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弥生時代からあった?初秋の果物 梨のヒミツ

弥生時代からあった?初秋の果物 梨のヒミツ

最終更新日:2017年12月15日

梨の早い物は7月頃から店頭に顔を出しますが、梨の初物を手にして秋の訪れを感じる方も多いのではないでしょうか。年々外国から新しい果物が紹介される中、「フルーツ」という言葉でイメージされる物の中で決して目立つ存在とは言えません。梨と日本人との付き合いは古く、弥生時代頃まで遡ります。梨は日本人にとって大切な役割を果たしていた果物なのです。

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遺跡からも見つかる梨。日本人との付き合いは他の果物より古い?

日本人が梨を食べていた痕跡を見る事が出来る一番古い証拠は、登呂遺跡(1から2世紀頃)から発掘された梨の種です。登呂遺跡は弥生時代後期の遺跡です。この時代、九州を皮切りに大陸から伝わった水稲耕作は始まっており、原始的な農耕が営まれていました。この頃食べられていた梨は「ヤマナシ」に分類される野性の梨ですが、この時代の梨の自生地は山中ではなく、集落の近辺に限られていました。そのため、梨は最初から日本に自生していたのではなく、稲作と同様に大陸から持ち込まれたと考えられています。

日本の梨のルーツは中国の長江地域由来の梨

日本で単純に「梨」と呼ばれるのはいわゆる「日本梨(和梨)」の事で、西洋系の梨は「洋梨」と呼ばれます。梨の分類上では和梨と洋梨の他に「中国梨」もあり、かつて国の政策で日本に持ち込まれたのですが洋梨ほど定着せず、現在も国内で栽培されていますが、あまり知られていません。梨のルーツを辿ると、大元は中国に辿り着きます。梨の先祖は7000万年以前に中国の西部や南西部の山地で産まれ、それから各地に広がり、適応していく中で大きく形質を変えていったようです。広い国土に多様な風土を持つ中国の梨は地域によって大きく形質が異なり、和梨に近い物もあれば洋梨に近い物もあります。洋梨の果肉はねっとりとした食感ですが、日本の梨の食感はシャリシャリとしています。この系統の梨のルーツは、中国の長江流域で栽培される南方系の梨「砂梨(シャーリー)」だと考えられています。大陸から伝わった砂梨系の個体が更に日本に適応し、日本人の好みに合致したものが選ばれ、次第に現在の梨へとつながっていきます。

古代の梨は飢饉の時に人を救う「救荒作物」とされていた

文献で古代の梨の存在を確認できるものはいくつかあり、万葉集の歌の中に梨が出て来るものがあります。梨が重要な位置付けの食べ物であった事を示すのは『日本書紀』にある693年の持統天皇の詔です。その中で五穀(主要な5つの穀物。日本書紀では稲・麦・粟・稗・豆)の他に栽培を推奨されたのが「桑、苧(カラムシ・繊維を取る植物)、梨、栗、蕪菁」となっています。梨については「栗、梨を五穀の助けとする」という事なので、穀物が取れない時の食料となり得る果実として認識されていた事になります。

昭和初期頃まで救荒作物としても活用され続けた梨

一般的な梨は水分が多く、日持ちの目安は収穫から半月程度です。どうしてそれが救荒作物となり得るのかと疑問を持たれるかもしれません。梨には系統によっては長く保存できるものがあるのです。現在でも見られる長持ちする梨は、11月頃に収穫される晩生の物で「囲い梨」とも呼ばれる事があり、上手く保存すれば半年程もつ事もあるようです。長持ちする梨は大きめの物が多く「王秋」や「愛宕」「晩三吉」という品種は600gからから1kgほどの重さになります。

古代の梨と近いと思われるものとして、北東北地方は昭和初期まで飢饉に見舞われる事が度々あり、そこで在来種系統のヤマナシに近いものが救荒作物、あるいは冬期の保存食として食べられていたようです。

参照: 片山研究室

http://www2.kobe-u.ac.jp/~hkata/kenkyunaiyoNashi.htm

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