婿入りし、夫婦揃って農業をスタート
さおりさんは地元で代々続く庄子農園の長女。大学卒業後は就職しており、当時交際していた勲さんも農業機械の販売をしていました。そんな2人を温かく見守っていたご両親から、ある日「2人で農業をやらないか」と持ち掛けられます。勲さんは婿入りを、さおりさんも退社をして農業をすることを決意。「実家も兼業農家ですし、農業高校、農業短大を出ているので、抵抗はなかったですね」と勲さん。さおりさんも、「結婚もあったし、良いタイミングでした。両親は私たちに打診する頃合いを図っていたんだと思いますけど(笑)」と笑顔で振り返ります。こうして夫婦揃っての農業が始まりました。
地域密着型の楽しさと難しさ
庄子農園の運営は独特で、ご両親と庄子さんご夫婦で畑を分け、栽培する作物も販売手法もそれぞれで考えます。「最初の5年間は両親の畑を手伝っていましたが、6年目からは畑を割り当ててくれ、自立できるように促してくれました。最初は販売ルートも無かったので、両親から薦められた自動販売機を購入して、富沢駅前にある庄子農園の横に設置することにしたんです」
導入当初、売れ行きは決して順調とはいえませんでした。「消費者からすると、いつ入れた野菜か分からず鮮度が心配だったようですが、直接声をかけたりして、少しずつリピーターを増やしていきました。結果、野菜を穫って自動販売機に入れに行くと、待っていて下さる方も出てきました」消費者との距離も近くなり、喜んだのも束の間。今度は「次に自動販売機に野菜を入れる時間を教えて欲しい」「野菜を取っておいて欲しい」「家に運んでほしい」と個別のリクエストが出てくるようになったそうです。「最初は嬉しくて引き受けていたのですが、どんどん増えてしまい、気づけば配達や梱包に時間が割かれ、夜中まで対応するようになっていました。自動販売機に行くと新しいリクエストを頂くんじゃないか……と、一時は野菜を入れに行く足が重くなってしまいましたね」。生産と販売のバランスを保つため、個別リクエストを受けるのを止め、野菜を入れる時間も自分たちのペースを保つようにしました。そして、新たな販路として地元のレストランを開拓していきました。
辿りついた都市型農業のスタイル
レストランの要望は、“レアな野菜を少しずつ、色んな種類を提供すること”でした。彩りが豊かで変わった野菜を届けると、シェフが野菜を活かしたメニューを作る。レストランを通じて地元の消費者に美味しい野菜を届けるというスタイルは、大量生産が出来ない庄子夫婦にとって、理想的なかたちでした。今では、研究熱心で冒険家のさおりさんが新しい野菜の種を探し、計画力があり堅実家の勲さんが栽培を担当しているそうです。勲さんは、「見たことがない種を渡されて、気がついたら畑がパッチワーク状態。その年は、年間100品目も作らされましたよ!」と呆れ気味に笑います。今後は、希少性や多品目へのこだわりと、売れる量のバランスを考えることが課題だそうです。
次世代が直面する都市型農業のリアル
最近では、ご両親が自動販売機を始めたり地元のレストランと契約をするなど、庄子夫婦の販売手法を試しているそうです。少し誇らしげなご夫婦が次に見据えているのは、これからの都市型農業。「都市の農地はどんどん減っています。実際、駅前の庄子農園は区画整理によって半分になりました。これから高齢化で農地を管理できずに宅地にする人も出てくるでしょう。私たちは、この面積をどう最大限活用できるかを考えなければなりません」。また、住宅街での農作業にも気を配ります。「機械の音が騒音問題になったり、畑の土を付けた車で道路が汚れてしまい、『家の前に泥が落ちている』と言われることもあります。私が子どもの頃はその泥で遊んでいたのですが……。時代が変わっていると感じますね」。かつての農業を取り巻く環境が変わり、消費者の価値観も変わりゆくなか、庄子さんご夫婦はこれからも時代にあったスタイルを模索し続けます。
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