「貯金がどんどん減る」有機農家の窮地を救った野菜と販路とは

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「貯金がどんどん減る」有機農家の窮地を救った野菜と販路とは

連載企画:農業経営のヒント

「貯金がどんどん減る」有機農家の窮地を救った野菜と販路とは
最終更新日:2020年12月22日

「やりがいをすごく感じています」。埼玉県比企郡ときがわ町で野菜の有機栽培を手がける藤田芳宏(ふじた・よしひろ)さんはそう話す。就農から8年。一時は生計を立てるのに限界を感じたこともあった。営農で活路を見いだした背景には、ある野菜と売り先との出会いがあった。

就農のきっかけは一風変わったアルバイト

藤田さんは現在、38歳。1ヘクタールの畑で、約30種類の野菜を農薬や化学肥料を使わずに育てている。売り先は地元の直売所や生協、学校給食、飲食店、農産物の宅配会社などだ。
出身はときがわ町。高校を卒業すると一人で東京に移り住み、さまざまなアルバイトを経験した。その中で、山梨県に住む女性のSNS(交流サイト)の呼びかけに応じたことが転機になった。「木の上に小屋を造ってほしい」というのがその内容だった。
女性は家庭菜園で無農薬で野菜を育てていた。「農作業をしているとき、そばの木の上で子どもを遊ばせておきたい」というのが小屋を造る目的だった。
この一風変わったバイトに参加したことが、藤田さんの人生観を変えた。女性は自営の仕事を持っていたが、忙しく時間に追われることなく、畑の世話もしながらゆったりと暮らしていた。
「こういう生き方をしてもいいんだ」。藤田さんはそう感じたという。それまでは「人に認められるには、稼いでなんぼ」と思っていた。だが、いまも「尊敬すべき人」と語るその人のことを知り、考えが変わった。
彼女がバイトたちにふるまってくれた料理も、その後の針路に影響した。藤田さんは「野菜だけの料理なので薄味。『すごくおいしい』という類いのものではないが、とても素朴でほっこりする味だった」と語る。

ニンジン

学校給食用に育てたニンジン

このときの体験が就農につながった。いったん別の仕事を試してみたがうまくいかず、山梨の女性に有機農家を紹介してもらった。そこで営農について話を聞き、「広い空の下で野菜を作るのは気持ちよさそうだ」と思い始めた。
こうして藤田さんは就農を決意した。まず減農薬で野菜を育てている埼玉県深谷市の農業法人に就職した。そこで4年間働いて栽培技術を学び、実家のあるときがわ町で就農した。2012年4月のことだ。
就農の1年ほど前に結婚した。家族を抱えて農業をやることに不安はなかったのだろうか。そう聞くと、藤田さんは「何とかなると思っていた」と答えた。栽培方法を学んだ農業法人が約10人のスタッフを抱えて経営しているのを見てきたからだ。だが実際は苦労の連続だった。

ゆったりした生活リズム

ゆったりした生活のリズムに憧れて就農した

主な売り先をなくした窮地を救った野菜とは

最初に取り組んだのが、野菜セットの宅配だ。間に業者を挟まず、消費者に直接売ったほうが手取りが多くなると考えたからだ。だが、宅配は1年ほどしか続かなかった。当初は10種類程度の野菜の育て方しか知らなかったため、セットの中身が充実せず、顧客がほとんど増えなかったのだ。
しばらくすると、飲食店などを運営している会社との取引が始まった。まとまった量を買ってくれる有力な売り先だった。だが販売を始めて約2年たったころ、この会社が野菜の調達先を見直したことで、取引が打ち切りになった。
同じころ、新規就農者を対象にした農業次世代人材投資資金(旧青年就農給付金)の支給が終了した。年間150万円の給付金は生活の支えになっていたため、販路を失ったことと合わせてダブルパンチになった。
就農から5年近くになっていた。主な売り先をなくしたショックで何をどう作っていいかわからず、ぼうぜんとする日々が続いた。頼みの綱の貯金も「どんどん減っていった」(藤田さん)。だが、やる気を失いそうになる自分を鼓舞し、新たな売り先を探し始めた。その中で、藤田さんはその後の営農の柱となる野菜と出会った。
「プンタレッラを作ってくれないか」。ある飲食店からそう頼まれたのだ。チコリの仲間のイタリア野菜だった。この聞いたこともない野菜のタネを取り寄せ、栽培を始めたことが、事態の打開に向けた最初の一歩になった。

