農家の長男という重責の中で 宮沢賢治の童話で考える「農業の厳しさ」

マイナビ農業TOP > ライフスタイル > 農家の長男という重責の中で 宮沢賢治の童話で考える「農業の厳しさ」

ライフスタイル

農家の長男という重責の中で 宮沢賢治の童話で考える「農業の厳しさ」

連載企画:お米ライターが行く!

農家の長男という重責の中で  宮沢賢治の童話で考える「農業の厳しさ」
最終更新日:2019年03月14日

農学校の教員を務めるなど、農業に精通していた童話作家の宮沢賢治。農村を守るために死力を尽くす主人公の一生を描いた著作「グスコーブドリの伝記」では、自然と密接に関わる農業の厳しさを克明に描いています。この本を推薦してくれたのは、賢治が生まれ育った東北で稲作に励み、全国規模のコンクールで何度も受賞経験がある土屋睦彦(つちや・のぶひこ)さん。米農家の長男としての責任に追われ続けた、自身の半生との共通点とは……?

宮沢賢治が描く自然の厳しさと自己犠牲

主人公のグスコーブドリは木こりの子として生まれ、妹のネリと一緒に森で遊んで暮らしていました。ところが、グスコーブドリが10歳のとき、冷夏に見舞われてオリザ(稲)は大凶作。翌年も同じ状況が続き、飢饉(ききん)に陥りました。やがて、両親はわずかな食べものを残して森の奥深くへと姿を消し、ネリは見知らぬ男に連れ去られます。ひとりぼっちになったグスコーブドリは旅に出ます。

グスコーブドリは農民の暮らしを良くするために尽力したいという思いに駆られ、一生懸命に学びました。「火山の灰だの日照りだの寒さだのを除く工夫をしたい」という目的を持っていたグスコーブドリは、火山局に就職。一心不乱に働き学んだグスコーブドリが最後に選んだのは、冷夏を避けるために人工的に火山島を爆発させ、吹き出した炭酸ガスによって地球全体を暖かくするという方法でした。しかし、未熟な技術ゆえに誰かの犠牲なしには成功しない方法でもありました。そこで、グスコーブドリは自分を犠牲にして、みんなの暮らしを守ったのでした。

グスコーブドリにあこがれて

就農してから「グスコーブドリの伝記」を読んだという福島県・猪苗代町「つちや農園」の土屋睦彦(つちや・のぶひこ)さんは、読後すぐに「自分にはなじまない」と思ったはずのグスコーブドリからタイトルを取った「グスコーブドリに憧れて」という日常を記したブログを農園のホームページに載せています。

土屋さんは400年続く米農家の長男でしたが、一度は「家を捨てた」と言い、農業とは別の道を歩もうとしていました。

「小さいころは体が弱くて、ずっといじめられっこで、不良に憧れているところがありました。10歳くらいのころに病気が治って元気になったので体をきたえて強がっていましたが、周りは今までのイメージで接してくる。それが嫌で、人を拒絶するようになって、小学校5、6年くらいから7年間くらいずっと人としゃべらないようになりました」

農家の長男

つちや農園は稲作がメイン。カラーの栽培・出荷も行う。収穫したカラーを手にする土屋さん(撮影:原山幸恵)

高校生のころは友人たちとバンドを組んでいたという土屋さん。「みんなで集まって練習して、酒を飲んでタバコを吸って……みたいなのが楽しかったんでしょうね。結局、音楽が好きだったんじゃない、友だちがほしかったんです」

酒におぼれうつ病を発症し消費者金融に借金

いよいよ進路を決めるというときに、「たまたま成績が良かった」(土屋さん)ため、高校の教師から大学進学をすすめられました。そこで選んだのは東京農業大学。家を継ぐつもりはみじんもありませんでしたが、選んだのは農学部。大学3年で進んだ専攻は「作物第一」。つまり、稲作でした。

農家の長男

つちや農園の育苗

「おれは何でも中途半端だったから。家を捨てる気で東京に行ったけど、ぜんぜん捨ててなかった」と土屋さん。毎日飲酒をして泥酔のまま研究室に行って教授に怒られ……といった日々。卒業間近になると、うつ病を発症しました。

「うつ病はやる気がなくなるわけではなく、脳がぶっ壊れるわけです。集中力が続かない。テレビは映像が次々に流れてきて、早すぎてついていけない。それで、本を読むようになりました」

なんとか卒業できましたが、父には「音楽をやりたい」と言って、そのまま東京にとどまりました。

「本当は音楽をやりたいわけではなく、家から逃げ回りたかっただけ」と土屋さん。引っ越し屋のアルバイトをしていましたが、うつ病の影響でうっかり家具を壊してしまうことが多発。会社から何度も罰金を払わされ、働けど働けど収入はなし。消費者金融で借りたお金で暮らしていました。

