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「貯金がどんどん減る」有機農家の窮地を救った野菜と販路とは

吉田 忠則

ライター:

連載企画:農業経営のヒント

「貯金がどんどん減る」有機農家の窮地を救った野菜と販路とは

「やりがいをすごく感じています」。埼玉県比企郡ときがわ町で野菜の有機栽培を手がける藤田芳宏(ふじた・よしひろ)さんはそう話す。就農から8年。一時は生計を立てるのに限界を感じたこともあった。営農で活路を見いだした背景には、ある野菜と売り先との出会いがあった。

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就農のきっかけは一風変わったアルバイト

藤田さんは現在、38歳。1ヘクタールの畑で、約30種類の野菜を農薬や化学肥料を使わずに育てている。売り先は地元の直売所や生協、学校給食、飲食店、農産物の宅配会社などだ。
出身はときがわ町。高校を卒業すると一人で東京に移り住み、さまざまなアルバイトを経験した。その中で、山梨県に住む女性のSNS(交流サイト)の呼びかけに応じたことが転機になった。「木の上に小屋を造ってほしい」というのがその内容だった。
女性は家庭菜園で無農薬で野菜を育てていた。「農作業をしているとき、そばの木の上で子どもを遊ばせておきたい」というのが小屋を造る目的だった。
この一風変わったバイトに参加したことが、藤田さんの人生観を変えた。女性は自営の仕事を持っていたが、忙しく時間に追われることなく、畑の世話もしながらゆったりと暮らしていた。
「こういう生き方をしてもいいんだ」。藤田さんはそう感じたという。それまでは「人に認められるには、稼いでなんぼ」と思っていた。だが、いまも「尊敬すべき人」と語るその人のことを知り、考えが変わった。
彼女がバイトたちにふるまってくれた料理も、その後の針路に影響した。藤田さんは「野菜だけの料理なので薄味。『すごくおいしい』という類いのものではないが、とても素朴でほっこりする味だった」と語る。

ニンジン

学校給食用に育てたニンジン

このときの体験が就農につながった。いったん別の仕事を試してみたがうまくいかず、山梨の女性に有機農家を紹介してもらった。そこで営農について話を聞き、「広い空の下で野菜を作るのは気持ちよさそうだ」と思い始めた。
こうして藤田さんは就農を決意した。まず減農薬で野菜を育てている埼玉県深谷市の農業法人に就職した。そこで4年間働いて栽培技術を学び、実家のあるときがわ町で就農した。2012年4月のことだ。
就農の1年ほど前に結婚した。家族を抱えて農業をやることに不安はなかったのだろうか。そう聞くと、藤田さんは「何とかなると思っていた」と答えた。栽培方法を学んだ農業法人が約10人のスタッフを抱えて経営しているのを見てきたからだ。だが実際は苦労の連続だった。

ゆったりした生活リズム

ゆったりした生活のリズムに憧れて就農した

主な売り先をなくした窮地を救った野菜とは

最初に取り組んだのが、野菜セットの宅配だ。間に業者を挟まず、消費者に直接売ったほうが手取りが多くなると考えたからだ。だが、宅配は1年ほどしか続かなかった。当初は10種類程度の野菜の育て方しか知らなかったため、セットの中身が充実せず、顧客がほとんど増えなかったのだ。
しばらくすると、飲食店などを運営している会社との取引が始まった。まとまった量を買ってくれる有力な売り先だった。だが販売を始めて約2年たったころ、この会社が野菜の調達先を見直したことで、取引が打ち切りになった。
同じころ、新規就農者を対象にした農業次世代人材投資資金(旧青年就農給付金)の支給が終了した。年間150万円の給付金は生活の支えになっていたため、販路を失ったことと合わせてダブルパンチになった。
就農から5年近くになっていた。主な売り先をなくしたショックで何をどう作っていいかわからず、ぼうぜんとする日々が続いた。頼みの綱の貯金も「どんどん減っていった」(藤田さん)。だが、やる気を失いそうになる自分を鼓舞し、新たな売り先を探し始めた。その中で、藤田さんはその後の営農の柱となる野菜と出会った。

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