宮村祐貴さん略歴
・青森県三戸郡田子町出身
・高校卒業後、東京で就職。建設業・飲食店勤務を経験
・2012年に青森に戻り、就農
・祖父の畑を受け継ぎ、ニンニク、麦、大豆などを栽培
「ニンニクの町」青森県田子町でニンニク栽培
「今では、『ニンニクの町』と呼ばれるようになった田子町ですが、ニンニク栽培が盛んになったのは約50年ほど前のことです。田子町は山に囲まれ、一日の寒暖差が激しい過酷な土地で、稲作にはむきません。近隣の南部町(旧・福地村)で栽培されていたニンニクの固有種を分けてもらったのが、田子町でのニンニク栽培の始まりだそうです。祖父も、ニンニク栽培に携わる農家の一人でした。
幼い頃から休みの日には祖父の畑へ遊びに行っていたことから、農業は常に身近な存在でした。けれど、畑を継ぐことは考えていませんでした。高校3年生の時に祖父が亡くなり、高校卒業後は上京して就職しました。
転機は、上京して6年が経った頃。父がガンになり余命宣告を受けて、兄弟で話し合いをした時です。兄が『青森に帰ってきて農業をはじめてみたらどうか』と提案してきたのです。
力仕事は好きでしたし、自分が作ったニンニクを食べた人においしいと言ってもらえたら、きっとうれしいだろう。幸い、祖父が残した畑もトラクターもあります。そこで、3年後に田子町に帰って農業を始めることを決意しました」。
「何とかなる」は甘かった
「それから3年後の2013年の春、27歳のときに田子町に戻り就農をはじめました。幼い頃から祖父の手伝いで通っていた畑でしたが、いざニンニク栽培を始めようとすると、右も左もわからない自分に気づきました。土地や機材が揃っていても、何から始めればいいのかわからない。あわてて、近所の農家さんや親戚に聞いて回りました。
トラクターの乗り方もインターネットで動画を見ただけで、「何とかなる」と軽く考えていました。周りの人に助けてもらいながら、どうにか形にするので精一杯でした」。
「じいちゃんのニンニク」を受け継ぐ覚悟
「そんなある日、自宅でノートを見つけたんです。私の使いかけのノートに書いてあったのは、祖父の農業記録でした。日付と天気、作業内容、トラクターで耕す際のギアや回転数など。昭和から平成にかけて何冊にもわたって記されたノートは、私にとって、最高の教科書になりました。
そして就農1年目のある日、近所の方から「祖父のニンニクを持っているよ」と声をかけられたのです。祖父が亡くなって10年が経っていたので、まさか祖父のニンニクが残っているとは思いもしませんでした」。
「ニンニクを譲っていただいた方に、代金を支払おうとすると『昔、おじいさんに無料で譲ってもらった。お孫さんが栽培を始めたのを知って、ニンニクを返そうと思っていたんだ。だから、その代金は受け取れない』と言われました。
母の話によると、祖父は種ニンニクを売っていました。近所の方が『ニンニク栽培をしてみたい』と祖父に相談したところ、お金を受け取らずに種ニンニクを譲ったそうです。
『私が畑を継ぐ時に困らないように』と、ノートや種ニンニクが私の手に渡るように、祖父が準備してくれたのだ。そう確信したとき、『祖父のニンニクを、未来に受け継いでいきたい』と強く思いました」。
南部地方の「エゴマ」文化を守る
「祖父のニンニクから採種し、ニンニクを作り続けて、2017年で5年になります。奇跡のような巡りあわせで、祖父のニンニクを受け継いでからは、種や文化を次世代につなげていくことに、関心を持つようになりました。
生活の中で受け継がれてきた知恵や文化は、お金で買えない財産です。その土地に合った文化を、良い形で次の世代へバトンタッチするために、自分ができることをしたい。そのひとつの形が『エゴマ』の栽培です。
エゴマは、青森県南部地方では『ジュネ』と呼ばれて、『ジュネを食べると10年長生きする』と言われる伝統食品です。地域の名産品『南部せんべい』にも、エゴマが使われています」。
「ところが、近年のエゴマブームの影響で、エゴマの値段が上がり、南部せんべいを作る地元の企業が困る事態に陥っていました。そこで、同じ問題意識を持つ人たちと『ジュネ連絡協議会』を立ち上げて、エゴマの栽培量が増えるように、働きかけを始めました。私の畑でも1反ほどエゴマを植えています。
エゴマは、古くからこの地方で栽培されてきました。長い歴史の中で収益性の高い作物に押され、栽培量が減った時期もありました。そんな時でも、エゴマを育て続けた人がいるからこそ、今もジュネや南部せんべいという食文化を享受できるのです。先人が守り続けてくれた文化のバトンを、私たちの世代で途切れさせてはいけないのです」。
先人の知恵を受け継ぐために
「田子町や全国的にも、農業従事者の高齢化が問題になっています。このまま高齢化が進んでいくと、10年後、今ある田園風景は残っているだろうか。祖父母世代が持っていた農業の知恵が、誰にも受け継がれないまま失われていくのではないだろうか。農業に従事するようになって、そんな不安はますます強くなっていきました。
そこで、若い人が農業に興味を持つきっかけ作りの為に、今年初めて取り組んだのが田植えイベントです。Facebook(フェイスブック)で参加者を募集し、約20名の方が集まってくれました。少しずつではありますが、文化の継承に貢献できたらと思っています。
そして重要なのは、農業に従事している私たち自身が、イキイキとカッコよく生きる姿を見せることなのです。幼い頃ニンニク作りに打ち込む祖父を尊敬の眼差しで見ていたように、私を見て『農業をやってみたい』と思ってくれる若い世代が出てきてほしい。そのために全力で頑張っていきたいです」。