平均年齢27歳。大山町から「新しい農業のモデル」を求めて
中国地方最高峰の大山から湧く清らかな水と、「大山黒ボク」という特有の土壌に恵まれた鳥取県西伯郡大山町。株式会社D’sプランニングは、この地で長ネギ15ヘクタール、ブロッコリー15ヘクタールの計30ヘクタールの大規模栽培を手がける。
代表の逢坂さん率いる同社の最大の特徴は、立ち上げ当初の活気を保ちながら、15年にわたり積み上げてきた確かな経験にある。現在はパートを含めて20数名が在籍しているが、当時は平均年齢27歳。未経験から農業の世界に飛び込んだ若者たちが中心となり、そこから幾多の困難を乗り越えて今日まで歩みを進めてきた。
就農当時に農業にあった「休みがない、汚い、儲からない」という旧来のマイナスイメージを打破し、「かっこいい農業をして、生まれ育った町に恩返しをしたい」という強い思いを胸に、これまでの枠にとらわれない「新しい農業のモデル」を構築すべく、日々挑戦を続けている。

海の隣に畑がある大山町
同級生との会話から始まった過酷な日々
「当時は建設業くらいしか就ける仕事がなかった。16、7歳の頃からずっと建設業に関わっていました」
逢坂さんは、26歳で就農するまでの経緯をそう振り返る。転機となったのは、2009年頃、地元の同級生4人で集まった際の会話だった。
「みんなで一緒に仕事ができたら楽しいよね」
そこで彼らがポイントにしたのは、「都会の人には真似できない大山町だからできる仕事がしたい」ということだった。そうすれば、高校卒業後に県外に出てしまった同級生たちが地元に残ったり、戻ってきたりするきっかけになるのではないかと考え、辿り着いた答えが「農業」だったのだ。
しかし、同級生の中には家業が農家の人間もいたが、継いだ者は一人もいなかった。当時、農業にはマイナスのイメージが定着しており、畑での作業は自分たちが思い描く華やかなイメージから最も遠い職種だったという。だからこそ、逢坂さんらはその常識を覆そうと決意した。
「マイナスのイメージ部分を一つずつ改善できたら、大山町の未来は明るくなるのではないか。格好良く、儲かる農業へとイメージを180度変える。それはかなり難しい課題だと承知の上で、自分たちのやるべき使命だと思いました」
知識も経験もないまま、まずは同級生の家族が所有している畑を借りて、特産品のブロッコリー栽培をスタート。最初は建設業で働きながら、会社に行く前や帰ってから、週末の休みを利用して畑に向かう日々だった。収穫期には風呂に入るためだけに家に帰り、事務所で寝泊まりするような過酷な日々だったという。
最終的には4人の同級生全員が農業の世界へ飛び込み、「D’sプランニング」という組合形式でスタートを切った。
しかし、専業農家としての道のりは想像以上に険しかった。初期投資としてトラクターやハウスに莫大なお金がかかり、さらに就農最初の冬に大雪に見舞われ、頼みの綱であったブロッコリーが出荷不能になるという大打撃を受ける。
「ブロッコリーは収穫期間が短い分、天候が外れたら1年の収入がなくなってしまう。そんな怖さと農業の難しさを痛感しましたね」
睡眠時間などほとんどない日々が続いた。金銭面でも苦しくなり、「本当にこの選択が正しかったのか」と自問自答する夜もあったという。1年間の収入がゼロになる恐怖を身をもって知った逢坂さんは、リスク分散のために小松菜や二十日大根、キャベツなど、色々な作物に手を出した。
こうした試行錯誤の結果、最終的にこの地域の気候に合い、通年栽培で安定した収入がある「長ネギ」と地域の特産で需要の多い「ブロッコリー」の2本柱に絞り込む決断をした。この選択が功を奏し、地道に販路を開拓していく中で、徐々に個人の売上が大きくなっていった。そして「このままでは税金面で大変になるから法人化したほうがいい」とアドバイスを受け、2015年に「株式会社D’sプランニング」として法人化へ踏み切った。

株式会社D’sプランニングが作る長ネギ
独自販路の開拓と「発泡氷詰め」による鮮度革命
同社では当初、農協(JA)へ出荷していたが、就農当時から相談に乗ってもらい、関係を深めてきた担当者の異動などを機に独自の販路開拓に乗り出した。
「自分たちの力というより、本当に周りの人に恵まれました。紹介の紹介が繋がり、関東の百貨店や流通業者の社長たちと出会い、少しずつ直接卸すようになりました」と逢坂さんは語る。
現在は大阪中央青果などの巨大な仲卸を通して、関西の量販店・スーパーへの出荷がメインとなっている。仲卸を通すことで、スーパーとの直接取引で生じる「数量を必ず揃えなければならないペナルティ」などのリスクを回避し、効率的かつ安定した販売を実現している。
販路拡大の大きな武器となったのが、ブロッコリーの出荷形態の変更である。大山町のブロッコリー栽培は、夜中の10時からヘッドライトをつけて収穫し、午前10時の出荷へ間に合うよう段ボールに詰めるのが当たり前だった。しかし、逢坂さんは「誰がそんな過酷な作業を次世代でやるのか」と疑問を抱く。
そんな折、九州でブロッコリー栽培のトップを走る法人の専務と交流する機会があり、「これからのブロッコリーは、発泡氷詰めじゃないと勝負できないぞ」とアドバイスを受けた。
逢坂さんは迷わず、数百万円する自社専用の製氷機の導入を決断した。段ボール出荷に比べて圧倒的な鮮度を保てる「発泡氷詰め」は、当時ではいち早く取り組んでいたこともあり、バイヤーからも高く評価された。
「あの時、発泡氷詰めをやっていなかったら、遠方の関西からわざわざ鳥取のブロッコリーを買うメリットがなく、全く話にならなかったと思います」
現在でも多くの農家が段ボール出荷を続ける中、D’sプランニングのこの決断が、他産地に負けない圧倒的な競争力を生み出す鍵となったのである。

