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職人肌の祖父のもとで修行し、柿農家兼フォトグラファーに。人生100年時代の「孫承継」【ゼロからはじめる独立農家#53】

西田 栄喜

ライター:

連載企画:ゼロからはじめる独立農家

職人肌の祖父のもとで修行し、柿農家兼フォトグラファーに。人生100年時代の「孫承継」【ゼロからはじめる独立農家#53】

我が農園「菜園生活風来(ふうらい)」には全国から農業関係者が視察にやってきます。また、就農に関する相談が寄せられることも。最近では、祖父母の後を継ぎたいという孫が視察や相談に訪れることも増えてきたと感じます。そんな祖父母から孫への承継を、私は「孫承継」とカテゴライズして動向を探っているところです。人生100年時代において孫承継は現実味があり、親子でないからこそよいところもあるのではと感じています。今回はそんな孫承継の体験者、新潟県で祖父母の後を継いで柿農家になった「あっき~」こと渡邉晃博(わたなべ・あきひろ)さんの生の声をお届けします。

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■渡邉晃博さん(通称:あっき~)プロフィール

1984年新潟県生まれ。2007年新潟大学卒業後、就職のために上京したものの、2012年Uターンし子ども写真スタジオに入社。その後、保育士養成専門学校の事務員を経て、2017年祖父の後を継いで柿農家に。祖父は「越王(こしわ)おけさ柿」というブランド柿栽培の名人。現在は柿農家兼フォトグラファーの「撮る柿農家」と称して活躍中。
2019年に、夫婦で雑談するポッドキャスト番組「ウチら夫婦のぐだぐだな話(通称:ウチぐだ)」をスタート。新聞に取り上げられるほどの人気番組となる。

ウチら夫婦のぐだぐだな話

撮る柿農家あっき~

人気ポッドキャスト番組「ウチぐだ」

脱サラ、Uターンして農家へ

西田(筆者)

あっき~さんは、妻のうたさんとのポッドキャスト「ウチら夫婦のぐだぐだな話」で夫婦のこと、家族のことを赤裸々に語っていますね。私は4人姉妹の父親としてのあっき~さんの日常をいつも面白く聞いているのですが、今回は「孫承継」ということでおじいさんとの関係を中心に聞いていきたいと思います。
あっき~さんはおじいさんを継いで柿農家になったそうですね。渡邉家は代々柿農家だったのですか?
うちの柿山は祖父が開拓してイチからはじめました。育てているのは「越王(こしわ)おけさ柿」というブランド柿です。越王おけさ柿は渋柿で、その渋抜きをする脱渋(だつじゅう)はJAの施設で行う必要があるので、基本JA出荷となります。

私にとって柿山は小さい頃からの遊び場でした。祖父は妥協のない職人肌の人、父親は公務員で時々柿栽培の手伝いをしている感じでした。うっすらとこの先、柿山はどうなるのかなと思ってました。

あっき~

西田(筆者)

柿山は、あっき~さんにとっても思い入れのある場所なんですね。
しかし、あっき~さんは地元の新潟大学を卒業したあと柿山のある地元に残らず、東京の学習教材出版社に入社するために上京したんですよね? そこに何か思いはあったのですか。
祖父には上京することをとても反対されました。ただ、その時はまず父親に柿山のことを考えてほしくて、そのあと自分だという思いもあり、自分の希望する職を選んで地元を離れることにしました。
就職して3年後には大学時代に出会った妻のうたと東京で結婚しました。でもその2年後の2012年には出版社の仕事を辞めて、夫婦で新潟に帰ることになりました。

あっき~

西田(筆者)

希望する職に就いていたのにUターンとは、何かキッカケはあったのでしょうか。
実家の手助けがしたいと思ったからです。その時点では父が継ぐか継がないかも分からず、いずれ私が継ぐにしても、このときは自分のやりたい仕事を選びました。未経験でしたが興味を持った写真スタジオに入社したんです。写真スタジオの仕事自体は楽しかったのですが、一番忙しい七五三の時期が柿の収穫時期と丸かぶりして祖父の手伝いがなかなかできず、転職することになってしまいました。
でもその時に学んだ撮影技術がフォトグラファーとしての基礎になっています。

あっき~

西田(筆者)

あっき~さんの中には常におじいさんのことや柿山のことがあったんですね。ただ、まだUターンした時点では手伝いのつもりだったのに、そこから実際に柿山を継ごうと決めたのはどうしてですか。
以前から「柿山は将来どうするんだ」と祖父に聞いても、「今、俺ができているからいいだろう」で毎回話が終わる。そんな中、父の定年が迫ってきたのですが、父に継ぐ気配がない。

そこで、この先どうするのかと改めて祖父に直談判しました。そうしたら「俺ができなくなったら柿山はもう捨てようと思う」と。その時の表情が本当に寂しそうでした。それで「自分がやる!」と継ぐことを決意しました。

