「本気の自己開示」で読者に寄り添う
本書は著者である佐川氏の半生を振り返る第1部、佐川さんが実践してきた個人農家の課題解決ノウハウを集めた第2部から成り立っている。後半では「経営」や「会計」、「販売」から「PR」まで、生産技術を除いた経営課題の解決策が体系的にまとめられている。
どこからでも読み始められる構成だが、できれば前半から通読することをおすすめしたい。
群馬県の進学校から現役で東京大学農学部に入学、同大大学院卒業後、大手外資系化学メーカーに研究開発職として新卒入社……というエリート街道を突き進んできた同氏。しかし、激務でうつを患い退職するという「はじめての大きな挫折」を経験する。2年の療養期間を経て、ITベンチャーの手伝いとして復職。そして栃木のNPO法人が募集していたインターンプログラムをきっかけに、宇都宮市の家族経営農家・阿部梨園に出会い、代表の阿部英生(あべ・ひでお)さんと二人三脚で農園の改革に挑む。
ドラマのようなストーリーを追っていくと、各段落末に「拾った武器」という表現で、様々な経験を通して佐川氏が得た‟アイテム”が散りばめられている。「製造業の考え方」、「折れたプライド」、「ベンチャー企業の生産性」、「地域のネットワーク」……といった具合だ。個人農家の経営マネージャーというロールモデルのない働き方を確立した、現在の同氏をつくる要素が、挫折や新たな環境への挑戦を通して氏の体内に蓄積していく様子を“目撃”できる。
タイトルにもある「東大卒」といえども、初めから全てを難なくこなせたわけじゃない。壁にぶち当たりながらも前に進んでいくのは、自分たちと何ら変わらないんだ――。ここで読者は、前のめりの状態で「話を聞く気」になっている自分に気付くだろう。前半での自己開示を受けて氏への親近感が生まれ、扉が開かれて、「頭の中の畑」が耕され、「ノウハウという肥料」を後半で吸収する準備が整うイメージだ。
(ちなみに佐川氏はよく、自己開示のことを「開襟」のような生易しい言葉ではなく、「パンツを下ろす」と表現する。「今回は、だいぶパンツを下ろしました」とのこと。確か初めてこの例えを聞いたとき、ウブな私は一瞬固まった。)
氏には「農家の課題解決ゼミ」と題した若手農業者向けセミナーの講師として登壇してもらったり、ライターとして連載を執筆してもらったりと会社ぐるみで世話になっているが、「そんなことが……」と絶句するエピソードを初めて本書から知った。また農園に身を捧げる決意を固めた背景に、‟「阿部英生と一緒に仕事をすることは、自分の人生にとって重要かもしれない」という直感”があったという箇所から、外野からでは分からない絆の深さを知り、熱いものが込み上げてきた。
氏が実践してきた経営改善事業を貫くのも、「自己開示」と「慈愛」をベースにした他人に寄り添う姿勢である(著書中では、「おせっかいを極める」という言葉で表現されている)。
第1部では、雇われる側が経営者と同じ責任感で事業・組織を背負う「覚悟を見せる」ことの難しさと大切さが、リアリティをもって描かれている。このパートには、後半と対照的に器用なテクニックの存在感がない。その点が、氏の純粋で善良な人間性をよく表していると思う。
農園初の非生産部門社員として入社したいと代表に直談判する際に、「阿部梨園にとって必要なこと」「自分が貢献できること」など4つの項目をもって熱意を伝えた「ラブレター大作戦」の章はドラマティックだ。これ以上はぜひ、本書で確認頂きたい。
明日着手できる100のカイゼン
後半は、ウェブサイト「阿部梨園の知恵袋|農家の小さい改善ノウハウ300」にアクセスしたことがある人なら、なじみのある構成だ。
個人農家が「生産技術」以外で取り組むべき9つの項目(「経営」「総務」「会計」「労務」「スタッフ」「生産」「商品」「販売」「PR」)に分けられた100個のノウハウが、要点を押さえてレイアウトされている。
例を挙げると、企業で経営戦略策定に使われる「SWOT分析」(組織・事業の強みや弱みといった内部要因と、外部要因から評価する自己分析の一種)の具体的な手法や、「K(Keep)P(Problem)T(Try)」の考え方を用いた業務の定期的な振り返り方法といったものだ。他業界で多用されるツールを農業に落とし込み、その有益性と具体的な手法を易しく説いている。
他にも例を挙げると、
……といった「これまでできていなかったけど、ちょっと頑張れば明日(または今日)にでも手を付けられること」が多い。空欄付きの図表もあるので、書き込んでちょっとしたドリルのように使うこともできる。
「農業界には佐川さんがいる」という希望
本の最後のページを閉じるやいなや読者の心には、立ち上がってそれぞれの「カイゼン」に向き合う気持ちが沸き起こるだろう。きっと壁を乗り越えたり壁にぶち当たったりするたびに、この本を開きくたくなる。この本に支えられながら、やがて自分なりの事業の答えや成果を「収穫」する時が多くの農業者に訪れるだろう。悩めるときに寄り添い、自問自答の‟壁打ち相手“になり、打開策へ導くというまさに右腕のような存在になってくれるはずだ。
実は筆者も、メディアから事業会社へ転職し、農業という奥深いテーマを追うにあたり、氏の存在に勇気付けられてきた一人である。農業界の隅っこにいる私がそうなのだから、ど真ん中で汗を流す農家や、業界の改革推進に力を尽くす国・自治体関係者ならその思いは幾許(いくばく)だろうか。
氏の渾身のストレートを受け止めた読者が、「読んで終わり」ではなく、ノウハウを実践した結果をシェアし合うコミュニティを生んでいくことも楽しみだ。輪読や感想の共有を通して、全国の農家のオフライン/オンラインの交流が活発化するなど、今の時世だからこその二次的なアクションも期待できる。
この一冊をバイブルとして、また心の拠り所としてきた若手農業者が、日本の農業を強くしなやかにする。そんな未来はそう遠くないところに来ているはずだ。
東大卒、農家の右腕になる。 小さな経営改善ノウハウ100
発売日:2020年9月1日
出版:ダイヤモンド社
400ページ
1800円+税
<著者プロフィール>
佐川 友彦(さがわ・ともひこ)
1984年生まれ。ファームサイド株式会社代表取締役。阿部梨園マネージャー。東京大学大学院農学生命科学研究科修士課程修了。梨園では参謀を務め、経営改善実例を「阿部梨園の知恵袋」として公開中。ファームサイドでは、家族経営の農家・農業関連企業のコンサルティングや、全国への講演活動を行う。