金融業界からみた農業ビジネス
仲野さんは2005年に野村証券に入社した。就職氷河期がまだ続いていたころで、中小企業も含めて100社以上面接を受けたという。とくに興味があったのが、金融関係の仕事。その念願がかなって大手証券会社に合格し、株や投資信託、債券などを販売する証券マンとして社会人生活がスタートした。
転機は2011年。野村証券が前年に設立した野村アグリプランニング&アドバイザリーに、希望して出向した。父親が食品メーカーに勤めていて、親戚がスーパーで魚をさばく仕事をしていたことなどもあり、食に関する仕事にはある程度関心があった。だが、手を挙げた理由はそれだけではない。
外国の債券を販売する際、セールストークで食料問題について話すことがあった。例えば、オーストラリアドル債を販売するとき、豪州は食料自給率が高いという点を強調した。日本は自給率が低いので、食料危機が起きたときに資産のリスク分散になるというのが購入を勧めた理由だ。そんな経験から、「農業はこれからもっと重要になるのではないか」と思っていたという。
野村アグリプランニング&アドバイザリーでの仕事は、自治体の依頼で農業法人の経営に助言したり、資金調達の支援をしたりすることなどから始まった。機能性表示食品や植物工場の市場調査なども手がけた。できたばかりの会社だったため、当初は「何しに来たの」という顔で見られることもあったが、経験を積むうちに農業分野への知見が深まっていった。
仲野さんにとってとくに重要だったのが、野村アグリプランニング&アドバイザリーが農林水産省から「6次産業化アワード」の仕事を受託したことだ。6次産業化は1次産業である農業と、2次産業の加工、3次産業の販売が連携したり、農家が自ら加工を手がけたりすることを指す。6次産業化アワードは優良な事例を表彰する事業で、仲野さんはその企画や運営を任された。
この仕事が仲野さんにとって大きな意味を持ったのは、徹底した現場主義で各事例の中身を調べたからだ。例えば、「全国66カ所を回り、その中から6事例を選んで表彰した」(仲野さん)。現場に足を運び、自分の目で確かめることで、6次産業化にとって何が必要かを理解していった。
この仕事を通し、仲野さんは各地の有力な農業法人とのネットワークを築くことができた。仲野さんと話していると、全国的に有名な農業法人の名前が次々に飛び出す。その人脈は独立後の仕事で大きな財産になっている。
退社を決断したのは、本社に戻ることが決まったのが直接のきっかけだ。担当は、新規株式公開(IPO)を希望している未上場企業の支援。もし勤務地が地方なら、引き続き1次産業に関わることも可能だった。だが東京勤務では、対象企業はIT関連のベンチャー企業などに限定される。
ちょうど2019年4月に、明治大学グローバル・ビジネス研究科への入学を控えていた時期でもあった。仕事を続けながら、マネジメントやマーケティング、サプライチェーンについて専門的に学ぶことで、現場で積み上げた知識を補完したり、学術的な裏づけを得たりするのが目的だった。
「農業分野をもっとつきつめたいと思い、ビジネススクールに行くことを決めました。そこに通いながら、違う分野の仕事をやるべきなのだろうかと思ったんです」。仲野さんは当時の心境をそうふり返る。妻の「自分の好きなことをやったら」という言葉にも背中を押され、野村証券を退社した。
農業者が見えていない農家の課題
現在の仕事の柱の一つは、行政が関わる事業の受託だ。地産地消の優良事例を表彰する農水省の事業の事務局の仕事を大手企業と一緒に引き受けたり、自治体による農家の支援事業をコーディネートしたり。一方で、農業法人の資金調達や販路開拓の助言も手がけており、仲野さんは「農業法人が払うコンサルタント料で事業が成り立つようにするのが目標です」と語る。