■いもっちゃんこと井本喜久さんのプロフィール
農ライファーズ株式会社代表取締役。1974年広島県生まれ。東京農業大学を卒業するも広告業界に就職し、26歳の時に独立。2012年には飲食事業(フライドポテトとジンジャーエール)を始める。2016年、新宿駅直結のファッションビル屋上で都市と地域をつなぐマルシェを開催し、のべ10万人を動員。2017年、「世界を農でオモシロくする」をテーマにインターネット農学校「The CAMPus」を開設。2020年小規模農家の育成に特化した「コンパクト農ライフ塾」を開始。その後、出身地である広島の限界集落にUターン。使用されなくなった地元集会所や耕作放棄地などを活用し飲食・宿泊・農業などの事業を展開する「田万里家(たまりや)」を開業。 |
農ライファーズホームページ
田万里家ホームページ
井本さんの著書「ビジネスパーソンの新・兼業農家論」
ご縁の作り方
西田(筆者)
SNSを活用したマーケティング、クラウドファンディングによる資金集めなど、今の時代はネットワークの広さが経営に直結する時代だと思っています。いもっちゃんはもともと広告業界にいて、ゼロから農家との人間関係を作ってきたとのことですが、まずはご縁の作り方を教えていただけますか。
僕は意志のあるところに人は集まると思っています。一見ビックマウスと捉えられている人も自分の理想に向けて形にしようと頑張っていて、そんな人たちとは心でつながっている気がしている。それでそんな人かもと思ったら、勝手に会いに行って語り合う。そうするとまた面白い人を紹介してくれて、最終的に、現在講師をしてくれているカリスマ農家へのご縁につながっていきました。
いもっちゃん
西田(筆者)
ただ当時はどの農家もいもっちゃんが構想していた「コンパクト農ライフ塾」がなんだか分からなかったでしょうし、そもそもいもっちゃんも何者かも分からない。断られたり不審に思われたりすることはなかったですか。
いもっちゃん
西田(筆者)
それでもいもっちゃんから他人の悪口は聞いたことないので、そこはすごいと思っています。
僕は人間関係は自分の鏡だと思っています。そうして前向きに続けていると以前は拒否された人でも久しぶりにコンタクトとると、力になってくれたりすることもあります。
いもっちゃん
西田(筆者)
最先端カリスマ農家たち
西田(筆者)
そんな都会暮らしバリバリのMUDOくんが、3.11の震災をキッカケに淡路島に移住し農業をやりはじめたと聞き、驚きました。
実際に会って話した時に彼が「俺は農業ではなく農ライフやってんだ」と言っていて、僕はその時初めて「農ライフ」という言葉を聞きました。そして「暮らしの中になりわいをつくる」という感覚も衝撃的でした。
それからそんな農家を勝手に最先端カリスマ農家、またリスペクトを込めて“変態農家”と言うようになりました。
いもっちゃん
西田(筆者)
他にいもっちゃんに影響を与えた人はいますか。
新村さんが6次産業化で作ったミルクジャムは多数の雑誌に紹介されたりして大人気です。
牛乳を商品として売るだけではなく、酪農の文化を伝えたいというのにも感動しました。その時気づいたのが(しんむら牧場は)面積は大規模だけど、やってることは自分たちが目が届く範囲でコンパクト。そこから「コンパクト農ライフ」という言葉が生まれました。
その後は「コンパクトだけどすごい」ということを軸に、いろいろな農家に会いに行きました。今インタビューしてくれている西田さん、そして久松農園の久松達央(ひさまつ・たつおう)さんもその中のひとりです。
いもっちゃん
西田(筆者)
面積ではなく「やり方がコンパクト」っていいですね。私も「スモールメリット」「ミニマム主義」と唱えていますので、心から共感できます。
うまくいってる農家の共通点
西田(筆者)
いもっちゃん
西田(筆者)
一つ目はビジネスにおいて「ブランドを確立」していること。そして二つ目は「価格決定権をもっていること」。この二つは実際にはセットになります。三つ目は「暮らしを手の中においていること」。自分で暮らしをデザインできている人は軸がブレない。
いもっちゃん
西田(筆者)
そのことで農ライフが広がればと思っています。そしてそんなカッコいい農家に近づきたいと僕も思っています。
いもっちゃん
西田(筆者)
農的暮らしの中には常にやることがあり、アクションの連続。朝から作業があってキリがない。アクションしながら考え進んでいくことが必要。条件がそろってからと考えている人は一生できません。
ただ大切なのは出口を設定すること。未来を見据えながらアクションを起こしていくと失敗もするけどそこに通じる道が開けてきます。
いもっちゃん
西田(筆者)
画像提供:農ライファーズ株式会社