プンタレッラ

プンタレッラ。中心の「トウ」の部分をスライスして食べる

続いて大きな前進となったのが、トキタ種苗からのタネの購入だ。
トキタ種苗はイタリアの野菜が日本でも育つように改良し、さいたま市の若手農家を中心とするグループ「さいたまヨーロッパ野菜研究会」にタネを提供していた。その延長で探していたのが、「イタリア野菜を有機で栽培してくれる農家」だ。その格好の相手が、藤田さんだった。
トキタ種苗との付き合いが始まると、藤田さんは近隣の有機農家4人に声をかけ、生産者グループの「BIO satonoiro(ビオ・サトノイロ)」を立ち上げた。ときがわ町を「有機栽培によるイタリア野菜の産地」として盛り上げることで、タネの販売を増やしたいトキタ種苗の要望に応えたものだ。
幅広いネットワークを持つトキタ種苗との関係は、絶大な効果をもたらした。イタリア野菜の売り先として、商品宅配大手のオイシックス・ラ・大地を紹介してくれたのだ。同社が手がける有機・低農薬野菜のブランド「らでぃっしゅぼーや」向けの販売が2019年に始まった。
らでぃっしゅぼーやには、ビオ・サトノイロの名前で共同出荷した。販売量はあっという間に増え、いまやこのルートが藤田さんの売り上げの半分以上を占めるまでになった。
しかも大きかったのは、らでぃっしゅぼーやとの取引が、品種や量、値段を半年前に決める方式だったことだ。この取引方法が、農業へのやる気をがぜん高めてくれた。価格が相場任せの出荷と違い、収入が安定するからだ。「約束通り出荷できるように、絶対にちゃんと作ってみせる」。そう決意して作付け計画を決め、栽培に臨むようになった。
就農から7年が過ぎていた。藤田さんは「ようやく軌道に乗った」と話す。

トキタ種苗

トキタ種苗のイタリア野菜シリーズ(写真提供:トキタ種苗)

ピンチを克服した二つの支え

「ちょっと甘く見ていたかもしれない」。山梨の有機農家を訪ねて「自分にもできるかも」と思い、就農を決意したときのことを藤田さんはそうふり返る。もちろん、これは農業を仕事に選んだことへの後悔の言葉ではない。いまは窮地を脱し、農業に対するやる気に満ちているからだ。
イタリア野菜やらでぃっしゅぼーやとの出会いのほかに、ピンチを克服するうえで二つの支えがあった。
一つは農家の仲間。藤田さんが「もうアルバイトでもしようか」と迷っていたとき、5歳ほど年上の農家が「俺も5年目くらいのときはそうだった。そういう時期があるんだよ」と励ましてくれた。この言葉をきっかけに、藤田さんは飲食店の開拓に乗り出した。それがイタリア野菜との出会いにつながった。
もう一つは家族だ。就農後に生まれた2人の子どものうち、1人はすでに小学1年生。藤田さんが学校給食用の野菜を作っていることを知っていて、「今日パパのキャベツが出たよ」と言ってくれることがある。藤田さんはこのエピソードを紹介しながら「やっていて楽しい」と話した。農業を続けていくうえで、これほど活力を与えてくれる逸話もそう多くないだろう。

トレビス

藤田さんが育てたトレビス。サラダで食べる

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農業経営のヒント
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「食と農」の現場を日々取材する記者が、田畑、流通、スマート農業、人気レストランなどからこれからの農業経営のヒントを探ります。
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