遺跡からも見つかる梨。日本人との付き合いは他の果物より古い?
日本人が梨を食べていた痕跡を見る事が出来る一番古い証拠は、登呂遺跡(1から2世紀頃)から発掘された梨の種です。登呂遺跡は弥生時代後期の遺跡です。この時代、九州を皮切りに大陸から伝わった水稲耕作は始まっており、原始的な農耕が営まれていました。この頃食べられていた梨は「ヤマナシ」に分類される野性の梨ですが、この時代の梨の自生地は山中ではなく、集落の近辺に限られていました。そのため、梨は最初から日本に自生していたのではなく、稲作と同様に大陸から持ち込まれたと考えられています。
日本の梨のルーツは中国の長江地域由来の梨
日本で単純に「梨」と呼ばれるのはいわゆる「日本梨(和梨)」の事で、西洋系の梨は「洋梨」と呼ばれます。梨の分類上では和梨と洋梨の他に「中国梨」もあり、かつて国の政策で日本に持ち込まれたのですが洋梨ほど定着せず、現在も国内で栽培されていますが、あまり知られていません。梨のルーツを辿ると、大元は中国に辿り着きます。梨の先祖は7000万年以前に中国の西部や南西部の山地で産まれ、それから各地に広がり、適応していく中で大きく形質を変えていったようです。広い国土に多様な風土を持つ中国の梨は地域によって大きく形質が異なり、和梨に近い物もあれば洋梨に近い物もあります。洋梨の果肉はねっとりとした食感ですが、日本の梨の食感はシャリシャリとしています。この系統の梨のルーツは、中国の長江流域で栽培される南方系の梨「砂梨(シャーリー)」だと考えられています。大陸から伝わった砂梨系の個体が更に日本に適応し、日本人の好みに合致したものが選ばれ、次第に現在の梨へとつながっていきます。
古代の梨は飢饉の時に人を救う「救荒作物」とされていた
文献で古代の梨の存在を確認できるものはいくつかあり、万葉集の歌の中に梨が出て来るものがあります。梨が重要な位置付けの食べ物であった事を示すのは『日本書紀』にある693年の持統天皇の詔です。その中で五穀(主要な5つの穀物。日本書紀では稲・麦・粟・稗・豆)の他に栽培を推奨されたのが「桑、苧(カラムシ・繊維を取る植物)、梨、栗、蕪菁」となっています。梨については「栗、梨を五穀の助けとする」という事なので、穀物が取れない時の食料となり得る果実として認識されていた事になります。
昭和初期頃まで救荒作物としても活用され続けた梨
一般的な梨は水分が多く、日持ちの目安は収穫から半月程度です。どうしてそれが救荒作物となり得るのかと疑問を持たれるかもしれません。梨には系統によっては長く保存できるものがあるのです。現在でも見られる長持ちする梨は、11月頃に収穫される晩生の物で「囲い梨」とも呼ばれる事があり、上手く保存すれば半年程もつ事もあるようです。長持ちする梨は大きめの物が多く「王秋」や「愛宕」「晩三吉」という品種は600gからから1kgほどの重さになります。
古代の梨と近いと思われるものとして、北東北地方は昭和初期まで飢饉に見舞われる事が度々あり、そこで在来種系統のヤマナシに近いものが救荒作物、あるいは冬期の保存食として食べられていたようです。
参照: 片山研究室
http://www2.kobe-u.ac.jp/~hkata/kenkyunaiyoNashi.htm
保存食から「水菓子」へ
梨が古くから栽培されていたのは確かなのですが、本格的な栽培技術の革新が起きたのは江戸時代頃からです。今では梨の栽培方法として一般的な「棚栽培」もこの頃に考案されました。元は戦国末期から江戸時代初期の医師である永田徳本(ながたとくほん)という人物がぶどうの栽培方法として考案した物ですが、それが梨にも用いられるようになります。梨の木は自然に育つと20メートル以上の高さになってしまいます。棚栽培は棚に沿って枝を固定する事で果、樹の高さを抑える他にも色々とメリットがあります。剪定、収穫が容易になる他、葉にまんべんなく日光が当たる事で果実も大きくなる上、収穫期に到来する台風の被害も抑えられるので、棚栽培の考案は果実栽培にとっての転換点の1つと言えます。江戸時代後半には保存食としてではなく、甘くておいしい「水菓子」として多くの品種が栽培されるようになり、この頃から既に千葉県の船橋は、梨の産地として名前が挙がっています。実際、現在でも千葉県は和梨の生産量は日本一となっています。
