都会と海外を知って里山に回帰。限界集落を守る有畜複合循環型農家の2代目【ゼロからはじめる独立農家#67】
河上(かわかみ)めぐみさんは、富山市の限界集落にある農家の2代目。両親は関東から移住し、無農薬米の栽培などの耕種農業と平飼い養鶏などの畜産を組み合わせた「有畜複合循環型農業」を始めました。河上さんはそんな両親の農業を引き継ぐとともに、加工品の製造販売なども行っています。現在は精力的に農業に携わっている河上さんですが、東京の大学に進学し、海外に短期留学をしたことも。この経験が、Uターンして就農する意志を固めることにつながったそう。そんな新世代農家の事業承継について聞きました。
■河上めぐみさんのプロフィール
1986年生まれ。1983年に東京から富山市に移住し、有畜複合循環型農業を核とした「有限会社土遊野(どゆうの)」を開業した両親の元で育つ。大学進学を機に上京。東京外国語大学でタイ語を専攻し、在学中に3カ月間タイに留学。2010年大学卒業と同時に富山にUターンし、親元で就農。2015年に土遊野の経営を引き継ぐ。現在、有機稲作19ヘクタール、飼料用米10ヘクタール、有機野菜1ヘクタール、もち麦2ヘクタールを栽培。平飼い養鶏1500羽、地鶏肉養鶏1500羽の飼育も行うなど、経営は多岐にわたる。
土遊野のホームページ
移住してゼロから独立就農した農家の娘として
西田(筆者)
この連載は「ゼロからはじめる独立農家」 というのですが、まさにご両親がゼロから農場を立ち上げていますね。今回はそんな農家の後を継ぐとはどういったものなのか聞きたいと思います。その前に「土遊野」という屋号がとても素敵なんですが、この由来について教えてください。
まず「土遊野」があるこの地が「土(ど)」という名だからです。両親は関東で生まれ育った非農家出身でこちらに移住してきたのですが、両親にとっては農作業は土と遊ぶような楽しい仕事だったようで。「野原には人間社会にある格差や差別はなく、里山は土と遊ぶ野原のような場所だ!」ということを伝えたいと、この名前にしたようです。
河上さん
西田(筆者)
それは素敵ですね。ご両親は移住後に耕種と畜産を組み合わせた有畜複合農家になり、そんな2人の元に河上さんは生まれたのですが、小さい頃は農業に対してどんなことを感じていましたか?
小学生のときは、鶏のエサやり、卵のパック詰めのお手伝いが日課でした。発酵飼料のにおいも当たり前、鶏に突かれては泣き、集めた卵をパックに入れて地域に宅配する。それらが日常で、嫌に思った記憶はありません。
河上さん
西田(筆者)
ご両親からいずれ農家を継いでほしいというのはあったのでしょうか。
そう言われたことは一度もありませんでした。覚えているのは「めぐみにはいつか自分の手で何かを生み出す人になってほしい」という父からの言葉でしょうか。私自身も小さい頃からまったく農業を継ぐ気はなく、世界を飛び回る仕事がしたいと思っていたので、上京したら帰らないつもりでした。
河上さん
河上さんのご両親。ゼロから土遊野を立ち上げた
西田(筆者)
住んでみて改めて東京の人口の多さを感じました。その一方で、東京には食べる人がこれだけいるのに、その食料を育てている人があまりに少ない。そんな東京では平飼い養鶏の卵や有機農産物の価値はとても高く、求めている人がたくさんいることにも気づきました。
河上さん
西田(筆者)
ご両親が「農」を自給自足型ではなく「業」としてきたからこその気づきなのでしょうね。大学卒業後に富山に帰って継ごうと決意したのには、何かキッカケがあったのですか?
