていました。
寺田さん
コバマツ
結婚をしてすぐには子供を授からなかったこともあって、最初の10年間は仕事として農業と向き合えたことが、振り返ってみたらよかったなと思いますね。
寺田さん
夫の病の発覚を機に、法人化を決意
これからは農業をやりたい人が農業をできる社会へ
寺田さんが就農した当時はコメ、トマトなどを生産する個人経営の専業農家だった
コバマツ
家族経営から法人化したきっかけはなんだったんですか?
嫁いでから10年して、夫の病が発覚したんです。それを機に法人化を考え始めました。
当時私たちに子供もいなかったこともあって、「これからは家族だけじゃなくて、農業をやりたいと思う人が農業をできる形があってもいいんじゃないか? 法人化すれば若い子に引き継いでやっていってもらえるのでは」。そう話し合って法人化したんです。
寺田さん
寺田農園のフルティカ。このほかピッコラルージュ、桃太郎など6種類のトマトを作っている
コバマツ
農場の法人化のタイミングで加工場や直売所も立ち上げて、自分たちの加工品などを販売できる場も作りました。
寺田さん
寺田農園の加工品や野菜を販売していた直売所
自社のトマトを使ったジュースやソースの加工品製造も行う
今は私が代表をやっていますが、もともと夫と共同代表でした。法人化する時に「これからは女性も前に出た方が、会社としても目立つだろう」と。夫に先見の明があったみたいです。その後、夫が亡くなったことを機に、2015年から私が単独で代表をしています。
寺田さん
夫との別れ。夫の遺志も継ぎ、農業経営者へ
コバマツ
夫の正樹さんが他界されたとき「もう、実家に帰ろう」という思いが頭をよぎったりしなかったんですか? 現在も1人で代表を続けようと思える、寺田さんの支えとなっているものは何なのでしょうか?
夫が亡くなったからといって、実家に帰ろうとは思いませんでした。既に法人化していて若いスタッフたちもいて、会社の従業員に現場も精神的にもサポートしてもらえたというのが大きいですかね。もし家族経営だったら、私1人では代表としてやってこれなかったのではないかなと思います。
寺田さん
寺田農園で働く従業員とその家族たち。現在は正社員6名、パート4名の仲間が農場、加工場で働いている
コバマツ
確かに、法人化して長い間、共に過ごしてきた従業員も、家族と同じくらいかけがえのない存在ですよね!
実務面では正樹さんが担っていた部分を引き受ける場面も多くなったと思うのですが、その点はいかがでしょうか?
経営面では、現場も自分で判断したり、決めていくことが多くなり大変でしたね。中でも加工業務は夫が大きく担っていたんです。
当時、自分たちのトマトの加工以外にも他の生産者の加工業務も受けていたのですが、夫が亡くなった時は、始めてまだ3年目でした。他の生産者からの加工委託は「分からないまま引き受けても迷惑がかかるからお断りしよう」と考えていたんですけど。委託してくれている生産者から「まだ加工事業も始めたばかりでしょ。失敗してもいいからできるまでやってみなよ」という言葉を受けて。加工事業もやめずに続けてくることができました。
寺田さん
コバマツ
地域の生産者も寺田さんのことを応援してくれていたんですね……!
支えとなっていたのは従業員と地域の人たちの存在だったんですね!
正樹さんと2人で取り組んできたことがきっと周りの応援につながっていったんでしょうね!
夫との別れを乗り越えて見つけた自分のビジョン
コバマツ
改めて寺田さんの今後のビジョン、聞いちゃってもいいですか?
「飛騨の風土を生かしきる」です。
風土の中には地域柄や暮らし、伝統があって、その中で自分は何ができるかを考えたんです。飛騨の宝である風土は、農業で守られているんじゃないかなって。
だから、農家という立ち位置で飛騨を魅力的に発信していくことができれば、と考えています。
寺田さん
寺田さんが描く20xx年の飛騨の風景
五感を通して農業の魅力や作物のおいしさを伝える農業スタイルを作っていきたいと思っています。レストランや、食育の取り組み、人が集う場づくりなど農業を通して飛騨を感じて欲しいです!
寺田さん
コバマツ
農業って環境だけではなく、暮らしにも根ざしていますもんね。
栽培方法はその地域の土壌などの影響も受けますから、そこで育てられた食べ物は地域ならではのものですよね。寺田農園から農園や飛騨の魅力を楽しく発信していきたいというビジョンがよく伝わります!
実は私、単独の経営者になってからこのビジョンを見つけるまで、とても苦労したんですよ。でも、経営の勉強会に行ったり、いろんな人との交流を通して、自分なりの農業のビジョンを見つけていくことができました。本当に、私は人には恵まれているんです。
寺田さん
コバマツ
それは寺田さんが地域の人や従業員の皆さんを大切にしてきたからでしょうね。
では、これから農家に嫁ぐ人でまだまだやりたい農業の形を見いだせていない人にメッセージをお願いします!
自分らしく農業に関わってほしいですね! 農業をしたくて農家に嫁ぐ人ばかりではないでしょうから。
皆さんにも、農業や地域の中で自分の生きがいとなるもの、楽しめることを見つけてほしいです!
寺田さん
寺田さんが会社を継続し、自分の農業経営のビジョンを描くことができたのは、従業員や地域の人たちの支えがあってこそ。法人化を通じていろいろな人が仲間として農園に関わっていたおかげで、夫の死というつらい出来事も乗り越えることができたのでしょう。
さらに、地域の人たちの応援や期待の声も、諦めずに挑戦し続けるモチベーションとなっていたのでは。
自分のビジョンを描いて実現に向けて動いている寺田さんの、イキイキと語る姿からそんなことを感じました。
【画像提供】寺田農園