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元祖「脱サラ農家」の10年先の目標、土をリセットして85歳まで

吉田 忠則

ライター:

連載企画:農業経営のヒント

元祖「脱サラ農家」の10年先の目標、土をリセットして85歳まで

「脱サラ就農」という言葉がまだ一般化していなかった時代に、会社員をやめて農家になった人がいる。福岡県糸島市で40年あまり前に就農した岩城賞弘(いわき・よしひろ)さんだ。経営の形を節目ごとに変えながら農業を続け、なお10年後を見据えて新しいことに挑む岩城さんに話を聞いた。

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「大地」に感銘を受けて農業の世界へ

岩城さんは75歳。8棟のハウスでアスパラガスを育てている。現在の面積は合計で13アール。出荷先は地元の農協の直売所だ。

出身は福岡市。パール・バックの小説「大地」に感銘を受け、帯広畜産大学に進んだ。作品は中国の清朝末期の貧しい農民の物語からスタートする。この長編を読み、「何か世の中の役に立つことをしたい」と思うようになった岩城さんにとって、自然と心に浮かんだ仕事が農業だった。

1973年に大学を卒業すると、スーパーのジャスコ(現イオン)に就職した。海外で牧場を開くことを同社が計画していたからだ。だがジャスコのさまざまな部署で働くうちに、岩城さんは改めて自ら農場を開こうと思うようになる。

ハウス

岩城賞弘さんのアスパラの栽培ハウス

29歳で長男が生まれたのをきっかけに、脱サラを決意した。「子どもが受験期に入ると、会社を辞めにくくなる」と思ったからだ。他の人なら、収入が安定する会社員のままでいようと思うかもしれない。逆にそこで就農を決意する点に、守りではなく攻めを優先する岩城さんの性格が表れている。

会社を辞めたのはその翌年。京都の養豚場に家族3人で住み込んで8カ月働いた後、糸島市で空き豚舎を借りて就農した。福岡県の農政課に勤める高校時代の友人の紹介で、豚舎を確保することができた。1980年のことだ。

養豚から和牛の飼育、タマネギの生産まで

就農後、岩城さんの営農はさまざまな課題に直面する。

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