いつか世界を飛び回る仕事をしたいと外国語大学を選んだのですが、在学中にタイに留学する際に、滞在先に自然と農村地帯を選んでいて。そこに滞在したことで、改めて農がある風景が好きだったことにも気づきました。さらにタイの農村を知ったことで、私が育った日本の里山の良さもわかりました。そんな日本の里山の知恵を知り、(それらを)海外の人に伝えることが本当の意味での国際交流になるのではないかと思ったんです。
でも、里山やその地での農業の素晴らしさを伝える前に、里山がある中山間地で農家がいなくなったら伝えようがない。だったら私がやろうと決意しました。
河上さん
土遊野を継ぐ覚悟
西田(筆者)
河上さんが実際に実家に戻って農業をやると言った時、ご両親は何とおっしゃっていましたか。
最初は「ホントにやるの?」と言われましたが、反対はされませんでした。それから仕事を手伝う形で土遊野に入りました。
当時は両親も50代だったので、ゆっくり仕事を教わろうと思っていたんです。そしたら1年目の冬に、父から「俺は林業とか養蜂とかやりたいことがあるから社長を譲る」と言われました。
河上さん
西田(筆者)
それはすごい。そう言えるお父さんもカッコいいけど、河上さんの本気度が伝わったのでしょうね。
実際社長になるまでなんだかんだと5年かかりました。父には今も相談役として意見を聞いていますが、基本経営に口を出すこともなく好き勝手にやらせてもらってます。
河上さん
西田(筆者)
それは素敵な関係性ですね。
河上さんが社長になってから、農業の幅も広がり、規模も大きくなっていますね。現在はどのくらいの人を雇っているのですか。
私が「土遊野」に帰ってきた時は両親と私、あと研修生が1人ぐらいだったのですが、現在は従業員、パートさんを合わせて18人いて、入れ替わりで常時7、8人います。
河上さん
西田(筆者)
土遊野さんのホームページを拝見したら、商品ラインナップがすごいですね。米、卵はもちろん、牛乳、野菜、果物、加工品まで。特に牛乳の販売までしているのには驚きました。
牛乳に関してはずっと取引していた酪農家さんが経営不振で廃業しようと思っていると相談されて、販売部門を「土遊野」で一手に引き受けました。かなり冒険ではありましたが、牛乳そのものだけでなくバター、生クリームなども使えますし、何より富山市で貴重な低温殺菌牛乳がなくなるのが惜しいという思いがありました。そんな乳をつかって加工しているアイスやプリンは人気商品にもなってます。
河上さん
土遊野の人気商品プリンとこだわりの原材料
西田(筆者)
それぞれの商品のクオリティーが高いのはもちろんなんですが、「土遊野」自体のファンが多くいらっしゃるんでしょうね。「土遊野」さんのものなら何でもまずは買ってみるという感じ?
まさにそんな感じです。でもそれは両親が40年やってきた信頼があるからこそだと思っています。そんな意味でも本当に感謝しています。
河上さん
これからの土遊野
西田(筆者)
河上さんが土遊野を継いでから8年ですが、この先について聞かせてください。
継続するためにも健全な経営がまずは大切だと思っています。その上で農家を増やしていきたいです。そのために視察や研修を積極的に受け入れています。農家が増えることが中山間地を守るということにつながると信じているからです。
日本は人口減少していますが、世界人口は増えています。日本の中山間地の知恵は将来世界の宝になると思います。
河上さん
西田(筆者)
現代を生きるのに必要なのはお金であることは間違いありません。ただコロナ禍や今の世界情勢を経て、お金の価値は不安定なものだと実感しました。子どもたちには便利な社会を生きる力とともに経験、体験をつないであげたいと思うようになりました。
河上さん
河上さんから娘さんへと次世代へ体験をつなぐ
西田(筆者)
まさに「真の生活力」ですね。田舎には何にもないと思ったけど命に必要なものはそろっていると農家になって実感しました。
「土遊野」だけでできることには限りがあるので仲間を増やしていきたいです。また農に興味がない人に興味の入口をつくりたいと思っています。
河上さん
西田(筆者)
「土遊野」でさまざまな体験教室をやられているのもそんな思いがあるからなんですね。そういった話もまたうかがえたらと思います。本日はありがとうございました。