未来に繋ぐ、じいちゃんのニンニク【ファーマーズファイル:宮村祐貴】 – マイナビ農業

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生産者の試み

未来に繋ぐ、じいちゃんのニンニク【ファーマーズファイル:宮村祐貴】

未来に繋ぐ、じいちゃんのニンニク【ファーマーズファイル:宮村祐貴】

2017年12月08日

ニンニクの一大産地、青森県田子町(たっこまち)で、祖父から畑を受け継ぎ、ブランドニンニク「福地ホワイト6片種」を作る宮村祐貴(みやむらゆうき)さん。若い頃は農業を継ぐつもりはなかったという宮村さんが、おじいさんのニンニクを受け継いでいく決意を固めるまでには、ある物語がありました。

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宮村祐貴さん略歴
・青森県三戸郡田子町出身
・高校卒業後、東京で就職。建設業・飲食店勤務を経験
・2012年に青森に戻り、就農
・祖父の畑を受け継ぎ、ニンニク、麦、大豆などを栽培

「ニンニクの町」青森県田子町でニンニク栽培

ニンニク

宮村祐貴さん

「今では、『ニンニクの町』と呼ばれるようになった田子町ですが、ニンニク栽培が盛んになったのは約50年ほど前のことです。田子町は山に囲まれ、一日の寒暖差が激しい過酷な土地で、稲作にはむきません。近隣の南部町(旧・福地村)で栽培されていたニンニクの固有種を分けてもらったのが、田子町でのニンニク栽培の始まりだそうです。祖父も、ニンニク栽培に携わる農家の一人でした。

幼い頃から休みの日には祖父の畑へ遊びに行っていたことから、農業は常に身近な存在でした。けれど、畑を継ぐことは考えていませんでした。高校3年生の時に祖父が亡くなり、高校卒業後は上京して就職しました。

転機は、上京して6年が経った頃。父がガンになり余命宣告を受けて、兄弟で話し合いをした時です。兄が『青森に帰ってきて農業をはじめてみたらどうか』と提案してきたのです。

力仕事は好きでしたし、自分が作ったニンニクを食べた人においしいと言ってもらえたら、きっとうれしいだろう。幸い、祖父が残した畑もトラクターもあります。そこで、3年後に田子町に帰って農業を始めることを決意しました」。

「何とかなる」は甘かった

ニンニク

「それから3年後の2013年の春、27歳のときに田子町に戻り就農をはじめました。幼い頃から祖父の手伝いで通っていた畑でしたが、いざニンニク栽培を始めようとすると、右も左もわからない自分に気づきました。土地や機材が揃っていても、何から始めればいいのかわからない。あわてて、近所の農家さんや親戚に聞いて回りました。

トラクターの乗り方もインターネットで動画を見ただけで、「何とかなる」と軽く考えていました。周りの人に助けてもらいながら、どうにか形にするので精一杯でした」。

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