ある日突然妻が農家をやると言い出した そのとき夫は?
金沢駅から車で10分ほどのところに株式会社MEGLIY(メグリー)はあります。耕作面積4ヘクタール、夫婦で年間100種類ほどの野菜を育てて出荷する農業法人です。2012年に起農し生産を軌道に乗せ、2016年に農家カフェをオープン、そして昨年に株式会社化というすごいスピード。土地なしで新規就農した「ゼロから農家」の希望の星だと思っています。スタートは妻の突然の新規就農宣言。ある日突然パートナーに「農家になる」と言われたらどう受け取るか? また憧れる人の多い農家カフェの現実は? 実践者だからこそのリアルな声を届けます。
妻が突然農家になると言い出した
今回は前回書いた鍋嶋亜由美(なべしま・あゆみ)さんの取材記事「ホステスからこだわり農家へ そのパワフルな半生とは」の裏面ともいうべきもので、夫である智彦(ともひこ)さんの話。
実家が九谷焼の窯元で、バブル時代の子供の頃には何でも買ってもらえるという裕福な家庭で育った智彦さん、その実家が22歳の時に自己破産。自身の経歴も異色で、運送会社の社会人野球の選手から、鳶(とび)職を経てゼロから起業。現在は株式会社化した農業法人の社長を務めるというまさにジェットコースターのような人生を送ってきました。ここでは、妻からの「農家になる宣言」をどう受け止めたか、そして新規就農者憧れの農家カフェ経営の顛末(てんまつ)をピックアップします。
公開済みの記事から亜由美さんの言葉を拾い、そのときの夫の気持ちを「検証」していきましょう!
亜由美さん
ある夜、天から降ってきたかのように「これからは農業だ!」と思い付いて。朝、1階のリビングにいたトモに相談ではなく、農家になる宣言をしたんです。
西田(筆者)
亜由美さんから農業をしようと言われたということですが、何かキッカケはあったんですか?
智彦さん
西田
智彦さん
寝起きということもあったので「うん、分かったよ」と。根底には亜由美の言うことは間違いないというのがあったと思います。あと鳶職も長く続けるものじゃないと思ってたのと、農家だと冬休めるかなと思ったりもしてました。
西田
智彦さん
両方の親からは大反対。亜由美の友達からも「頭おかしくなったんじゃない」とか言われるし、会う人会う人に絶対無理と言われまくりました。
就農したての2人。笑顔がまぶしい
西田
智彦さん
まずは夫婦で石川県の農業支援学校「耕稼(こうか)塾」の週末コースに1年通って、亜由美は車で片道50分かかる農家のところで研修。俺は仕事しながら週2回、金沢市運営の金沢農業大学校へ。でもまあ学校というところは苦手で、涼みに行っていたという感じ。先生方から見ても落第生と思われてたんじゃないかな。「こいつは絶対に農家無理」みたいな。でも今は、そこの先生に応援してもらってます。
西田
智彦さん
まあ、お金にならんなと。あんだけ苦労して畑で1カ月半、2カ月かけて育てた大根が、こんな値段にしかならないのかと思ってがく然としました。その時はお金ですべてを見てたので、農業はどうしようもないな、こんなのでやっていけるのかなと思ったのが正直なところです。ただ亜由美が繰り返し「お金じゃないから、お金じゃないから」と 言っていて、もう少しやってみるかなと……。
西田
智彦さん
やはり亜由美の必死さかな。早朝から研修先で学び、帰ってきてから畑に出て、夜は配達とホステスの仕事に行って、それでも続けてる。もうひとつは周りから無理だ、無理だと言われていたのが悔しかった。見返してやりたいというのもあった。
亜由美さん
最初は「あゆみ野菜」と名付けましたが、途中から当事者意識を持ってもらいたくてトモの名前を入れ「トモファームあゆみ野菜」として販売するようになりました。
西田
智彦さん
とにかく亜由美が目立ってて、俺もがんばってるし目立ちたいというのがあったけど、いざトモファームってつくと名と実が合ってない気がして、やっぱ亜由美が前面でいいんじゃないかと。そこから支えようとスイッチできました。
西田
智彦さん
前回で亜由美も話していたけど、ハウスに遊びに来たお客さんの子が、トマトが嫌いなのにうちのミニトマトをバクバク食べて、ご両親も驚いていて。そんなことが続いて、人が心から喜んでくれる仕事なんだなと。亜由美の言ってた「お金じゃない」ってこのことか、と少し意識は変わったかな。それからは、亜由美の研修先の師匠に分からないことを率先して聞けるようになりました。
農家カフェは甘くない
亜由美さん
2015年12月に長女が誕生して、父親になったトモに本能スイッチが入ったみたいで、「もっとしっかり稼がなきゃ」と急にやる気になりました。畑の近くにポツンとあった焼肉屋が閉店して、ある日突然そこを借りる契約をして家に帰ってきたんです。
西田
智彦さん
子供ができてもっと稼がにゃならんなということと、男として基地的なものを欲しかったから。あと銀行へ相談に行ったら意外と貸してくれて。
亜由美さん
お店の内装は鳶職をやってたトモと大工の友人が本当に頑張ってやってくれて。朝4時から8時まで畑で働いて、その後は農家カフェに決まったお店の内外装作り。いろんな人に手伝ってもらって、子供連れのお母さんがゆっくりできる安全で素敵なお店ができました。
西田
勢いにしてもすごいですね。実際の開店までの苦労はありましたか?
