畑ができるまでに10年近くかかった
——自然栽培に出会って、独立した経緯までお伺いしました。就農して、まずどのくらいの田畑から始めたんですか?
最初は田んぼが8反(80アール)、畑が20反(200アール)ですね。なかなか広いですよ。一人ではやりきれないので友達に手伝ってもらうようになって、そこから田植えや収穫で人手がいるときには、いろんな人にイベント参加形式で手伝ってもらう仕組みが始まりました。
——最初の年から食べていける感じじゃないですよね。生活はどうしていたんですか?
実は、農業法人時代に僕が立ち上げた仕事があったんですよ。スーパーなど売り先を開拓して白菜以外の品目も栽培して卸すようにしたんだけど、その仕事が僕にしかできなかった。独立した後に一旦は辞めたものの、「お前がやり始めたことだからちゃんとやれ」とバイヤーさんからお叱りを受けて、そのまま引き継いだんです。
その収入がありましたけど、畑だけで見たら収支は赤字じゃないかな。そもそも農業って薄利多売のビジネスモデルでしょ。でも自然栽培なんて、最初のうちはモノができない。畑ができてきてちゃんと生産できるようになったのは、この2、3年だからね。

田植えや収穫などはイベントにして多くの人に参加してもらう
——“作物ができる土”になるまでに時間がかかるということですか?
そうだねえ、土の問題。
時間がかかったね。木村秋則さんをもってしても8年かかったわけで。でも、木村さんのエッセンスをもらっているから、2、3年でできちゃうと思ったんだけど、ある程度満足できるまでに結局10年近くかかっているもんね。
100年やっても収穫できないリスクがある
——当初の田畑はどういう状態だったんです?
やっぱり肥料を大量にやった状態だったのよ。戦後ずっとそうやって来たわけだからね。それで土のバランスも崩れているし、本来あるべき状態ではなかったことは確か。
——そこからどうやって土を作っていく?
基本的には、まず麦と大豆を植えて土を回復させてあげる。麦で肥料を抜いてあげながら、肥料なしで野菜が栽培できるような菌、いわゆる根粒菌とかを大豆で増やしてあげて、自然栽培ができるような環境にしてあげる。
それで翌年にできる場合もあれば、10年やってもできないこともある。100年先だってダメかもしれない。畑は十人十色だから。自然栽培にはそういうリスクがある。
例えば、ちょっとモノが小さいな、元気がないなって時に有機栽培だったら肥料をあげればいいわけですよ。でも、自然栽培は“チャンチャン”で終わり。ああ、ダメだったんだって。
——農薬や肥料をやる作業はないわけですよね。他には何が違うんですか?
それ以外は同じです。畑を耕して、支柱立てたり、マルチ張ったり。ただ、肥料をやらないので成長は遅いし、量は取れない。遅いっていうか、それが本来の成長速度なんだけど。
ただ、自然栽培は、モノができないことのリスクがものすごく高いわけなんです。最初は特に。続ければいつかはできるんだけど、なかなかやり続けられない。だから、他に収入を持った人がやればいいと思う。それこそ家庭菜園で自然栽培はオススメです。ノーリスクでしょ。できなかったらスーパーで野菜買えばいいんだから。
——たしかに。
業にすると途端に大変になる。素材で売るためには数を作らなきゃいけない。でも、畑もそんなに余っていないしね。

「自然栽培を生業にするのは大変だ」と言いながら、とても楽しそうな唐澤さん(菊地撮影)
——それでも始めちゃった。
おいしい品種があって、自然栽培でやったら最高のものができるのがわかっちゃったら、やるしかない。でも最初から大量生産はできないんですよ。ゆくゆくはできると思っているけど、いきなりは無理さ。
少ない収穫で利益を上げる活路をどこに見出すか