取材時に案内してくださった逢坂さん
「出る杭は打たれる」。批判と手痛い失敗
法人設立当時から「自分たちが農業のイメージを変える」「売上1億を達成する」と公言し、揃いのユニフォームを作り、車を派手に塗装するなど、旧来の枠に収まらない活動を展開した。しかし、こうした行動は地域社会から猛烈な妬みと反発を招くことになる。
「ものすごく地域から嫌われましたね。農家の知り合いなんて本当に1、2軒しかありません」と逢坂さんは苦笑する。反発はネット上の匿名掲示板にまで及び、「20時間も奴隷のように人を働かせている」「作ったブロッコリーを畑にすき込んでいる下手くそだ」「農薬まみれだ」といった事実無根の噂が広まった。家の場所や車の車種、ナンバーまで特定され、出荷場の建設時には「今日は工事が止まっている」とネットで監視され、一時は警察沙汰になるほどの異常事態だったという。
苦難は人間関係だけではない。自然相手の農業において、近年の気候変動の影響は深刻である。ブロッコリーは以前、九州産と関東産の端境期である5月に鳥取産を独占的に出荷できる「美味しい時期」があったが、今は産地も増え、収穫時期も変化したことで、タイミングが被るようになり鳥取の優位性が薄れている。長ネギに関しても、夏の異常な猛暑によって生育が途中で止まり、中途半端な大きさのまま高温期を迎えると苗が「とろけて」全滅してしまうため、栽培体系を根本から見直さざるを得ない状況に陥っている。
そして、規模拡大の過程では手痛い経営の失敗も経験した。約2年前、逢坂さんは「長ネギの方が安定的だ」と判断し、一時的にブロッコリーをやめて「長ネギ1本」に舵を切る決断を下した。しかし不運なことに、その年は全国的な悪天候に見舞われ、過去最低と言われるほど長ネギが不作となってしまったのだ。頼みの綱だった長ネギが取れず、リスク分散のブロッコリーも手放していたため、経営的に「むちゃくちゃ苦しくて」と逢坂さんは語る。
この長ネギ一本化の失敗を経て、「やはり1本だけのリスクは高すぎる」と痛感した。長ネギ1本の方針を撤回し、再びブロッコリーの栽培を再開して原点の「2本柱」へと立ち返る決断をしたのである。

新設した株式会社D’sプランニングの出荷場
売上1億円達成と外国人材による組織の合理化
周囲からの猛烈な批判や監視を受けながらも、逢坂さんは屈しなかった。
「逆にありがたいですよ。それだけ一挙手一投足に注目して、毎日ファンみたいに見てくれているんですから」と笑い飛ばす。
その反骨心をエネルギーに変え、当時は3000万円売上げればすごいと言われていた地域で、法人化2年目にして周囲から「絶対に無理だ」と言われていた売上1億円を見事に達成。
栽培面積が合計30ヘクタールにまで拡大した現在、最大の課題は「人材確保」である。長ネギやブロッコリーの収穫・選別は職人技が求められ、スポットワーカーでは到底対応しきれない。そこで同社は、チラシなどを通じた地域のパート採用に加え、外国人労働者の積極的な受け入れを始めた。
「最初は外国人に対して不安もありましたが、実際に働いてもらうと日本人以上に真面目で、働きぶりは想像以上でした」
彼らが快適に生活できるよう、近隣のアパートを借り上げ、免許がない彼らのために会社までの送迎も行うなど、労働環境を整える。
また、一時期は地域からの仕入れ(卸売業)にも手を出していたが、見かけの売上は増えても利益率が落ちることに気づき、「自社の生産に特化しなければならない」と方針を見直した。

長ネギの出荷場
原点回帰で極める、従業員が年収1000万を目指せる「儲かる農業」
数々の苦難や失敗を乗り越え、地域農業のトップランナーへと成長したD’sプランニング。近年では、その確かな実績と栽培技術が認められ、地域の実力ある若手農家との付き合いが始まり、農協への出荷も再開するなど、周囲の見る目も確実に変わりつつある。
今後の目標について逢坂さんは、「会社として利益をしっかりと残し、継続していくこと。そして、農業で月100万円、従業員が年収1000万円を目指せるような環境を作りたい」と力強く語る。
「農業は儲からないというのが今の当たり前です。だからこそ、私たちはその壁を突破したい。まだまだ規模拡大も視野に入れながら、まずは今の面積でどれだけの利益を残せるか、原点回帰し、自社の生産に特化して極めていきたいと考えています」
建設現場から畑へ。周囲の批判や中傷、そして自らの手痛い失敗さえもエネルギーに変え、柔軟に軌道修正を図りながら常識を打ち破り続ける株式会社D’sプランニングの挑戦は、これからも大山町の地で力強く続いていく。
取材協力
株式会社D’sプランニング
