東京で別のバンド活動をしていた弟・直史(なおし)さんは、当時の兄について「ずっと家が重くのしかかっているように見えた」と話します。「あいつはバンドをやっていたときも、結局は郷愁に駆られた曲ばっかり書いていました。バンドをやりたいと言っても親父の顔がちらつくとか、農家の長男の責任というのは、農家の長男じゃないとわかんないものがあるんだと思います」(直史さん)

農家の長男

磐梯山を望むつちや農園の田んぼ

その後、土屋さんはアルバイト先を変えて深夜の居酒屋の厨房(ちゅうぼう)で働いていました。すると、ある日、突然父が現れました。「帰るからな、分かったな」と言われ、土屋さんは「はい」と即答。母がリウマチを患い、父1人では8ヘクタールの稲作はどうにも手に負えない状況でした。「借金が膨らんでいたし、何をやってもうまくいかない。あのまま東京にいたら生きてなかったかもしれない。でも、音楽で食っていけるんじゃないかなあと思い始めていた矢先。当時は『私の人生は終わった』と思っていました」(土屋さん)

グスコーブドリにはなれない

当初はまったく気持ちが切り替えられないまま、父と一緒に稲作を始めました。ところが父は、春の作業が終わると「あとは好きにどうぞ」と、土屋さんに稲作を任せ、生活費を稼ぐために林業会社へバイトに出ていきました。稲作といっても何をすれば良いのか分からず、自分がやっている作業が正しいかどうかもわからない。後ろ向きな気持ちでやっているうちに、うつ病が再発。精神科に通院しながら、再び本を読むようになりました。

農家の長男

田植えする土屋さん

その年の秋、「ビギナーズラック」(土屋さん)で、収量だけでなく食味も良いお米が収穫でき、がぜん「稲作がおもしろくなった」という土屋さん。何もかもうまくいかなかった人生がようやく花開き始めた瞬間でした。翌年には東京でバンド活動をしていた弟・直史さんも帰ってきて兄弟で稲作に取り組むようになりました。

実家を継いでから2年ほど経ったある日、グスコーブドリの伝記を手に取りました。しかし、当初はなじまなかったと言います。「あれは宮沢賢治の物語なんです。こういう真っすぐで高潔な人間になりたい。でも、憧れないし、自分とは違う。しかしながら、なれないから憧れるという憧れもあるんです」

グスコーブドリは両親を失い、妹は家庭を築いて新しい家族と暮らしています。ある意味では責任がないからこそ、火山を噴火させて犠牲になるという自滅の手段を選ぶことができたと言えます。宮沢賢治自身も家族を作っていません。「400年続く農家の長男」という周囲の想像を絶するほどの重責を抱え続けている土屋さんには「ああなりたい」と思う部分はあっても、みんなの幸せのためにすべてを投げ打つことは到底不可能なのです。「家を継ぐ」ということ、特に農村においての長男の重責は、日本人ならではの感覚かもしれません。

農業は使命感でやるものではない

土屋さんはグスコーブドリの伝記には「農業はがまん」ということが書かれているとも言います。つちや農園でも2017年には深刻な冷害に見舞われ、2018年は季節ごとに猛暑と冷害というダブルパンチに悩まされました。しかし、農業のしんどさは自然環境の厳しさだけではないと言います。

「世の中にはいろいろな金を稼ぐ仕事があります。その中で農業の収入はだいぶ下。もうけている農家もいると思うけど、たとえば米の生産でなく米の集荷をしてもうけている農家は、個人商社であって農家ではありません。農業というのは、結局はがまん。生産現場はえぐい。グスコーブドリの伝記はそれを書いているわけなんです」

だからこそ、農業は使命感でやるものではなく、楽しんでやるものだと土屋さんは言います。これまで、良いと聞いた肥料や栽培方法などは片端から試して、経費割れで良食味のお米作りを目指し続けてきた結果、さまざまなお米のコンテストで何度も受賞するようになりました。13年前に帰ってきた当初は8ヘクタールだったつちや農園の耕作面積は、来春には20ヘクタールまで拡大します。この間(かん)、土屋さんは結婚して長女も生まれ、ますます責任が大きくなりました。今後は経費をおさえて食味を落とさない栽培を実践することで、持続可能な経営を摸索していくと言います。

農家の長男

磐梯山に見守られながら育ってゆく稲たち

自身のブログに「グスコーブドリに憧れて」というタイトルをつけつつ、「憧れてない」と言う土屋さん。グスコーブドリの自己犠牲の精神は、グスコーブドリ本人もつらいし、周りもつらいと言います。グスコーブドリにはなれないし、なりたくないし、憧れない。でも、いつかは、なってみたいとも思う……。そんな土屋さんの「グスコーブドリみたいにかっこよく死にたい」という言葉は、冗談ではなく、心からの本音なのです。

つちや農園

>>農家の本棚 記事一覧はコチラ

関連キーワード

シェアする

  • twitter
  • facebook
  • LINE

関連記事

タイアップ企画

カテゴリー一覧