急激な規模拡大で創業後まもなく経営危機を経験
OCファームの社屋は、年季の入った鉄筋コンクリート造の建物だ。もともと地元の難波地区の農協支所で、その廃止後に同社が入居した。窓から見晴らせる農地の多くを耕作する。
生産するのは、タマネギ、キャベツ、紅まどんなや甘平といったカンキツ、コメ、レタスなど。実にさまざまな品目を生産しているところにも、なんだか農協らしさを感じる。
そもそも父の佳彦(よしひこ)さんが経営している長野農園の経営面積が広く、地域の中で目立つ存在だった。それもあって、愛媛県から法人化してはどうかと勧められる。就農から3年を経ていた当時26歳の長野さんがそれに応じ、長野農園からタマネギと水稲を分離し、2007年にOCファームを設立したのだ。翌2008年には、洋平さんが農業の専門学校を卒業して合流した。
ところが、ほどなく経営が悪化し、2012年ごろには資金繰りに窮して危機に陥る。理由は経営状況を踏まえない規模拡大にあった。
「社長っていう肩書にあこがれたけど、肩書だけで中身が全然伴わなくて。農業経験も浅いし、経営者っていう心構えもなかったので、ただ単に一生懸命仕事をしていた。経営者じゃなくて労働者というところから出られていなかったので、人もなかなか上手に使えな
い感じで」(長野さん)
当時のタマネギの面積は3.5ヘクタールで、それを話すと周囲から「すごい」と言われた。それがやる気を刺激し、一層の規模拡大を決める。周辺にはいくらでも遊休農地やその予備軍があるので、土地を借りることができた。
面積が増えると、機械を買い、人を雇う。決算書は年に1回見るだけ。その内容もあまり理解できていなかった。売り上げは右肩上がりだったが、安定して利益を生むことができず、経営状況は逆に悪化していった。
「勉強せえ」の一言で「一労働者」から「社長」へ脱皮
そんな状態からV字回復を果たすきっかけは、知り合いの社長から「お前、勉強せえ」と叱咤激励され、経営の勉強会を紹介されたことだ。
長野さんはそれまで、経営理念も経営計画も考えたことがなかった。最初のうちは会の内容にまったくついていけない。それでも、飲食や建設業といった異業種の経営者の中にスーツを着て加わり、経営計画や理念を作っていった。
「鋭いツッコミに嫌になりながらも、今の状態を変えなければと通いましたね。そこから、行き当たりばったりじゃなく、計画をするようになった」
売上高ばかりにこだわったことを反省し、従業員の意識や技術を上げる努力をした。会社を設立して10年目、カンキツを生産していた長野農園をOCファームへ吸収合併する。規模拡大という目標は変わらずに掲げつつ、より計画的に、会社として成長しながら拡大する路線に切り替えた。
出荷先は、地場のスーパーや生協、学校給食、農協、個人客など多角化しつつ、売上の柱はスーパーにしている。販売価格をあらかじめ決めることを、経営上大切にしている。放ったままにしがちだった財務は、毎月、税理士の訪問を受け、数字を見ながら前年と比較して経営改善に努めてきた。
社労士交えたグループワーク、イデコなど従業員目線で社内改革
もともと家族経営から始まっているだけに、外部の視点も大切にしている。社労士を呼んで、従業員とともにグループで議論したこともある。意思決定が特定のメンバーだけで完結していたり、次に何をするかという指示が新入社員には理解の難しいものだったりするという問題が見つかった。何かを決めるとき、承認を得るための稟議書を回すといった仕組みをつくって改善している。
従業員に長く働き続けてほしいと、個人型確定拠出年金「iDeCo+」(イデコプラス)を導入した。私的な年金制度の一つで、加入者となる従業員に加えて事業主も掛け金を負担し、加入者の老後資金を準備するものだ。
新規就農希望者の育成にも熱心だ。県内の農業大学校から、就農を目指す研修生を積極的に受け入れている。
長野さんは、出身地と異なる地域に移り住む「Iターン」希望者の増加を肌で感じており、「北条地区(旧北条市)に来れば、手ぶらで農業を始められるというところまで持っていけないか」と構想を練っている。
北条地区の農業関係者や農業に関心がある人が集まる組織・HAPP(Hojo Agriculture Professional Production)の副会長の顔を持つ。この組織で、農地や空き家などの情報を蓄積し、移住と就農の希望者にワンストップで情報提供や支援ができるようにしたいと活動している。
兄弟、パートナーの役割を明確に
家族経営は、身内だからこそ、ぶつかり合ってしまうという難しさをよく聞く。ところが、OCファームは「兄弟げんかせずに済んでいる」と長野さん。二人三脚で経営できているのは、「役割をしっかり決めたお陰」。具体的には、長野さんが経営と営業を、職人タイプで技術を追求する洋平さんが生産を担当している。
会社設立後、まず洋平さんが麦子(むぎこ、冒頭写真の洋平さんの左手前)さんと結婚し、続いて長野さんが藍(あい、冒頭写真の後列右端)さんと結婚した。そして、先に紹介した通り、結婚からほどなく会社の経営危機を経験した。
「農業は経営の初期がどうしても不安定で、僕ら兄弟もまさにそう。思った以上に苦労した大変な時期に、二人がそれぞれの役割を一生懸命こなしてくれて、乗り越えられた」(長野さん)と伴侶の支えに感謝する。
二人の役割も決まっていて、藍さんが財務や受注を、洋平さんの妻・麦子さんが生産と加工を担う。財務を担当する藍さんは「お金にシビア。僕は使う方なので、ちょうどいいかな」と長野さん。個人個人の強みが発揮できる体制にしたことで、「役割をもって仕事することが、やりがいにつながった」という。
法人化の前から「家族経営協定」で働き方を明確化
“農家の嫁”というと、生産、家事、育児を任されて大変というイメージがある。
「農家と結婚したら、畑で作業する人の1人みたいにみなすというのは、昔はよくあったと思うんです。農外から嫁いできた母が、まさにそう。それもあって、後継者の結婚相手にそうさせてはいけないと、法人化する前の長野農園の段階で『家族経営協定』を北条地区で一番最初に結んだんです」(長野さん)
家族経営協定とは、役割分担があいまいになりがちな家族経営において、世帯員の役割や働き方を明確にし、やりがいのある仕事内容にすることを目指して結ぶ協定だ。長野家では、父の佳彦さんが栽培管理や経営の計画立案、母の恵子(けいこ)さんが経理、長野さんが直売所への配達と役割を決めた。さらに、「後継者が結婚した際には内容を見直す」という文言まで付けていた。
そんな下地があったことが、それぞれの役割を決めて強みを発揮するという経営のあり方につながっている。
そして今、家族経営から、地域になくてはならない法人経営へと、OCファームは成長の階段をまた一歩のぼろうとしている。