「安月給で楽しくない」からのスタート
新井さんは42歳。東京農大を卒業後、2008年に実家のイチゴ農園で就農。2019年に法人化したのを機に、社長に就いた。
農園の面積は1.65ヘクタールと、就農時の2倍に拡大した。イチゴでは大規模の部類に入る。それでもベリーズバトンはなお発展の途上。2027年には隣町にハウスを建てることも計画している。
「朝から晩まで働いてもこれだけしか給料をもらえないのか」。新井さんは就農時にそう感じたという。高校時代にプロ野球の選手を目指していたこともあり、体力には自信があった。それでも肉体的にはきつかった。
就農と同じ時期に結婚した。「家族との時間がとれない。経済的にも厳しいし、やっていて楽しくない」。その克服が、営農の原点になった。
プロ野球を目指した体験が栽培のヒント
まず取り組んだのは収量の向上。原因の1つは病害虫にあった。「この農薬は効いているのだろうか」。そんな疑問を父親にぶつけてみると「みんなと同じものを使っている」。理由にならないのではないかと思った。
農薬について勉強し、種類を変えてみるとてきめんに効果が出た。被害が減り、収量と売り上げが増えた。当然もっと上を目指したくなる。
次に着手したのは栽培方法の見直し。それまでは元肥を入れるだけで、後は水やりだけですませていた。だが地域で単収が多い人たちは元肥を半分にとどめ、残りはイチゴの成長を見ながら追肥をしていた。
このときは父親から反対された。「それで取れなかったらどうする」と言われたので、「失敗したら給料は要らない」とたんかを切った。想定通り、結果はうまくいった。リスクはあったが、一方で自信もあった。
念頭にあったのは野球の経験だ。プロテインやアミノ酸サプリをどのタイミングで飲むか。トレーニングの前か後か。それが効果を左右する。高校野球に科学的な手法が本格的に入り始めた時代だった。
この発想を、植物生理に置き換えながら栽培方法を勉強した。「イメージが大事。どの時期に何をすればイチゴにとっていいかを考えた」
収量はみるみるうちに高まった。いまベリーズバトンの単収は「とちあいか」「とちおとめ」ともにトップクラスの水準にある。大規模にやりながら、単収を高く保つのは簡単ではない。そのハードルを乗り越えた。

栽培方法の見直しを重ねてきた
お手本は自動車メーカーの業務改善
ベリーズバトンでは現在、役員を含めて35人が働いている。スタッフは社員のほか、特定技能の外国人やパートだ。
就農当初は両親と祖父母、自分を含めて5人しかいなかった。だが単収が増えるのに伴い、新たな課題が浮上した。仕事量が飛躍的に増え、農繁期は朝5時から働いて夜中の1~2時まで作業に追われるようになった。
「家族との時間が少ない」と感じて取り組んだ経営の見直しだった。それが順調にいった結果、かえって時間的な余裕がなくなっていった。経営はここで必然的に次のステージに入る。家族経営からの脱皮だ。
「圃場はきれいでなくて、労働環境も整ってなかった」。新井さんはスタッフを雇うことを考え始めた当時のことをそう振り返る。
もともと「組織的に大きくやりたい」との思いはあった。自分がいつまでも現場のプレーヤーにとどまっていてはできないこともわかっていた。「スタッフに生きがいを持って働き、成果を出してもらうにはどうしたらいいか」
答えを見つけるため、スタッフを雇用しながら外の世界も知ることにした。栃木県主催の労務管理セミナーに出席した。業務の改善方法を勉強する県のプログラムにも参加した。講師は自動車メーカーの社員だった。
そこで「5S活動」の大切さを知った。「整理・整頓・清掃・清潔・しつけ」から成る職場環境の改善の取り組みだ。パートがイチゴをパック詰めする様子の動画を撮り、効率がどう違うかを分析した。作業を標準化するためだ。
この過程で、農家の課題解決に取り組むファームサイド(栃木県宇都宮市)の佐川友彦(さがわ・ともひこ)さんと知り合った。広く知られた著書に「東大卒、農家の右腕になる。小さな経営改善ノウハウ100」がある。
「佐川さんの指導を受けてみよう」。新井さんはそう決意した。

新井孝一さん(左)と佐川友彦さん
右腕いわく「社長のわがままを実現する」
実は佐川さんにコンサルティングを依頼するまで、若干のタイムラグがあった。5S活動への理解や導入、マニュアル化など自分でできることをやってからでないと、思うような効果が上がらないと考えたからだ。
いざ指導を受けるにあたり、期待したのは経営の「右腕」の確保のサポートだった。求めたのは課題を理解し、解決への道筋を同じ目線で考えてくれる人。実務能力ももちろん必要。簡単に見つかる人材ではない。
依頼を受けた佐川さんは、人材の募集方法から面接、選考の仕方まできめ細かくアドバイスしてくれた。

