あっき~

西田(筆者)

実際に決めたとしても、その時はもう結婚してお子さんも2人いる状況でしたよね。妻のうたさんの反応はどうでした?
もともと、父が継ぐ想定で「60歳ぐらいになったら柿山を引き継ぐかもしれない」と言っていたのですが、妻に「それが早まっただけ」と言われ勇気づけられました。

あっき~

西田(筆者)

それは心強かったですね。

孫承継、渡邉家の実際

西田(筆者)

一般的に「我が子には厳しくても孫には優しい」なんてよく聞くこともあり、孫承継は親子承継よりぶつかり合うことはないように感じるのですが、実際はどうでしたか。
私もそう思ってたのですが、うちの場合は真逆でした。祖父には教え伸ばすという発想があまりなかったのです。祖父は栽培のプロであっても、教えるのは1年目だったんです。

柿農家仲間から「うちにも体力のあるあんたんとこの孫に手伝いにきてほしいわ」と言われても、祖父が「こいつなんてダメだ。手伝いに行っても何にもならん」と私の目の前で言った時はショックでした。

あっき~

西田(筆者)

それは、まったくイメージと違いますね。またそこまでの言い方だと、照れ隠しとかでもなさそうですね。
私も、柿山を継ぐのは祖父のためという気持ちもあったのに、なぜそこまで言われなきゃならないんだと思いました。でもそれが甘えを捨てるキッカケの一つになりました。

それから柿栽培の技術が身につくまで、フォトグラファーの活動など他のことはやらずに2年間、農業に集中しました。そんな中、やればやるほど祖父のすごさも分かってきました。

あっき~

農に一生懸命なあっき~さんの祖父

西田(筆者)

おじいさんに対して栽培のプロとしての尊敬がより深まったんですね。
祖父は柿山がホント大好きで、祖母も「この人は柿に命をかけてる」と言うくらい。今も晴れた日は毎日柿山に行ってます。

前に引退した柿農家と祖父が話しているのを傍らで聞く機会がありました。引退した人はずっと過去の話をしてたのですが、祖父は今年の作柄、そして未来のことを話しててその向上心はすごいなと改めて感じました。

あっき~

西田(筆者)

まさにおじいさんは現役なんですね。

ところで事業としての承継に問題はありませんでしたか。親子承継の場合はいくつになってもお小遣い制でなかなか経営権を譲ってもらえないという事例もよく聞きます。
私の場合はすぐに承継しました。祖父の口グセは「おちおち病院にも行けない」でした。年金もあり収入があると医療費負担が大きくなることから、経営権は早く譲りたかったようです。

あっき~

西田(筆者)

そこは盲点ですね。これは実際に聞いてみないと分かりませんでした。

孫承継の未来、渡邉家の未来

西田(筆者)

あっき~さんは「撮る柿農家」として、フォトグラファーの活動もしていますが、今後の展開などを聞かせてください。
祖父からは「柿農家に集中しろ」と言われたりもしますが、今の時代だからこそ他の活動があってもよいと感じています。

収入としては柿の方が圧倒的に多いのですが、フォトグラファーとして活動することで、「越王おけさ柿」の認知度も高まってます。直売も少しずつしてますが、私のところだけでなく地域全体が盛り上がってほしい。そのための広報活動の一環としても考えています。

あっき~

あっき~さんの個展「柿成長展」

西田(筆者)

実際に孫承継を経験して、今どう感じていますか。
今は1期でも多く祖父母と作業したいと思っています。収穫期は大変ですが、まさに家族総出で一致団結する。これは農業らしい、すてきな時間だと思っています。

あと、祖父母と同居せず私たち家族は別の場所に住んでいます。私が「通い農家」であることで、祖父といい関係が保たれていると実感しています。

あっき~

西田(筆者)

適度な距離感が大切なんですね。確かに、四六時中一緒だと大変なこともありますよね。
最後に、孫承継する人にアドバイスがあればお願いします。
とにかくジェネレーションギャップを意識すること。祖父母の世代は表現の仕方が全然違います。その言葉どおり受け取ると認識の齟齬(そご)がでます。祖父、祖母が生きてきたバックグラウンドを考えることが大事です。

あと何より大切なのはリスペクトを持つことですね。

あっき~

西田(筆者)

人生100年時代、孫承継がどんどん増えていくと思っていますが、実際にあっき~さんの話を聞いて具体的にイメージできるようになりました。あっき~さんの場合は厳しくされたからこそ今があるのですね。

この先もおじいさんを大切になさってくださいね。そして産地を守るミッションに向けてがんばってほしいと思います。これからも家族の和気あいあいとしたポッドキャストの配信を楽しみにしています。
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