1995年の震災を機に就農を決めた

大規模に農業をやりたくて北海道で就農した
JR千歳線の北広島駅から北東へ車で30分ほど走ったところに、押谷さんが経営する押谷ファーム(夕張郡長沼町)はある。
面積は6.3ヘクタール。ミニトマトやトウモロコシも作っているが、メインの作物はアスパラガス。アスパラガスは植えてからかなり年数がたち、ちょうど植え替え時期に入っているため、2019年度の栽培面積はハウスと露地を合わせて2ヘクタールといっときと比べて縮小している。ただ今後はハウスの増設などを進めることで、4年間で3.5ヘクタールまで拡大する計画。実現すれば、アスパラガス農家としては全国でも有数の規模になる。
20代後半で脱サラし、農業の道へと進んだ。それまでは、ある大手スーパーで働いていた。就農を決意したのは、95年1月に起きた阪神淡路大震災がきっかけだ。
当時、押谷さんは兵庫県尼崎市に住んでいた。突然襲った強い衝撃で目を覚ますと、あまりに激しい揺れでベッドから起き上がることができなかった。何が起きたのかわからず、「このまま死んでしまうのか」と思ったという。
幸いケガはなく、すぐに車で大阪府箕面市にある勤務先の店舗に向かった。店までいつもなら車で45分。だがその日は道が極度に渋滞し、家から150メートル先にある1つ目の信号を曲がるまで2時間弱かかった。電車が止まっていたのでそのまま車で店に向かうと、ようやく昼過ぎに到着した。
そこまでして店に行ったのは、「無事です」と一言告げるのが目的だった。電話がつながらなかったので、ほかに伝える手段がなかったのだ。翌日以降も同じように出勤した。そのとき見た光景が、押谷さんの人生観を変えた。