コメに向く大潟村で園芸一本に
宮川さんは、「秋田県で園芸といえばこの人」と言っていい存在だ。大潟村は戦後に食糧増産、つまりコメ増産の目的で干拓されたため、コメ作りに向いていると認めながらも、1998年、稲作を一切やめた。
もともとは、コメに加えて花苗の生産を強化し、複合経営にかじを切ろうとしていた。コメを経営の柱にするリスクを、時代に先駆けて感じ取ったからだ。しかし、思ったように作業の両立ができない。どうしようかと思い悩んだ揚げ句「コメをやめればいい」という常人離れした発想に至る。こうして大潟村で唯一、コメを作らない生産者になった。以来、契約栽培を主体に、ホームセンター向けの花苗や業務用の野菜などを生産する。
村外に農地を広げ、県内だと南は秋田市、北は白神山地に近い藤里町と北秋田市まで。最も遠い農場は村から70キロほど距離があり、平地だけでなく中山間地までカバーする。
豪雪地帯で日照量が限られ、冬場の生産が難しいという地理的な制限を突破しようと、2006年には茨城県つくば市に農場を設けた。途中で地元の農業法人と合併し手を離れたものの、19年には埼玉県熊谷市で農地を取得する。業務用ネギを秋田と熊谷で産地リレーし、周年出荷するという野望を実現した。
ホームセンター向けに栽培する葉ボタンの出荷量は全国トップクラスで、かつ12年に「日本一安いネギ」を目指して1ヘクタールで始めた業務用ネギは34ヘクタールに達し、全国有数の規模になったという。それでも本人は「園芸は、面積が大したことなくても、シェアをとることができるんだ」と淡々としている。
大きいロットで供給
秋田で園芸をするとはどういうことか。宮川さんに尋ねると「消費地から近いわけじゃないから、小回りが利かない。それなりの面積を作って、大きいロットで、トラックに満載して送る。供給するという感覚に近くなる」との答えが返ってきた。消費地からの遠さに加え、ネックになるのが長い冬だ。
「雪が解けてから、また雪が降るまでに、ガリッと稼いで、冬はストーブに当たって茶っこ飲んでいるのが、一番効率的な農業だと思う。だから、雇用も仕事のあるときだけ来てもらって、冬になったら『また来年の春にね』っていうのが効率的。ただ、それでは働きに来る人がいないから、冬場をつなぐためにどうするかとなる」(宮川さん)
正八は従業員を20人以上擁するだけに、やはり冬場の仕事の確保に苦労してきた。そこで、熊谷市に40ヘクタールの農地を取得し、秋田でネギが出荷できなくなる冬に、一部の従業員と熊谷に移ってネギの出荷を続けることにしたのだ。周年出荷にすることで取引先にとっての正八の重要度を高め、かつ冬に人手を余らせない、一石二鳥の方法といえる。
コロナ禍に伴う業務用野菜の需要減退の影響は、小さくない。しかし、ネギは長梅雨と秋の天候不良で全国的に不足しており、注文が殺到している。ほかの野菜にしても、ロットの大きい取引先を求める業者から引き合いが多く、販路はむしろ増えた。
外国人を中堅どころに
秋田で園芸をするうえでの宿命といえるのが、人手確保の難しさだ。大潟村の周辺地域は過疎・高齢化が深刻で、労働力の確保が年々難しくなっている。そのため、17年からベトナムの技能実習生を受け入れてきた。
「外国人も単なる安い労働者じゃなく、中堅どころ、幹部になりそうな優秀な人に来てもらえないか」
宮川さんはこの思いを強くし、フィリピンの大学と独自に協定を結び、20年春からインターンを受け入れるはずだった。ところが、新型コロナウイルス感染症の流行で、入国のめどが立たなくなってしまう。出荷先が増えて人手が必要になったのに、見込んでいた人数を確保できず、20年はいつも以上に人繰りで苦労している。人材派遣も活用し、当座の労働力不足は乗り切った。
外国人を中堅どころにという目標を、宮川さんは諦めていない。
「技能実習生のうちの2人を、周りの仕事の管理ができる班長のような存在に育成しようとしている。そうなるように彼らを扱ってほしいと、周りにも言っている」
労働力不足の解決と生産効率のアップのため、ネギの収穫にロボットを導入する構想も持つ。今の収穫のやり方は、収穫機が掘り取ったものを、束ねて縛ったうえで、布を巻き、トラックに積む。トラックで畑から作業所まで運んでおろし、そこで皮をむく。何度もネギを持ち上げたり、おろしたりの手間がある。ネギを束ねる間は収穫機が止まっているため「作業時間のうち良くて半分しか掘っていない」(宮川さん)。
収穫機を自動で追従する運搬ロボットができれば、収穫機が止まる時間がなくなる。そうすれば、現状で収穫機が2台必要な作業を、1台でできる計算になるのだ。
外国人材の活用に、ロボット導入……。条件に恵まれているとは言い難い秋田で、宮川さんは新たな地平を切り開こうとしている。