厳しい土地だからこそ根付いたりんどう栽培
岩手県北西部に位置する八幡平市。
国立公園八幡平や県を代表する名峰・岩手山などの山々に囲まれた自然豊かな土地で、古くから秋田県や青森県との交通の要所でもありました。
一方で、安代地区はやませの影響で夏が冷涼なため主食である米の生産が難しく、戦中戦後の貧しい生活の中で“冬の出稼ぎ”は珍しいことではありませんでした。
冬場の長期間、一家の大黒柱がいない状況をなんとか打破したいと、安代地区の若者たちは「出稼ぎが必要なくなるくらい収入をつくりたい」と考え、地域に合った新たな品目の導入を検討しました。
安代地区と冷涼な気候が似ている長野県で、当時全国に先駆けて栽培していたりんどうに着目。
経済白書で「もはや戦後ではない」と言われた、およそ60年前のこと。
これが、後に世界に誇るフラワーブランドとなる「安代りんどう」の始まりでした。
当初の栽培方法は、もっぱら山からりんどうの自生株を掘って植えることの繰り返しでした。
しかし、手間がかかり大量生産できないことが課題だったことから、野生のりんどうから種を取り、苗を作って植える技術が徐々に確立されていきます。
やがて1970年ごろから県内でりんどう栽培が本格化。
1977年、岩手県園芸試験場(現 岩手県農業研究センター)はりんどうで初めての品種「いわて」を開発しました。
その後、品種数は増加していきましたが、岩手県南にある岩手県農業研究センターが開発した品種は、県北に位置する安代地区では気候が異なるため需要期に出荷できませんでした。
1992年には安代地区の生産者からの「安代で需要期に出荷できる品種を開発してほしい」などという声の高まりから、安代町花き開発センター(現 八幡平市花き研究開発センター)が誕生しました。
1996年には安代りんどう初のオリジナル品種である「安代の秋」が誕生しました。
そして現在、八幡平市内で生産されているりんどうのオリジナル品種は、切り花と鉢物を合わせておよそ30品種。
年間販売額は、2004年から19年連続で10億円越えを達成しています。
また、2015年には農林水産祭の最高位となる天皇杯を受賞し、2022年に八幡平市内で生産を担う経営体は135を数えました。
生産者同士が互いにチェックすることで、高い品質を実現
八幡平市花き研究開発センターの津島佐智幸所長は「当センターは生産者の声をきっかけに誕生したこともあり、より現場に近い距離感で品種改良や栽培技術の確立に取り組んでいます」と話します。
八幡平市では、生産者がお互いの圃場を確認する「一斉圃場巡回」が毎年行われています。出荷の最盛期のおよそ1か月前に「安代りんどう」のすべての生産者の圃場をお互いに周って生育や管理状況を検査し、問題があれば改善等を行います。
さらに集荷場では、生産者自身が箱を開けて抜き打ち検査を実施します。花の段数や茎の曲がりが規格に合っているか、病気や害虫がついていないかなどを厳しい目で確認し、無事合格したものを「安代りんどう」として出荷しているのです。
津島所長は「りんどう生産者が互いに情報を共有しているほか、花卉生産部会は役員会を毎月開くなど活発に活動しています。そうした生産環境や指導体制が確立しているからこそ、日本一の生産地を維持することができるのだと思います」と教えてくれました。
「新しい品種を開発する上で重視するのは、需要期に開花し株もちがよいこと、そして病気や虫に強いことです」
そう話すのは、八幡平市花き研究開発センターの技師である髙村祐太郎さんです。
安代地区で生まれ育った髙村さんにとって、りんどうは子どものころから慣れ親しんだ身近な花。
大学で学んだ植物育種学の知識を生かし、現在は安代りんどうの品種開発に携わるほか、生産者からの栽培や防除の相談にも応じています。
通常、りんどうは切り花として収穫できるようになるまで2~3年かかります。
新しい品種を作る際には同センターの育種圃場で試験後、生産者へ試作栽培を依頼し、実用化の可否を判断します。
時間はかかりますが、実際に育ててもらい意見を聞くことで、より現場のニーズに合った品種の開発・改良につなげています。
「高品質なりんどうを育てる上で重要なのは、適切な時期に防除を行うことです。褐斑病や葉枯病は発病後の防除は困難であり、葉に病斑が出てしまった場合は商品になりません。そのため病気にかかる前にしっかり予防することが大切です」