自然栽培の米や野菜を提供するレストランを鹿島神宮から数分のところに開いた
——それで、素材で売らない方法をとったんですね。
少ない量でどれだけ利益を上げられるか考えると、飲食で売るのが一番いい。そのまま売ったら1束100円のほうれん草でも、カット野菜にすると180円、惣菜にして売ると300〜400円になる。さらに飲食店でソテーにして出すと1000円で売れる可能性がある。
もちろん1000円で売るためには、店を作って人を雇ったりしなくちゃいけない。それはそれで大変だけど、僕には素材そのままを100円で売る選択はワクワクしないし、できないんですよ。
——それだけ手間暇もかかっていますもんね。
でしょ?だったら、どこに活路を見出せるのか。わずかにある一筋の光に向かっているんです。自然栽培だ、レストランだってキレイに見えるかもしれないけど、他に選択肢がなかったが故の苦肉の策です。
世の中にないなら自分がやる

自然栽培の麦でビールを作るために自ら製造免許を取得した
——自家醸造ビールや自家製味噌を始めたのも、畑にたくさん植えた麦や大豆を活用しようということなんですね。
だんだん分かって来ましたね(笑)。素材で売っても二束三文だったら、どう付加価値をつけて売るか。だけど、そんな簡単な話でもないんですよね。一方で設備投資に経費だってかかる。
麦や大豆ってまくのは簡単だけど、それなりの機械がないと収穫もできないの。収穫用に僕が使っている汎用コンバイン、一番小さいので700万ですよ。そうなると、ある程度の規模感が必要。
麦は最長一年間保管する必要があるけど、そこらに長期間置いておいたらコクゾウムシがうじゃうじゃ沸いちゃうから冷蔵庫が要る。それがまた400万。
作ったビールを熟成させるのにまた冷蔵庫が必要です、ドーン。そうやって次々に設備投資している。素材から全部作るって言葉にするのは簡単だけど、作ったものを貯蔵し、いい状態で出す環境を作るのはものすごく大変なんですよ。
でも、世の中にないものを作るとなると、やっぱりそうなっちゃう。誰もやってくれないんだったら自分がやる。それが積み重なって来た。
この世のパラダイスを作りたい
——豆腐、日本酒などは専門のところに仕込んでもらっていますが、その他の様々な加工品はご自身で作られる。とても器用ですね。
素材をちゃんと作っておけば、そんなに難しくないんですよ。あとは美味しいものを作りたいって意思さえあれば。
うちに「パラダイス憲章」っていうのがあるんですけど、その第一条が「常に美味しい方を選択する」なんです。こっちの方法をとったらメチャクチャ手間がかかるけど絶対うまいっていうときには、常にうまい方を選択する。もちろん機械化したり手を抜いていいことだったりしたらそうする。

味噌や豆腐などの加工品はレストランのほか、一部インターネットでも販売している
——「パラダイス」っていう名前はどこからつけたのですか。
自分たちの生活の中で諦めていることっていっぱいあると思うんですよ。例えば、電子ジャーじゃなくて本当は鉄釜でご飯炊きたいんだよなとか。できればオーガニックコットンで作った服だけを着たいとか。ガソリンじゃなくて再生可能エネルギーで走る車に乗りたいとか。
理想を言えばキリがないって言われるかもしれない。そんな世界ができるわけがないとも言われる。でも、僕は全部、理想のものにしたいんですよ。おいしくて、体に良くて、環境にもいい、持続可能でハッピーな世界。どれかを選択してどれかを諦めるのではなくて、全部をつかもうとしてもいいと思う。そういう理想の世界。それがパラダイスの由来です。
——今後の目標などはありますか?
来年あたり、東京に飲食店を出します。その後は、醤油や味噌、麹の製造所を併設したビール醸造所を作る。うちの大豆を使った豆腐屋も鹿島神宮の参道に開きたい。それに、うちのビール粕を食べる豚を使ったトンカツ屋や豚骨ラーメン屋だって作りたい。最高の環境で育つ鳥豚牛を育てたいし、南国に行ってコーヒーやカカオ、マンゴー、コショウなんかも栽培してみたい。
——まだまだ夢が広がりますね。ありがとうございました。

「最後にはキューバで自然栽培で作ったタバコとラム酒を飲みながら死にたい。一度もタバコ吸ったことないけど(笑)」と語る唐澤さん(菊地撮影)
※撮影者の記載のない写真は鹿島パラダイスの提供です。
◆【前編はコチラ】自然栽培農家が語る「理想」と「現実」【前編】
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