智彦さん
30坪の半分を直売所と厨房(ちゅうぼう)、半分を客席24席にしたのですが、まず丸一日働いてからの大工仕事は体力的にホント大変でした。あと資材をタダでくれるというから取りに行ったはいいのですが、それを使える資材にするには汚れを落としたり、削ったりしなければならず、そこに人件費がかかったりして……結局完成までに1500万円を借金。改装は結果的に業者にまかせた方が安くついたかも。
いろいろなイベントも行われたありし日の Life Community MEGLI(農業法人MEGLIY前身の農家カフェ)
亜由美さん
とにかくこだわって、調味料はいいものを使ったし、ドレッシングやソーセージもすべて手作りしたのでコストは掛かってました。お客さんにとっては良かったと思うんですが、なかなか大変。正直、野菜そのものを販売する方が利益にはなったかな。
西田
智彦さん
作る側と食べる側の求める味のギャップですかね。料理人は野菜の味を引き出したいので薄味。お客さんも「薄味はいいね」と言いながらやはり物足りない。お客さんが来てくれないとはじまらないので味が少しずつ濃くなっていって、カフェの閉業前は最初の倍ぐらい濃かったかな。それでも普通のお店よりずっと薄味なんですが……。最初からそのぐらいの濃さの味を出したら、もっと早く連日満席になったかもしれない。お客さんの「薄味はいいね」というような表面上の声は真に受けてはいけないと思いました。
西田
智彦さん
すべて手作りにすると、その分人件費がかかる。営業は昼だけだったのですが毎日3~4人のスタッフがいました。この席数にしては多く、毎月100万円以上の人件費。こだわればこだわるほど人手も時間もかかります。
西田
智彦さん
あの規模だと月300万円の売り上げで材料費、光熱費などの原価が100万円。それで人件費100万円以内におさまるといいかな。売り上げはクリアできたけど原価率が50%を超えていたのが厳しかったです。
亜由美さん
カフェは連日満席だったし、やりようによっては続けることもできたかもしれませんが、本来やりたかったのは飲食じゃなくて野菜を育てることなので、閉める判断をしました。
西田
智彦さん
大きな黒字も赤字も出さず、まあいい経験はしたと思います。小売り、飲食の大変さ、欲しいものなども分かったし、人も活用できるようになった。何より私たちの名前が広まったのはよかったと思います。
新規就農者へメッセージ
亜由美さん
ここまで勢いできたし周りに助けられてきました。農家になるというのは一晩で降ってきたことだけど、感覚的にはすべてつながっていて、ゆるぎないものがあります。
西田
智彦さん
飲食卸が売り上げのかなりのウエイトをしめていましたが、コロナの影響で厳しくなってきて、今は野菜セットの販売が中心になってきました。こちらは順調に売り上げが伸びています。私たちだけだとセットに入れる野菜が足りなくなってきているので、いろいろな農家とコラボしていきたいと思っています。
あとはカッコよく稼ぐ。大きな夢としてはハワイで農業をすること、そしてそんな自分たちが映画化されることで、農家に憧れる人を増やしていきたいというのがありますが、まずは売り上げで1億円を目指していきたいと思ってます。北陸からは関東にも関西にも同じ送料で届けられ、全国のほとんどの地域に出荷翌日に到着するなど、地の利があるので近いうちにかなえられると思う。
アイキャッチが入った箱でお届け、野菜セット
西田
智彦さん
農法にこだわらないこと。まずできる農法からやって、生活できるようになってからやりたい農法にチャレンジする。そしてやれてる農家のマネをするのもひとつ。それから自分のやりたいようにする。そうすると新たなチャレンジが失敗しても被害は最小限で済みます。
編集後記
奥さんからの突然の宣言が就農のきっかけだったにもかかわらず投げ出さず頑張ってきたのは、やはり亜由美ちゃんへの愛情とそして信頼が一番大きいと、インタビューをしていて感じました。そしてある意味楽天的なところも必要(これは私自身もですが……)。カッコよく稼ぎたいとも言ってたのですが、それも農家を憧れの産業にしたいんだという思いのように感じました。農家になる前の「稼ぐ」と今の「稼ぐ」は智くんにとって同じお金でも違う意味合いを持っているんだろうなとしみじみ感じました。これからも新規就農者のアイコンとして頑張ってもらいたいと思います。
株式会社MEGLIY