そう語る髙村さんは、りんどうの防除に欠かせない存在の一つとして、殺菌剤「ダコニール1000」を挙げました。
同センターの育種圃場はもちろん、生産者の営利生産圃場でもりんどうの安定生産には必須のアイテムだと言います。
症状が現れる前の徹底した防除がりんどうの未来を守る
りんどうの防除について、岩手県農業研究センターの上席専門研究員である猫塚修一さんにも話を聞きました。
猫塚さんは「褐斑病は6月下旬から7月下旬にかけて、葉枯病は6月から防除をスタートします。特に梅雨時期にしっかり薬剤を散布することで、病気のないりんどうを育てることができます」と話します。
かつて、猫塚さんが同センターに配属された1999年頃は、まだりんどうの防除研究は進んでおらず、防除暦も完成していませんでした。
そして2001年には褐斑病が過去最大規模で発生し、その年の収穫がゼロになる生産者が現れるなど、深刻な被害となりました。
その頃から効果の高い薬剤として注目されていたのがダコニール1000です。
しかし、最も効果的な散布時期が分からなかったことや、ダコニール1000を単体で使用すると白い汚れがついてしまうことなどから、生産者は「使うタイミングが分からないし、葉や花が汚れて商品価値が落ちる」と敬遠していたと言います。
そこで猫塚さんは生産者の圃場を借り、ダコニール1000の使用時期や汚れをなくす方法を調査。数年かけて検証を重ねた結果、特定の展着剤を加用することで汚れがほとんどなくなり、生産現場でも問題なく使用できることを実証しました。
その後、生産現場における褐斑病の被害はゼロになり、ダコニール1000を用いた防除法が普及定着しました。
「りんどうに発生する褐斑病や葉枯病は、潜伏期間が長く、感染から発病までに1か月ほど要します。単に防除暦通りに薬剤を散布するだけでなく、病原菌に感染する気象条件やタイミングを理解し適切な時期に防除することが大切です。また、りんどうは多年生なので、一度病気が発生すると翌年にまで影響が及んでしまいます。苗を植えた年は収穫はできませんが、この株養成の期間にしっかりと防除することも重要です」
ダコニール1000のような殺菌剤は、「目の前の菌を殺すこと」以上に、「新たな菌の感染・増殖を防ぐこと」で、植物体を病気から守るためのもの。病気がみえない時期からの予防散布が大切ですが、散布作業は身体的にも楽なものではありません。
猫塚さんは「岩手県のりんどう生産者は、大規模な圃場を持つ方も多いです。皆さんの日々の細やかな管理作業には頭が下がる思いです」と、尊敬の念をにじませていました。
地域が誇る産業であり続けるために100年産地を目指す
地域の人々が守り、育て上げてきた安代りんどう。
今後について伺うと、八幡平市花き研究開発センターの津島所長は「りんどうの100年産地として、より質の高い花を皆さまに届け続けることが目標です」と決意を語ってくれました。
2023年にはJA新いわてなどが実行委員となり、全国のりんどう生産者を安代地区に招いた「第1回りんどうサミット」を開催。同センターの髙村さんは、「年々、激しく変化する気象条件を前に不安を抱える生産者も多く、同じ悩みを持つ者として勉強になる部分がたくさんありました」と振り返ります。
日本一の産地としてりんどう栽培を牽引し続ける岩手県の人々は、それぞれの場所で栽培を追究し、真摯に歩み続けています。
りんどうの花言葉は「誠実」。
彼らのひたむきな情熱が、100年先も活気あふれる産地を実現させるのでしょう。
【取材協力】
八幡平市花き研究開発センター
岩手県農業研究センター
安代りんどうとは 岩手県八幡平市で、育種から栽培、集荷まで一環した体制で生産されるりんどうのオリジナル品種の総称。日持ちの良さが特徴で、開花期は品種によって異なり、7月から10月まで。代表的な青色を中心に欧米やアジア各国にも輸出されている。 |
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ダコニール普及会
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