いま話題の「やさいバス」をご存じでしょうか。新鮮な農産物を地域で流通させるユニークな物流サービスです。生産者は最寄りの「バス停」と呼ばれる拠点へ定時に出荷し、バス(配送トラック)が巡航しながら集荷した農産物を他の「バス停」へ届け、飲食店や小売店がそこへ受け取りに来ます。取引は全てオンライン上のシステムで完結しており、地域の循環モデルとして注目されています。
今回は「やさいバス」を起点に農産物物流の現状と可能性について、前後半に分けてエムスクエア・ラボ代表の加藤百合子さんにお話を伺います。
産業ロボット開発から農業へ。そして「やさいバス」に至るまで
──まずは加藤さんの経歴、エムスクエア・ラボ起業に至るまでの経緯を教えてください。
大学は環境を学びたくて農学部へ進学しました。その後イギリスやアメリカへ留学したのですが、ロボットやモノ作りをやりたいなと思い、メーカーに就職して10年くらい産業機械やロボットを開発していました。結婚を機に静岡へ移り住んでいます。
子どもが2人生まれ、育てる中で、大量生産のための産業機械は作りたい人が他に多くいるので、母親がしなくてもいいかなと。母としてできる仕事をしようと振り返ったときに、「あれ? 私、農業したかったんだよな」と思って、農業への道を探り始めたのがもう12年くらい前のことですね。
実は農学部を出たとはいえ、農業の現場へは行ったこともありませんでした。とにかく現場のことが知りたくて、週に1回開かれていた静岡大学の農業講座を半年間受講しました。講座の中で農家さんといろんな話をする中で、これは私が培ってきたエンジニアリングのノウハウで何かお役に立てるかもしれないと立ち上げたのが、エムスクエア・ラボです。
佐川
──種々の農業ビジネスを手がけながら、どうして「やさいバス」のビジネスにたどり着いたのでしょうか?
はじめは農業生産をやりたかったのですが、 主人は違う仕事をしていて、子ども2人を育てながらの農業は無理だとあきらめました。とにかく農業の現場には困りごとがいっぱいあるものの、自分の中で課題の明確化ができていなかったので、2年ほど行政の事業を活用しながら農家さんと対話を続けました。
そうしたら、自分たちの希望する販売形態がないという声が大きかったんです。思ったような値段で売れないということと、作ったものに対する評価が返ってこないということの2点が課題として挙がりました。
既存の流通に関わっていくうちに「これはだめだ、みんな不幸だ」と思いました。何が不幸かというと、誰が何をやっているか全然知られないままモノとカネだけが交換されていくっていう流通だったんですよ。
食べ物なのにこれでいいのかと疑問に思って「顔が見える地域の流通」を作り始めたのが今から7~8年前、創業して2年ほど経ったころです。この頃から流通に携わっています。具体的には農家さんとその作ったものを買いたい人が出会って、思いが通じ合ったらモノが動きはじめる流通をやっていました。これは大変で、1年くらいは売り上げが立たず、理想だけ掲げて赤字のたれ流しでした。
政策投資銀行のビジネスコンテストで優勝し、いろんな人が関わってくれるようになり、この事業が形になってきた頃に、今度は物流コストが上がってきたんですよ。これもなんとかしなければいけないと、5~6年前に静岡県で共同配送の協議会を作り、議論を重ねました。 さらに、協議だけ続けていても先が見えないからとにかくやってみようと、4年前に実証研究を始めたわけです。
その実証研究中に宅配料金が全国的に跳ね上がりました。これだけ宅配コストが上がったのなら共同配送もビジネスとして成立するのではないかと、実運用に乗り出したのが「やさいバス」です。
佐川
「やさいバス」の道のりから学ぶ、地域密着型プロジェクトの進め方
──「やさいバス」が軌道に乗るまでは、どのような道のりだったのでしょうか?
システムを開発するのに1年かけ、2年目に試験運用を開始し、3年目にようやくシステムが安定してきました。今は9割方の取引がシステムに乗っています。農家さんにも、買い手さんにも、システムを使ってもらえるようになりました。
茨城県や神奈川県、長野県でも実用化が進んでいます。行政と一緒に進めるケースや、民間のみで実現するケースなど、いくつかのパターンを試せました。
佐川
──「やさいバス」でうまくいったこと、いかなかったこと、意外だったことなどがあれば教えてください。
うまくいかなかったことのほうが圧倒的に多いのですが……(笑)。
やさいバスのコンセプトは、とにかく流通全体で発生する間接業務を圧縮することです。物流も含めて全てペーパーレス化して、受発注から決済まで、めんどくさいところやコスト高になるところをシステムに落とし込んでいます。
ところが、こちらは「これしかない」と思っている仕組みでも、けっこうイケてる農家さんからさえも「なんでFAXを送ってくれないんだ」というようなコメントが出るくらい、はじめはシステム化に抵抗がありました。「とにかく我慢して1カ月使ってみてよ。だんだん業務が変わっていくから」と説き伏せながら使ってもらったら、「こんなに楽なことはないね」とまで言われるようにまでなりました。理解してもらって、ITを業務に取り込んでもらうことが一番大変でしたね。
最近は新型コロナウイルスの影響でITや合理化に関心が高まり、より理解を得られるようになりました。さまざまな業務の見直しが進んでいます。
意外だったことは、自動車会社の反応が良く、すぐに飛びついてくれたことです。広告業界のイベントにこのビジネスモデルを出したときに、ある部門で優勝したんですね。そのときの審査員に自動車産業の関係者が多く、まさにMaaS(※)をやりたくて切り口を探しているということで、かなり早い段階から協業の打診がありました。
※ MaaS(マース):Mobility as a Serviceの頭文字を取ったもの。ICTなどで高度に管理された移動や輸送を伴うサービスのこと。
一方で、スーパーマーケットなどの小売業者で話に乗ってくれる企業が少なかったのも意外でした。「地域の農産物を売る」という体制になっていなかったのは改めてビックリしましたが、その中で手を挙げてくれたところと話を進めています。
佐川
<取材後記>
前編では加藤さんが「やさいバス」事業を立ち上げるまで、そして立ち上げてから現在に至るまでの経緯を伺いました。インタビュー中に加藤さんは「やさいバス」のシステマチックな最適化を「これしかない」と表現されていましたが、従来型の物流に携わって課題感を見極めた加藤さんだからこその重みある一言だと感じました。そして、農家と同じ目線で現場の課題に向き合われてきたからこそ、サービス利用者の行動や習慣を変える結果につながったのだと思います。
後編では続けて「やさいバス」について伺いつつ、流通におけるイノベーションの可能性や、加藤さんの目指すフードシステムの青写真から、青果物物流の現状とこれからの可能性について掘り下げていきたいと思います。