明治時代に発見された二大梨「長十郎」と「二十世紀」
和梨は果皮の形質の違いから「赤ナシ」「青ナシ」に分けられます。江戸時代には100を越える品種が栽培され、「ご当地梨」が色々あった様子ですが、現在では栽培される梨の品種はかなり限られてきています。現在の梨でもっとも多く作られているのは、赤ナシの「幸水」次いで「豊水」ですが、かつては赤ナシの「長十郎」と青ナシの「二十世紀」が二大品種とされていました。この2つは明治時代に発見された物です。
「長十郎」は神奈川県の梨園で発見された新種でした。一方「二十世紀」は松戸市のゴミ捨て場に生えていたのを発見されたという衝撃的なエピソードがあります。おそらく何らかの梨の種から芽生えた「実生」であり、突然変異であろうと思われます。最初、二十世紀は千葉県でも作られていましたが、鳥取県の土壌にあった作物を特産にしたいという意向から1904年に鳥取県に導入される事になります。後に鳥取県が二十世紀の生産量で日本一になりますが、近年では千葉県ではあまり作られていません。
また、最近の人気の品種は先に書いた通り、赤ナシの「幸水」や「豊水」ですが、実はこの2つの梨は「二十世紀」の孫にあたります。「二十世紀」の発見が今につながっているのです。
実用性のある「利のある木」梨
梨はおいしいだけでなく、ちょっとした民間薬としての使い方もできる果物です。実際に漢方では梨は、熱が原因の咳を和らげたり痰を切ったりするなど、主に喉に効果があるといわれています。
具体的には梨を煮詰めて作る「梨飴」は、喉の痛みを押さえる効果が期待出来ます。梨飴は果汁を純粋に煮詰めて作る方法の他、砂糖と合わせて煮る方法などいくつか作り方がありますが、できれば皮ごと使うレシピがおすすめです。梨は90%が水で、栄養価自体はあまり高くないのですが、皮にはポリフェノールや疲労回復、解熱作用の効果を持つアスパラギン酸が含まれています。
他にも喉が痛い時は梨を蒸して食べる方法もありますが、短時間で作りたい時は電子レンジで加熱する方法もおすすめです。梨1個を一口大に切り、しょうが1欠片を千切りかスライスにして梨と合わせ、はちみつ大さじ1から2杯程度をまわしかけてラップをかけて加熱します。600Wで3分程度加熱して様子を見て下さい。梨が柔らかくなったら出来上がりです。出て来たシロップも薬効がありますので、残さず飲んで下さい。レーズンを入れるのもおすすめです。
梨は喉の痛みの他、シャリっとした食感の元である食物繊維を多く含んでいるので、便通をよくする効果もあり、血圧を下げる作用のあるカリウムも多く含みます。
梨(なし)は亜梨(あり)?
梨という字を分解すると「利のある木」となります。成り立ちを紐解くと「利」という字は「よく切れる」という意味があるので、果実の歯切れ良さからこの文字が当てられたという説が一般的な様です。
「なし」という音は「実がなかしろ(中白)」の略、中にいくほど酸っぱい「中酸(なかす)」が転じて「なし」、風があると実が落ちるので「風なし」と諸説あり、どれが正解かはっきりしていません。「なし」の音が「無し」に通じるため、「亜梨(あり)」と言い換える習わしや、鬼の通り道となる家の北東に梨を植える事で「鬼門なし」とするなど、言葉遊びのような縁起担ぎもみられます。
梨は樹齢が長く、数百歳を越える古木が全国各地にあります。
梨は古代から日本人の身近にあり、時に命をつなぎ、時に体を養い、時に口を楽しませてくれている果物なのです。